オカンの命日だった | Verbum Caro Factum Est

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僕Francisco Maximilianoが主日の福音を中心に日々感じたことや思うことを書き綴るBlogです。同時に備忘録でもあります。

この日曜日、オカンの4回目の命日だった。

いつもオカンの命日には実家に帰って家族でごミサに行き(いつもと言っても3回だが)おうちに帰って一族で飯を食うので、先週親父に電話をした。帰った方がいいか、どうか。

オカンが死んで初めての正月はみんながなんかぎこちなく、あれがない、これがない、どのタイミングであれが出てこない、このタイミングでこれが出てこない、会話がもたない、笑顔が出てこない、食前の祈りも忘れると、ああ、あの人、飄々としているようで実は仕切っていたんだな、あの人がいないと、要のない扇みたいな家になってしまうんだな、電気の切れた夜、太陽の出ない昼なんだな、と改めて思った。それはそれは淋しく、死んだ日に泣ききれなかった僕は余計に辛く思えた。

結局実家には帰らなかった。信心深い家系ではないのだけれど、家族みんなで、行ったらしい。いや、もしかしたら父親一人で行ったのかもしれない。おばさんとかいたかもしれないけど。いかんせん、弟と妹のお連れ合いさんは信者ではないので強制もできないみたいで。法事とかってふつうそこんちが何宗でも出るのにね。ま、いっか。

札幌に住んでいるいとこから電話が来た。「あんた、次の日曜日は帰るのかい?」と聞かれ「帰らんよー」と答えると「ミサには行かないのかい?」と聞かれた。最近カトリックは遠慮してて聖公会に行っているとも言えず、「どうしようかねぇ」などと答えた。結局9時ミサで(そこの教会は主日ミサが土曜の晩から合わせると5回あるのだが)ミサ料を納めて追悼ミサをお願いすることになった。ひさしぶりだなぁいとこたちと教会行くなんて、など思いつつ原付でブイーンと教会に行った。どんだけとばしてもリミッターがついているので石狩街道で車に追い越されまくる。なんか癪だなと思いつつ、でもこれって結構スローライフじゃん?などとわけのわからないことを考えながら教会に行った。

そこの教会は前の木曜日までに申し込みしておけば、「聖書と典礼」というそのミサで司祭が捧げる各祈願(集会祈願・共同祈願のはじめと終わり・奉納祈願・拝領祈願)と、み言葉(旧約と使徒書と福音)と、答唱詩編とアレルヤ唱が印刷されている小さなリーフレットに、別刷りで挟み込んでくれる紙にミサの意向を印刷してくれる。その紙には一週間のミサや信心業の案内も載っているのだけれど、たとえば「故フランシスコ・ザベリオ****のために **家の御依頼で」的な感じで載せてもらえる。僕はあんまりそれが好きじゃない。だからそんなのはどうでもよく、日曜日にちょっと早めに教会に行き、いとこが来る前に修道院長様かつ主任司祭に「今日、母の命日なのでミサをお願いします」とお願いした。「あ、そうでしたか。わかりました。そういえば**神父様も来てるだよ」とか教えてくれたけど、あんまり会いたくなかった。僕が修道院を出てきたことを死ぬまで怒っていた母を思うと、なんだか修道院の人に会うのが辛いのだ。

教会ホールで従姉に久しぶりに会い(伯母の葬儀以来だから3年ぶりかな)「いやぁ、普段もミサにこないとだめだねぇ」とかいいながら、お聖堂に入った。他に約束していた3人のいとこは来なかった。ま、それもいっか。

「もうごミサ料おさめたの?」と親戚的配慮がすかさず入り「もうお願いしてあるよ。一回だしたいした額じゃないから気にしないで」となんか親戚の葬祭トーク全開な会話をひそひそ声でした。その従姉のそんな気遣いが好きだなぁ。

そのミサの担当司祭はこの間叙階された新司祭の司式だった。かねてから亡き母のために祈ってくれ、とお願いしていただけに、偶然がかさなって、なんか、こう、グッときた。

ミサがはじまりいつも通りにちゃっちゃと終わるのかなぁなんておぼろげに思っていた。

奉献文のはじめに叙唱(プレファチオ)という救いの歴史や神の業を司祭が叙述する(歌うこともある)部分があるのだが、カトリック教会には73の叙唱がある。季節や種々のミサにあわせて選択できる物もあるし、奉献文に固有の叙唱(第二奉献文とかゆるしの奉献文など)もある。聖公会は奉献文も叙唱も乏しく、僕的にはそこは不満タラタラだ。いい教会なんだけど。カトリック寄りにするとローチャーチを自負している教会から反発があるんだろうか。そもそも、祈祷書どうりにミサを捧げている時点でハイチャーチと変わらないのだけど。道具以外。ま、いいか。

