LOVE SHACK : Market Satisfaction

LOVE SHACK : Market Satisfaction

マーケター・カドイエ ミツルのオフィシャル ブログ

もうすぐ男性平均寿命の折り返し地点、残りの余生をどう生きるか?!
LOVE SHACKと言う場に吸い寄せられた、自己の意識と意識の繋がり
を確認し自己というものを見つめ直すブログ?

Amebaでブログを始めよう!

LS-BlueMans

言葉はなくとも部屋にはメロディーが奏でられる。

ここラブ・シャックでは太陽が昇るのが合図となり、
一日のリズムが生まれる。

真っ直ぐなテダ(太陽)が瞼に触れると、
体は目覚め、毎日のルーチンが開始する。
二人は意識することなくそのリズムに乗り、朝を過ごすことになる。

そこには言葉は無くて、自然と流れが調和している
二人に言葉はいらないわけではないが、言葉はなくとも
愉快なリズムで常に繋がっている。

それはブルーマングループのそれとなんら変わりない。

小鳥のさえずりさえもないぐらいの音で
お湯が沸いた事をカチッとさりげなく知らせてくれるクリス・ウィンク
程よいコゲ感を色と匂いで知らせてくれるマット・ゴールドマン
フィルは今は不在だがいつかこの二人の横に来るだろう、
SORE GA BOKURA NO モーニングカウンター。

僕はシャワーを浴びているノゾミに
水の間をかいくぐるのをイメージしながら声を張る
「ねぇ、ノゾミー、今日はいつものミューズリー?」
どうやら今日はマットの出番はないようだ。

今日も素敵な朝の始まりを。

P.S.うちのクリスとマットはデロンギという会社の所属だw

LS-Nabe

独りっ子、独り暮らし、独身という過去を背負ったボクは
寂しさというモノに慣れっこな方だろうとおもう。
独りでご飯をたべるのだって結構楽しめる。だから、
それに寂しいという観念をスカーフの様にして巻いて
捉える人とは少し距離があると思う。

お互い、各々、それぞれが独りでも十分楽しい、しかも楽。
だけどわざわざ一緒に居る、一緒に暮らす、一緒に食べる。
ココに本来の二人というドアのKEYがあるのだと
最近ラブ・シャックに越してから良く思うようになった。

Miss Independent ♪
今ラブシャックを満たしているメロディー
iPadに目をやると2:23秒を経過したとこだ。

独りでも楽しく食べて過ごせるのだが、でも、
やっぱり二人で食べたいのだ。そういう気持ちが
僕の心にしっかりと根を張ったのはいつの頃からだろうか・・・
青一面の空の中から富士山がひょっこり覗く景色が
キャンパスとなるリビングで初めてノゾミに
パスタを作った時からかもしれない。

二人ご飯は簡単でいい加減なものだけど、それが良い、
僕はもう形、手順や調理方法にコダワルのをやめた。
その時その時を楽しむのが二人ご飯なのかもしれない。

今日のキムチ鍋(?)はこういった具合に出来上がった・・・

・ネギをあらかじめ焦げが付くぐらいに炒めておく。
・鍋にオリーブオイルとニンニクをいれニンニクを軽く炒める。
・そこにキムチを大量に入れ、キムチを炒める。
・で、鍋に入れる野菜(この時は春菊とにんじん)をキムチと
 絡めてさらに炒める。
・白みそと赤みそを適度に混ぜて予めお湯でといてから
 鍋にそそぐ。
・そしてコチュジャンも適度に混ぜてお湯でといてから
 鍋にそそぐ。
・手元にあった酒の粕と飲んでいたウイスキーを適当に入れる。
・忘れていた豚肉を鍋に入れる。
・さらに忘れていた賞味期限ぎりぎりの豆腐を入れて弱火で煮る。
・最後に最初のネギを入れる。

適当極まりなくロジックもない料理、
その場のインスピレーションで動的に構築されていく味、
その危うさと儚さからだろうか、「アイ」を感じてしまう。

これがどうと言う事ではないが、
僕等の忘備録としてここに記しておこうと思う。
自分の脳の性能に頼ることは、ややリスク、と言う事だ。

僕は忘れていた、もう一つ隠し味?があったのを。
切った野菜の一つがハートの形をしているのだ。そう、
見つけた人には幸せが訪れるというあの、例のハートだ。
ノゾミがハート型に切り、ノゾミが見つけて
ノゾミがデイジーの様な控えめでも色に満ちた笑みで喜んでいる。

身も心も温まったのはカプサイシンのお蔭ではない。
NEYOのお蔭でもないだろう。

今はMiguelのAdorn (feat.Wiz Khalifa)[Remix]が部屋を滴る。

なにも僕の意識や思想によってかき集められたMonoだけが
ラブ・シャック(LS)というリアルを帯びた空間に
集まるわけではない。 iTunesというブランド化された
プラットフォームのサービスの一つに集まる無形知的財産の
「感性」されたメロディーが集まる不協和音コレクションもそうである
もちろんこれは僕のリンゴIDの名の下によるものだけれども。

