ビジネス倫理か、倫理的ビジネスか?
東方神起の分裂のひとつの側面として、頭を整理するのに適当な概念だと思うのでここにメモしてみる。
訴訟をするしないという選択において、つまり、ホミン側は「ビジネス倫理」を重要視し、チョンジェス側は「倫理的なビジネス」を選択したのだろうということである。
つまり、SMエンターテインメント社が倫理的なビジネス、つまり彼らに対しての労働条件や契約を倫理的に正しく行っていたら訴訟は起きなかったはずであるのだが、それが業界の暗黙のルールであり、そのように行うことで成り立つビジネスが芸能ビジネスであるとすれば、その仕組みを破壊する事は芸能ビジネスにおける倫理を壊す行動である、という事が言える。
実は、倫理的なビジネス、の方が実際は上部概念だから、分裂の資料等で明らかに示されるように人権の保護の視点で論じても、公正取引委の決定などを見ても明らかに三人の論点に破綻はなく、「正しい」のだが、結果を見てみると3人側はビジネス倫理を壊そうとしたがために、それに阻まれてビジネスが立ちゆきにくくなってしまった、ということが言えるのではないか?
ビジネスか倫理か?
たしかに倫理は建前としては、ビジネスよりも尊重されなければならない。
が、実際のところはビジネスのほうがが先に立つのが資本主義の経済原則じゃないか?
だって、政治よりも何よりも世界を回しているのは今や経済。
東方神起の裁判の終結も、結局行政の指導が入ったとのこと。
国策韓流を推し進めねばならない韓国の行政の「建前はわかるが、現実の商売システムも尊重しろ」という裏の声が聞こえてきそうに思うのは私だけか?
ただ、思うのは、それにしたって韓国芸能界のビジネス倫理は古色蒼然だったわけだから、そこに対して「あかんべえ」してみせた3人は確かに面白かった、ということだ。
誰もなにもしないのでは、面白いことは始まらない。
(であるにしても、その古いシステムから抜けたところに、また違ったトラップが有ったことも間違いないとは思う。分裂の混乱の示すものは彼らのそのビジネス性の高さに群がった人々の「倫理」を問うものでもあったはずだから。)
*一つ追記。
先日の女性自身記事でのJYJ、東方神起分裂訴訟問題への覆面記者の座談会における言及のなかで彼らの行動が「やはり金が欲しかったのか?」という失望をもたらした、との発言が有った。確かにお金が欲しかった事に対する失望というのは有ったかもしれない。日本では。しかしそれが文化に非常に左右される価値観だろう事は、もうそろそろ日本の芸能記者もわかっていい頃なのではないか?と思ったのも事実。
金に汚い、金は汚いもの、キリギリスのようではいけない、ありのようであれ。。。
そんな価値観を評価しない世界は確かに存在する。
そして異質な価値、その多様さが恐怖心を煽るがゆえ、攻撃を加えなくては気がすまない。
現在の日本が立っている場所というのがまさにそれだと思う。急速に進むグローバリゼーションでガラパゴスがガラパゴスという名の楽園を保持できなくなっている。これは日本の失楽園、なのだろうか?