新年度になった。
日常の、ふとした時に、ぼーっと頭をよぎった思考を
言語化して整理するために、ブログに書いていこうと思う。
両親はクラシック音楽が好きだ。
実家には、父が学生時代に買い集めたLPレコード、数百枚のCDがある。
オーディオ機器も、アンプ、スピーカー、レコードプレーヤー、、
詳しくないが、一式揃っていた。
幼少期から、休日の昼間はFMラジオで、夜は教育テレビで流れるN響のコンサートの放送を見て育った。
小学1年生の頃、ビデオラックを漁っていると、ちょっと不気味な表紙の一本を見つけた。
「アマデウス」だ。かの天才、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト の伝記映画。
両親がアメリカ在住時に買ったものらしく、全て英語で字幕もなくさっぱりわからなかったが、
ただ劇中ではモーツァルトが残した名曲の数々がBGMで流れる。
交響曲25番から始まり、「フィガロの結婚」、「ドン・ジョバンニ」、「魔笛」の三大オペラ、
35年という若い生涯の最晩年の作品、レクイエム
そしてエンディングはピアノコンチェルト20番、。
作品中で描かれる彼の人間としての姿は、幼い私にはよくわからなかったが、
彼の音楽には圧倒された。
小学2年生だったか、
「のだめカンタービレヨーロッパ編」が2夜連続で特番放送され、
民放番組は滅多に流れない我が家のテレビに、のだめが流れる。
小学3年生から中学3年生まで、ヴァイオリンを習わせてもらったりもした。
この話はまた今度。
まあこんな感じで、私は幼い頃から、周りの同い年の子どもよりも
クラシック音楽を身近に感じて聴いて育った。
さてその後は、モーツァルト以外のクラシック、
ブラームスとかチャイコフスキーとかも聴くようになったし、
いわゆるJ-POPのアーティストの曲も聴くようになった。
コブクロ、いきものがかり、福山雅治、あいみょん、中島みゆき、浜田省吾、
大学生になって、Mr.Childrenにハマった。ライブにも行った。
「ミスチルの好きな曲は?」という質問ほどの難問はないが、
名もなき詩、エソラ、Your Song、皮膚呼吸、足音、Paddle、、やはり一つには絞れない。
ミスチルの話もまた今度。
前置きが長くなった。
ミスチル、彼らを含む現代アーティスト(「現代」は、年齢・世代は離れているが自分と同じ時代に生きている意を表現した)の曲を聴くことが多い日常で、久々にクラシックを聴いて感じたことがある。
クラシックを何か聴きたい、と思い立ったとき、
CDショップでCDを選ぶ、あるいはYouTube・音楽サブスクで検索する。
しかし、世界に入り込むほど、探すのが大変になる。
世に流通しているクラシック音楽は、大半が作曲者とは全くの別人が演奏しているからである。
例えばクラシック好きな知人に、こんなリクエストをするとどうなるか。
「ベートーベン交響曲第3番「英雄」を聴きたい。」
私がリクエストされたら困るし、人によってはリクエストに答えて、張り切って何枚もCDを用意すると思う。
指揮者、オーケストラ、録音年代、録音場所、オーディエンスの有無、録音方法、、。考えるものが多い。
同じ「英雄」でも、誰が指揮するか、どこのオケが演奏するかで全く表情が異なる。
さらに、同じ指揮者でも歳を重ねるにつれての表現の変化、そんなこともあるらしい。(自分は未達の領域)
要は、一曲に対しての選択肢が存在するのが当たり前の世界なのだ。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲、広大な野原を馬が駆け抜けていくようなあの雄大なオープニングは、
アルゲリッチというピアニストの演奏が好きだ。
しかし、彼女は何度もこの曲を演奏し、その音源がCDとして世に出回っている。このパターンもある。
さて、(現代アーティストの代表として)ミスチルを見てみると、
稀に他者がカバーしているものも見かけるが、ほぼ全てミスチルの4人が演奏したものが世に出回っている。
しかし、すでに発表している曲を、ベストアルバムなどで再収録する、といったことはある。
また過去のライブ映像、ライブ音源と最近の歌声、演奏を比較することもでき、
これは前述のクラシックの特性と若干共通すると考えている。
中島みゆきといえば、日本を代表するアーティストだ。
色々好きな曲はあるが、「糸」「ファイト」などは、すでに多くのアーティストにカバーされているし、これは今後も続くと思う。
その意味では、中島みゆきが作る曲はある意味、クラシック音楽と同じ扱われ方に近づいていると感じた。
15分弱のシャワーを浴びながら、ふと思ったことを書くのに35分用した。
駄文長文失礼。