えっと。

 「じゃあ、お前は殺したいほど憎い人がいたら殺すのか」

 (いいえ、殺しません)

 「ほらやっぱりお前だって、自分の行動を自分でコントロール出来ているじゃないか!」

 の続きでしたねニコニコ

 そうです。普通はいくら殺したいほど憎い人がいるからって、人を殺したりはしません。
 それはなぜか。
 普通はそれを行ってはならないと言う、十分な判断力があるからです。
 でも、もしその判断力が欠如したとしたら。

 そうですね、例えばとっても体調が悪くて、七転八倒するような頭痛や腹痛が起きていたり、枕も上がらないような激しい嘔吐を繰り返していたりするとします。
 そのような時に、
 トランプの『神経衰弱』をしようと言われたら? 
 『0.3594×0.0574の掛け算を解いて』と言われたら?
 『私はもう、あなたと結婚生活を続けて行くの限界だから、離婚について今から真剣に話し合いたいんだけど』と言われたら?
 
 平常と何も変わらないように、その課題に取り組むことができる方は、とっても少ないと思いませんかニコニコ

 精神的に強いストレスがかかって判断力がなくなるということは、こういうことなのです。
 ぼーっとして何も耳に入ってこなかったり、何も心に届かなかったり、何かを考えると言うことが、出来なくなるのです。

 判断力の欠如には、衝動性を抑えられないということも含めて良いかと思います。

 強迫性障害になってしまっていて、1日に何度も手を洗うことをやめられない人は、頭では愚かなことだと理解はできても、それでもその衝動を、自分では抑えられないのです。
 摂食障害で過食をしている人は、食べ物を体の中に入れる衝動を、抑えようとしても自分では抑えられないのです。
 フィロマニアという放火癖の疾患を持つ人は、火を点けたい、火をを見たいという衝動に駆られると、もう取り憑かれたようにその衝動の虜になり、それを自分でコントロールする事が不可能になってしまうのです。

 そして、そのような強いストレスがかかったり、衝動性が高まって自分を抑えられなくなるといった状態に陥る可能性は、誰にでもあるのです。
 自分にも、愛する人にも、我が子にも、自分の肉親にも、そして親しい友人にも。

 痛ましい事件は起きて欲しくありません。誰もつらい目になんて、遭って欲しくありません。
 でも、今回の放火事件のような事件が起きてしまった時、まだご本人が責任能力あると判断されるのか、無しと判断されるのかはわからないことですが、とにかく、放火をしてしまった人のことを考える時、その人の姿は、いつか将来の、自分の姿かもしれないのです。
 そのことを、少しずつていいので、世の中の人みんなが、考えてくれたらなと私は願います。

 と。そうは言いましても。
 十分な判断力が備わっている正常な精神状態の時に、それが欠如した時のことを想像することは、なかなか難しいですよね。

 最近は色々な体験キットがあって、身重の妻を持つ夫には、父親学級などで「妊婦体験キット」による体験会などが行われていたり、車椅子の体験会や、身体の運動機能が低下したらどのようになるのかといったことを体験できるキットもあります。
 
 それと同じように、統合失調症の方はどのような世界の中にいるのか、幻聴や幻覚などを、VR で体験できるキットなどもありはします。これ、いざ体験するとなると、皆さんちょっと不安になるようです。
 でも一般の人がそういうキットを体験できる機会と言うか、場所って、少ないですよね。そういうの、もっと広がってくれたらなと思います。
 私は何でもやってみましたが😁、まさに『百聞は一見にしかず』と言った感じがします。

 車椅子の体験を、ちょっとお話ししてみます。
 大通りというのは真ん中に車道があり、両端に歩道がありますよね。車椅子ではもちろん歩道を通るわけですが、殆ど全ての歩道は、水はけが良いように、車道側に僅かに傾斜がついているのです。
 この傾斜のために、車椅子を運転していると自然と車道の方に車椅子が流れていってしまって、結構怖い思いをします。信号機の前なども、歩道には車道に向かってかなりの傾斜が付いてるところが多くて、車椅子に乗ったまま信号待ちをする時は、車道に流れない場所を選ばないと危険です。

 疑似体験ではありますが、一度でも、何でもいいので体験をされてみると、飛び級したような感じで、何かしらの「生きづらさ」を抱えておられる方々への理解が進むのではないかと思われます。

 視点が、目線が、変わるのだと照れ