「ほら、年末のスキーでスキースクールに入って、コーチに教えてもらったじゃない?あの時思ったんだけどさ。。
ああやって教えてくれる人達って、上手になるまでに自分も通ってきた道があって、たくさん失敗して苦労して経験したことを糧に、僕たちに教えてくれてるわけでしょ。
バイオリンとかバレエとか、みんなそうだよね。自分が苦労して掴み取ってきたものを、人に教えてるよね。
それに引き換え僕たちは、『こうしたらいいんじゃない?』なんて、自分が実際に経験したことでもないことを簡単に言うわけでしょ。
なんだかこう、本物感がないっていうか😅」
何気なくつぶやいた夫の、私に話しかけているのかどうかもよくわからないような、独り言のような感想のような、この言葉。
そう、本物感。
心理学を生業としている者にとっては、一番の壁なのじゃないかと思います。
私はもう臨床から離れて久しいですが、それでも今でもこの本物感は、セラピストにとって永遠のテーマなのだと思います。
お金に本当に困ったことのない私が、生活保護受給者の担当として相談に乗る。
子どもを産んだことのない私が、虐待をしてしまうお母さんの相談相手になる。
どんなに難しかったことか。
結婚し、子どもを産み、子育てをしている今、もしもう一度児童相談所の職員に戻ったとしたら、私は全く違ったケースワークとカウンセリングができるのではないかと思います。
我が子の偏食に悩み、我が子の不登校に悩み、我が子を目の前にして、イライラして手を上げてしまう自分に悩むー。
そんな子どもに関する苦しみや悩みが、今は手に取るように分かります。
ピア・カウンセリングは、紛れもなく最大の癒しのひとつです。
どんな専門家のどんなアドバイスよりも、同じ境遇にいる人からの「わかるわ」の一言ほど、明日の光も見えなくなっている人を孤独から救いだしてくれるものはない。
セラピストの誰もが、河合隼雄先生のような高度なプロフェッショナルな技術を持っていられたら、あるいは本物感を覆い尽くせるのかも知れません。
だけど、残念ながら、あの域に達することができる人は、限られたほんの一部の方々に過ぎません。
だからこそ、本物感を出せる経験を一つでも多く手に入れる。
どんな経験も、セラピストにとっては大切な引き出しの一つとなるのです。
私は、人の心を思うこの心理学という学問が好きです。生きている限り、この世界に身を置いていたい。