その日は年間の主日なので年間主日用の叙唱が唱えられるはずなのに、死者ミサの叙唱が唱えられた。気付く僕も僕なのだけど、新司祭の配慮に軽く涙が出た。なんだかんだ母の命日は辛いものである。


聖なる父、全能永遠の神、
いつどこでも主・キリストによって賛美と感謝をささげることは、
まことにとうといたいせつな務め(です)。
 キリストのうちにわたしたちの復活の希望は輝き、
死を悲しむ者も、とこしえのいのちの約束によって慰められます。
 信じる者にとって死は滅びではなく、新たないのちへの門であり、
地上の生活を終わった後も、天に永遠のすみかが備えられています。
 神の威光をあがめ、権能を敬うすべての天使とともに、
わたしたちもあなたの栄光を終わりなくほめ歌います。


そして「聖なるかな」を歌って奉献文に入り信者みんなが跪いた。

いつも通り第二奉献文(これは原則的に主日の教会共同体のミサでは使ってはいけないのだけれどほとんどの教会が使っている。第二バチカン公会議の一つの実りでもある「ヒッポリトスの使徒伝承」からとられた新しい奉献文。新しいといっても何十年も使って来ているのだけど)で短めにささっと終わると思っていたら、期せずして第三奉献文でミサがすすめられた。


司祭 まことに聖なる父よ、
造られたものはすべて、あなたをほめたたえています。
御子わたしたちの主イエス・キリストを通して、
聖霊の力強い働きにより、
すべてにいのちを与え、とうといものにし、
絶えず人々をあなたの民としてお集めになるからです。
日の出る所から日の沈む所まで、
あなたに清いささげものが供えられるために。

あなたにささげるこの供えものを、
聖霊によってとうといものにしてください。
御子わたしたちの主イエス・キリストの
御からだと  御血になりますように。
主の言葉に従っていま、わたしたちはこの神秘を祝います。

主イエスは渡される夜、
パンを取り、あなたに感謝をささげて祝福し、
割って弟子に与えて仰せになりました。

「皆、これを取って食べなさい。
 これはあなたがたのために渡されるわたしのからだ(である)。」


食事の終わりに同じように杯を取り、
あなたに感謝をささげて祝福し、
弟子に与えて仰せになりました。

「皆、これを受けて飲みなさい。
 これはわたしの血の杯。
 あなたがたと多くの人のために流されて、
 罪のゆるしとなる新しい永遠の契約の血(である)。
 これをわたしの記念として行ないなさい。」

司祭 信仰の神秘。

会衆 主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで。

司祭 わたしたちはいま、御子キリストの救いをもたらす受難・復活・昇天を記念し、
その再臨を待ち望み、
いのちに満ちたこのとうといいけにえを感謝してささげます。
あなたの教会のささげものを顧み、
み旨にかなうまことのいけにえとして認め、受け入れてください。
御子キリストの御からだと御血によってわたしたちが養われ、
その聖霊に満たされて、
キリストのうちにあって一つのからだ、一つの心となりますように。

聖霊によってわたしたちが
あなたにささげられた永遠の供えものとなり、
選ばれた人々、神の母おとめマリアをはじめ、
使徒と殉教者、
すべての聖人とともに神の国を継ぎ、
その取り次ぎによって絶えず助けられますように。

わたしたちの罪のゆるしとなるこのいけにえが、
全世界の平和と救いのためになりますように。
地上を旅するあなたの教会、
わたしたちの教父ベネディクト16世、
わたしたちの司教タルチシオ、
司教団とすべての教役者、あなたの民となったすべての人の信仰と愛を強めてください。

あなたがここにお集めになったこの家族の願いを聞き入れてください。
いつくしみ深い父よ、
あなたの子がどこにいても、
すべてあなたのもとに呼び寄せてください。


  この世からあなたのもとにお召しになった
  ○○○○(ここにオカンの洗礼名と名前が入った)を心に留めてください。
  洗礼によってキリストの死に結ばれた者が、
  その復活にも結ばれることができますように。

  キリストは死者を復活させるとき、
  わたしたちのみじめなからだを、
  主の栄光のからだと同じ姿にしてくださいます。

  また、亡くなったわたしたちの兄弟、
  み旨にしたがって生活し、いまはこの世を去ったすべての人を
  あなたの国に受け入れてください。
  
  わたしたちもいつかその国で、
  いつまでもともにあなたの栄光にあずかり、
  喜びに満たされますように。
  
  そのときあなたは、
  わたしたちの目から涙をすべてぬぐいさり、
  わたしたちは神であるあなたをありのままに見て、
  永遠にあなたに似るものとなり、
  終わりなくあなたをたたえることができるのです。

