私は、自殺は容認しない考えをずっと持って生きていました。

 特に以前の職場で自殺遺児の方と 触れ合うようになり、首を吊って亡くなっているお父さんの第一発見者となってしまった、まだ当時7才だった彼のトラウマやその後の彼の厳しい人生を聞いたり、また彼を通して自殺遺児の活動などにも参加して遺族の思いをたくさん聞いて、なおさら家族を残して勝手に死ぬなんて無責任だと思っていました。どんなに苦しくても、死ぬことを考えれば何でもできるはずだと思ってきました。

 私自身も娘を産んだ後産後うつに なりました。
 私の場合は事情が特殊で薬を飲むこともクリニックに通うことも叶わず、うつから抜け出すまでに3年を要しましたが、その間にふらふらと娘を抱いて13階のベランダから下を眺めていたことも何度もありました。

 でもその時私は、こんな私のエゴで勝手に娘の命を奪うなんて、そんな権利はない、娘に迷惑をかけてはいけないと、そして夫は、夫の職業を考えると、私と娘が心中してしまったらこの人は二度と仕事をすることができなくなってしまうと、そう思うことができて、踏みとどまりました。

 それは、幸い私にまだいくらかでも冷静に判断するだけの心の状態が保たれていた、ということだったんですよね。
 でも命を絶つことを選んでしまう人は、その直前にそうやって冷静に考え、判断する能力なんてないのだなと。 私だってうつの時、病院にかかって薬を飲めば治るんだ、ということを全く考えることが出来ませんでした。

 今回義姉から甥の亡くなるまでの数日間の話を聞いて、甥が死を選ぶその時、ものすごい不安に襲われ、冷静に考える力なんてなかったことがよく分かります。
 まだ20歳の、まだ大人なりきれていない幼さを残した甥が、コロナの後遺症をきっかけとする将来への絶望的な不安感から死を選んでしまったことを、誰が無責任だと責められるのだろうかと。命を粗末にするなんてと、あの時の甥に誰がそんなことを言えるのだろうかと。簡単に言える人がいたとしたら、その人こそ無責任ではないかと。 

 『なんでそんなことしちゃったのよ、帰って来てよ』って私だってすごく言いたいけど。
 でも不安に耐えられなくて命を絶ってしまった甥を非難することなんてとても出来ない。少なくとも甥は、今回コロナに罹っていなかったら、こんなことにはなっていなかったはず。
 甥の死は、方法は自死かもしれないけど、コロナ死って言っていいのではないかと思います。

 電話で状況を語ってくれた時の義姉は、落ち着いてしっかりしているように見えましたが、きっと一時的な心因反応による躁状態なのだと思います。もともと甥と距離が近かった義姉の苦しみは、もう少し経って 義姉を襲うのではないかと。
 また双子の姪は、部屋に一人で長時間いることができなくなってるみたいで、いつも1日中籠って出て来ないような子なのに、すぐにリビングにやって来るとのこと。
 また、私の娘に会いたいと言っていると聞いています。姪にとって娘は、喪失を分かり合える妹のような存在だと思ってくれているのだと思います。

 6月からこんなに短期間で、親族・姻族の、しかも近しい人々を4人も失うなんて、なかなか堪えますね。『八幡のおじちゃん』と甥は同じ日に逝ってしまうし。。

 でも大丈夫です。私は何とか変わらない毎日を送っています。楽しいこともたくさんありますょ照れ
 小さな幸せを、かみしめて、抱きしめて、生きていきたいなと思います。