昨日は久々に予定のない日曜日。
 娘が行きたがっていたミスタードーナツで、期間限定のかき氷を食べることにしました。

 ミスタードーナツのかき氷。氷自体にすでに味がついていて、それが本当にふわふわに削ってあって、とってもお気に入りなのです。

 先に注文を終え、座って運ばれてくるのを待っていると、ふと隣の席の青年に目が行きました。

 自衛隊の制服を着ています。海上自衛隊の隊員なのでしょう。
 
 そうか、陸に上がってきたのね照れ

 そして、まだ20歳にも満たないような若いこの青年が、食べているものをふと見たところ、

 えっびっくり!ドーナツがお皿に9個も。。

 二つのお皿に盛り分けられたドーナツは、全部で9個。そして既に、一つはこの青年が手に持って食べています。

 誰か連れがいるのかな。
 キョロキョロあたりを見回してみましたが、それらしき人物はいません。トイレかとも思いましたが、しばらく経っても誰も向かいの席には座りそうにありません。

 まあ若いってことなのかな。ドーナツ一人で10個ってすごいよねキョロキョロ

 その青年が、ただ単に甘いものに目がないのかどうかはわかりませんが。。
 海上自衛隊員は、数ヶ月も船の中での集団生活を強いられることが日常であり、ただでさえ相当ストレスフルな環境だと思います。船の中でのいじめなども、あっているようです。
 陸に上がった時も、実家がすぐ近くにある隊員ならば、家にも帰ることができます。しかしそうでない子は、日中は外を自由に歩けますが、夜はやはり船の中へと帰らなくてはなりません。

 もちろん推測に過ぎませんが。。

 相当なストレスで大量の甘いものが欲しくなるのかもしれないなぁ、でも持ち帰りにしてしまったら、他の隊員たちに取られたりして、一人でゆっくり味わうことはできないのだろうな

 と、なんだか母親のような気持ちで、その青年を眺めておりました。

 するとその青年の、向こう隣の席に、ご年配の二人連れのおばさま方がお座りになりました。

 このおばさま方、海上自衛隊の制服を着ているこの一人掛けの青年を認めるや否や、即座に話しかけられ始めました。
 青年も真面目に受け答えをしています。擦れたところのない、朴訥な青年のようです。

 あれまぁ。。捕まっちゃってる。。😅

 もしかしたらこの青年も、ちょっと寂しくて、誰か話し相手が欲しかったのかもしれませんけどね照れ

 でも、そのおばさま方、青年に話しかけるのをやめる気配が一向にありませんキョロキョロ

 大丈夫かな。そろそろ一人でのんびりさせてあげたらいいのにキョロキョロ

 心配性のおばちゃんmare、あれこれ気になります。

 と、その時です。

 なんとおばさま方、青年の座っている机を、ぐいっと自分たちの方に引き寄せ始めたではありませんかびっくり!

 「ほらほらあんた、そがん一人で食べたっちゃ、寂しかろー。こっちに来んねニヤリキラキラ

 とうとうおばさま方は、自分たちの机に、その青年の机をぴったりとくっつけて仕舞われました。

 あ、あれまー、、😂

 こんなナンパの手口は初めてです爆笑おいでキラキラ
 超可笑しかったんですけど、あの青年の心はいかほどだったのでしょうね( *^皿^)。


 巨大スーパーを舞台の中心として、そのスーパーのメインバンクである銀行と、そのスーパーの進出により打撃を被った地元商店街との、色々な思惑が錯綜するお話です。

 スーパーに対し、企業テロを示唆する連続爆破事件が起き、スーパーの株価は暴落。銀行ではこのスーパーを支援するか否かという難しい二者択一を迫られ、一方警察では調査を進めていくにつれ、このスーパーと地元商店街の複雑な人間関係が描き出されていきます。

 解説も添えてありませんでした。小説を読んで字の如くとは言わないでしょうが、とにかく読んで楽しむ本ですね。読めばわかる、というか。

 そのエンターテイメントの中にあって、ひとつ、考えさせられたことがありました。
 登場人物の中に、『今は真面目に働いてるが元は暴走族だった (かな?) 』青年が出てきます。彼は職場にそのことを隠して仕事をしていました。
 順調に仕事に励んでいる彼ですが、その過去の悪事に目をつけられ、ある人物の操り人形となってしまうのです。

 法律に反することや公序良俗に反することを犯してしまった者は、罪を償い更正したとしてもなお、過去の過ちにこれほどまでにずっと縛られて生きていかなければならないのかと。
 自分の汚点となることをしでかすということが、どれほど代償を負うものかということを感じました。
 それはもちろん、本人だけに問題があるわけではありません。きちんと罪を償い、心を改めた人に対する社会の眼差しが、本人の真面目に生きていこうとする意気込みを削いでしまうようなところもあります。

 でも、そういう眼差しがどこまで非難されるものなのかも、難しいですね。
 過去に人を殺したことがある人と、全くニュートラルな気持ちでお付き合いできるのか。
 人間ですから、恐怖を感じたり、なるべく関わりを持たないようにと考えるのも致し方ないことですし、誰もがお付き合いをする人を選ぶ自由だってあるわけですから。

 理解してくれる人はいる。過ちを犯しても、やり直すことはできる。
 でも、そこに費やさなくてはないエネルギーは、気の遠くなるほどに重く、深く、苦しく、果てしないものであることもまた、厳しいけれども厳然たる事実なのですね。