主・キリストを通して、
あなたはすべてのよいものを世にお与えになります。



その司祭はいつもどうしているのかわからないけれど、
「この世からあなたのもとにお召しになった
  マリア・ヨゼフフィーナ○○○○を心に留めてください。」
の後にかなりの沈黙の祈りを入れてくれた。そういうちょっとしたことに本当に慰められる。というか、泣いた。

実は第三奉献文ってあんまりピンとこなかった。叙階式などでよくつかわれていたけど、こうして母を亡くした後に聞いてみると、本当に心に沁みる。

トリエントミサしか認めない頭のおかしい人達は、跪く回数が減ったとか、聖体に対する尊敬を恣意的に減らしているとか、プロテスタント神学が導入されてカトリックの信仰と精神がないがしろにされているとすごい勢いで批判する。彼らは典礼自体が目的で、それが福音だと信じているのでそれはそれで構わないというか仕方がないのだが、僕はこの、公会議の第三奉献文の、日本語のミサでとてつもなく救われた思いがした。ラテン語のわけのわからない(残念ながら僕はわかりますが…笑)祈りを聞いて西行法師よろしくかたじけなさに涙こぼるるでもいいのでしょうが、この主日の僕の気持にラテン語ミサはまったくフィットしないだろう。ま、ピオ10世兄弟会やトリエントミサに「固執」している教区の厄介者の神父の悪口行っても仕方がない。でも一言だけ言いたい。司教様がお決めになったことに従わないで、ましてや批判するのはまったくカトリックの精神に反している、ということに気付け、といいたい。いつから教皇様よりえらくなったのだ、と言ってやりたい。ま、セクトですな。

それはさておき、第三奉献文、よかった。沁みた。


  わたしたちもいつかその国で、
  いつまでもともにあなたの栄光にあずかり、
  喜びに満たされますように。
  
  そのときあなたは、
  わたしたちの目から涙をすべてぬぐいさり、
  わたしたちは神であるあなたをありのままに見て、
  永遠にあなたに似るものとなり、
  終わりなくあなたをたたえることができるのです。

  主・キリストを通して、
  あなたはすべてのよいものを世にお与えになります。


この一言にどれだけ救われたか。神ご自身が目から涙をぬぐってくださるのだ。
なんという希望、なんという慰めだろう。

聖体を拝領して(最近は聖公会に行っているので厳密には告解しなきゃ聖体拝領できないのだけど、いかんせん消えないカトリックの教籍はそこの教会にあるので聖体拝領出来てしまう不思議)ご聖体のうちにやってきてくださったイエズスさまと語らってみた。何の答えも帰ってこないけど、直観的に僕とご聖体のイエズス様、そして天上の教会でのオカンとが一つに結びあわせられた(communion)感じがして涙がポロポロ流れて止まらなかった。寂しいな、でも、一つに結ばれているんだよな、って。

ミサがおわって従姉とバイバイして、教会に付属である本屋で本を買った。そこのブラザーに「今日オカンの命日なんだー」と言うとブラザーは作業しながら「何年になった?」と聞いて来た。「もう四年だよ」と答えるとそのブラザーは作業する手を止めてた。そして一言「今、祈りした。尚ちゃんも頑張れ」。嬉しかった。

その日の朝はやく、オカンが死ぬ前になんらかでもめた地元の従妹からメールが来た。「尚ちゃん帰ってこないの?元気なの?」と。

きっと直接僕の実家に電話するのが憚れたのだろう。この従妹、オカンが病状悪化する前に、仕事関係のもつれからかひどい内容の(2chばりの罵詈雑言)メールをオカンに送りつけたり、会社でオカンにえらい恥をかかせたりと、タイミング悪くも関係を断絶するよりない道を自分で選んだ女だ。僕はリアルタイムでそれを見ていないのだけれど、妹と従姉がかんかんに怒ってしまい葬式にも来てほしくないくらいの勢いだったのだが、母親の前ではそのそぶりをみせなかった。

でも、オカンはそれを見抜いていた。そして、僕と妹と二人になった時、オカンはこう言った。

「病気がそうさせるのよ。許してあげなさい。根は決して悪い子じゃないんだから。たとえそこで悪かったとしても、いつか戻って来た時にはちゃんと迎え入れてあげなさい」と。

葬式以来会っていないその従妹にメールを返した。

「今年が帰らないよ。元気かい?無理に頑張りすぎずに暮らすんだよ」と。

次の日またメールが返って来た。「メールありがとう。今精神科に入院しています。治るように信じてゆっくり治療するね。たまに教会行きたいけどみんな変な目でみるの。でもあせらず頑張るね。」と返ってきた。ああ、この子も心を患ってしまったんだな、と寂しくなった。

