町医者として、外来診療と在宅医療を続けていらっしゃるお医者さんによって書かれた本です。
 沢山の臨床経験の中から、人は最期にどうあるべきかということを、実際に患者さんと交わり、家族と交わり、ご自分の目で確かめながらお書きになった本です。

 読み始めてすぐに、

 グルメ情報や金融情報などと言うと目の色を変えて探すのに、自分自身の「命の終わり方」となると「よろしくお願いします」と、いとも簡単に医者に任せる人が実に多い。「死」について考えることは決して後ろ向きなことではありません。「最後の瞬間まで自分らしくどう生きるか」を考えることは、実は最も前向きな生き方だと私は思います。

 と綴られており、具体的には、

 胃ろうを作った場合と作らなかった場合

 救急車を呼んだ場合と呼ばなかった場合

 腹水や胸水を抜く場合と抜かない選択をした場合

 人工透析を行った場合とそれを中止した場合

 など、実際それに携わっていなければなかなか分からない究極の場面において、どのような選択をすればどのような未来が待っているのかということが説明してあります。

 つまり、色んなケースにおいて、

 どういう選択をすると、望まない延命治療のルートに乗ってしまうのか

 何を望み何を止めれば、平穏死の道を歩むことができるか

 というようなことが、分かりやすく書かれています。
 そして、これはちょっと横道にそれることかもしれませんが、在宅にて平穏死を遂げることは、単身者こそ簡単なことだとおっしゃっています。

 しかし、現在の日本の法的環境では、延命治療は必然であり、法的担保がないがために家族が希望しても簡単に中止ができません。
 延命措置を施すかどうかのその時においては、

 「本人が以前からこのように望んでいたから」

 と、家族から延命治療を拒否する話があったとしても、亡くなった後になって家族が医者を訴えるというケースもあるようで、医師としては、

 『とりあえず延命治療さえしていれば訴追されないだろう』

 と考える傾向にあるようです。

 そのために今の日本において、自分たちで出来ることと言えば、

 「リビング・ウィル」 (LW) を、元気なうちに書面で残しておくこと

 だと言います。
 リビングウィルは、亡くなってから初めて効力が発生する遺言書と違って、生きていても意思表示できなくなった場合を想定した、自己決定です。

 方法としては、日本尊厳死協会に入り、リビングウィルを書面で残しておくことが一番の近道のようです。
 入会し、「尊厳死の宣言書」に署名を行うと、本部からリビングウィルカードが送られてきます。そして医療機関にかかるとき、最初にそのカードを提示すると、カードのコピーがカルテに挟まれるようです。

 筆者であるこのお医者さんは、

 病院の延命治療を止め、自宅で平穏死を迎えられた方々が、苦痛に顔を歪めながら亡くなっていた姿を見たことがない

 と言われます。

 日本はどうしても「死」というものを遠ざける傾向にあります。「死」というものが身近になく、経験したことがなく、怖いからなのでしょう。
 しかし、延命治療そして平穏死・尊厳死について、冷静に向き合って自分の死や家族の死を想像し、それにより「死」について考えることに慣れていくことが、まずは必要なのだなと思います。

 エネルギー要りそうですけどね(((・・;)…

 実際こうやって、死ときちんと向き合わなければと思いながら、これを書きながらも母のことが頭によぎり、もし口から食べられなくなった母に胃ろうを行わずして、自然と枯れゆき、その生涯を全うする様子を見守ることができるか、今は考えただけでも涙がこぼれます。
 大切な人の意思を尊重したいという思いと、大切な人だからこそいつまでも生きていて欲しいというこの二つの矛盾した思いの折り合いの付けどころが、私にはまだ掴めずにいます。