その子のライフヒストリーをここで詳らかにする必要はない。ただ思うのは、人間は読んで字の如く人の間と書く。だから人と人との関わりなしには生きられない存在なのだということ、そして、どれだけフラットな関係が大事なのかとういうことを感じた。むしろ下に立つくらいの気持ちが大事なのかもしれない。

きっと僕へのメールは社会から、そして親戚からも断絶されてしまったあの従妹の唯一の叫びだったのかもしれない。母の命日の早朝に送ってくるんだもの。でも、メールできるようになっただけまだよかった。

オカンの死はいろいろなものを失ったけど、いろいろなものを与えてくれた。家族の大切さ、普段気にしなかったことがどれだけ重要な機能をはたしているのかという「その人」の大事さ、普段響いてこなかった第三奉献文があれだけ心に沁み入り聖体拝領で涙してしまったこと、「病気がそうさせるのよ。許してあげなさい」という生前の母の言葉の真意、もう抱えきれないほどのことに気付かされた日曜日だった。

ミサや用事が終わり、家に帰ったら、マンションの入口に花束が置いてあった。友人が僕の母のために買ってきてくれた花束だった。本当に嬉しかった。その友人は「アンタとの友達づきあいで買ってるんじゃないからね、お母さんにプレゼントしたいんだよ」と言ってくれた。その友人はもうオカンが末期の時に、片道5時間かけてお見舞いにきてくれた。

その時、母の体に突き刺さっているいろいろな管の消毒があり、僕らは席をはずそうとしていた。するとオカンは友人の名前を呼び「勉強になるから、見なさい」と言った。友人は看護師だった。もう、そんな勉強はとっくに済んでるんだから、と僕が言うと、何回見ても勉強になるでしょ、と母は言った。友人は「ありがとうございます。勉強させてください」とその場面を見学していた。

死ぬ直前まで与えつくす生き方をした女だった。僕にその真似はできない。でも、そうならなきゃならないんだということはわかっている。少しずつ、少しずつ、近づいていければいい。

母のその関わりの一つ一つには「イエズス様、神さま、マリア様」と言った言葉はでてこない。でも
、彼女の生き方や関わり方一つ一つにイエズス様やマリア様が見える。いつも妹や弟と話している時、最後にはそんな話になる。僕たち子どもたちにしか言わない言葉「どこまでも許しなさい、痛むほど愛しなさい、そして大事にしなさい」。

あの人の生きがいは子育てだった。それはいい学校に行かせるとか、キャリアの高い仕事につくとか、そんなことはどうでもよかったみたいだ。ただ、優しい子、許せるこ、人や仕事を大事にできる子、おおらかな子、そんな風に育てたかったらしい。たとえ成績が悪くてもいい、人を大事にできる心を育てているのなら、という考えだった。例外で、僕には高成績を求めてきたが、でも大学をドロップアウトした時も何にも云わなかった。子育てと言ってもネグレクトされているいとこたちがうちにはわんさかいて、そのひとたちの面倒も見ていた。

オカンが亡くなる直前、まだ意識が朦朧となったり現実に戻ったりとさまよっている時に、オカンは僕の両頬を両手で挟み、こう言った。

「お母さんの子育ての完成は、子育ての集大成は、お母さんが死んだ後の、アンタ達の生き方そのものなんだよ。許しなさい。大事にしなさい。愛しなさい。愛して愛して痛むまで愛しなさい。神さまの愛の光が綺麗に反射するように、あんたの心をいつもフラットにしておきなさい。あんたの周りの人がたとえそれが神さまの暖かさだって気付かなくてもいいじゃないの。ちゃんとお母さんの子育ての集大成ができるよう、生きていくんだよ。わかったかい。」

僕ははたして母の子育てを完成させてあげてられるだろうか。
あの人は母親であり、イエスの福音をどう生きるかを具体的に教えてくれた人でもある。
失って初めてその大切さに気付くなんておそいのだけれど、年々、あの人のある意味「凄さ」に脱帽しつつ、寂しくて涙を流しつつ、こらえきれなく一人部屋で嗚咽をもらしつつ、あの人の生き方を振りかえっている。

さ、頑張らなきゃ。いや、自然体のままで、関わって生きていかなきゃ。
きっと、いつか、あの人に似たようになるかもしれないし、そのとき、あの人の福音の生き方に気付くのかもしれない。


わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。
 ヨハネによる福音書15章12節 母が好きだったみ言葉。


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