今流れているのは「双頭の鷲の旗の下に」
Byベルリンフィルハーモニーを率いるカラヤンによるもの。
1:24秒を過ぎたとこだ。

僕らは暇さえあれば音楽を流し、
FUNを助長するために音楽を流し、
心の傷ついたウロコをかばう為にも音楽を流す。
それを癒しと言うのかは僕には分からないけれども、
少なくとも過去から逃げずに、
今与えられた時を謳歌しようとしている事は確かだ。
力強い歩みと望みと共に。

ハンガリー帝国軍(もしかしたらペルシャとオーストリアかもしれない)
の士気をあげるのと僕らの気持ちをアゲるのとは
近しい、いや、同じバイブスらしい。

そう、僕らは、いや少なくとも僕は数少ないが質の高い
(それはある角度で時として深い) 失敗を何度かしてきた。
でも僕は言い切れる、間違いや過ちではない、失敗なのだ。
失敗によって残念に思う事は多々あるしキズもついた。
それにより多くの人々や大事な人を負傷させたのも承知だ。
けれども僕は少なくともそれを学んで今を楽しもうとしている。
ニンゲンハレキシヲクリカエサナイ、を強く信じている。

目を閉じるとカラヤンが観客を巻き込んでいる。
この場を支配する能力を僕は羨ましく思う。
そしてその指揮に立つまでの苦労と、負ってきたキズが
ひらく時の痛さをかみしめているのが奏でとなる。

そう、僕はカラヤンの指揮するオーケストラしか聞かないのだ。
(しか、といえば嘘になるけど、好きだと言う事)
どれぐらいカラヤンに気を委ねているかはまた別の投稿で
話をさせてもらうと思う。

さて、今日も突き進もう、カラヤンのRadetzky-Marsch,Op.228
が部屋をビショビショに満たしている。

流水解凍が終わった枝豆を口にし、僕の空腹を和らげる。

LS-ProjectionClock

時間の流れに逆らうのをやめて、
流れの一刻一刻を確かめ楽しもうとする。
これが歳を取った証拠だと気付くのはつい最近の話で、
僕はなんとかそれを肯定しない様に時間を食いつぶしている。

食いつぶす割にはここ「ラブ・シャック」(最初の投稿を参照下さい)
にはトケイというモノが無い。いや、もちろん携帯やテレビなどで
トキは確認出来るから・・・必要か?と問えば疑問だが、
この21世紀と言う世の中では住居というモノにトケイがあるのは
常識の様な感覚で満たされている。

「なんかさ、普通の時計は欲しくないよね~」

ノゾミが放つ悪気のないプロポーザルは
心地よい干したての羽毛布団のようなプレッシャーとして
僕の耳に届き、アラインされているのが前提で話が進む。
僕はただ頭をしっかりと縦に振る。

二人が雑貨屋でアンテナを張り、ピンガーを打って
標的を捉えたのがこの「PROJECTION CLOCK」であった。

天井や壁にLEDライトを活かして時刻を投影するトケイ。

表現方法は面白いのだけど、時計としては普通の時計・・・
でもノゾミはそのトケイを観て楽しそうにしている。
そんな彼女の姿を見た時には、僕の中では既に
そのトケイはもう「普通の時計」ではなくなっていた。

お~きなっあかるいっ新とけいっ♪
らぶしゃ~ぁっくのぉ~とけいぃ~♪

天井に照らされる大きな時計。
千と千尋風に言うと・・・・・・アマテラスオオノトキ。
ハクこと「ニギハヤミコハクヌス」とちょいとお友達的な。
ダメかしら?

今日も少しねじが外れていたようだ、
僕はこうして歳をとりオジサンと化す。

ラオウが脳裏に囁く、「身体を愛えよ、トキ・・・・・」

P.S. 僕はこのプロジェクションクロックが映し出す
トケイのデザインが好きだ・・・・まるで
バック・トゥー・ザ・フューチャーのようだから・・・。

ココ、LOVE SHACKの住人で「Bam Books the Heritage」の
ターンテーブル(前投稿を参照下さい)を楽しんでいるのは
何も僕らだけではない。

ターンテーブルの隣でひっそりと何か言いたげにタタズミながらも
リクエスト(と言ってもまだレコードという代物は3枚しかない)を見守り
その奏でを耳のドラムに受け取るのはバロンもその一人である。

ここでいうバロンは「耳をすませば」のバロンであって、
「猫の恩返し」のバロンではないんだ。月島雫が書いたという
コンセプトで仕上がったバロンとは違うのだよ、バロンとはっ!
(ややシャア風な)とガンダム再放送世代の僕の心は燃え上がる。

朝日やスポットライトがバロンをかすめる度に彼の目が潤む。

「遠いものは大きく、近いものは小さく見えるだけのことだ」

彼を見ていると今でもバロンの風に乗せた声が聞こえてきそうになる
いわば人形に思い入れを入れるアラフォーのおっさんは
十分まともでない事は僕もわかっている。

「飛ぼう!上昇気流をつかむのだ!」

これはノゾミからのクリスマスプレゼントなんだ。
ノゾミは僕がまともでないおっさんなのをよくわかっている、
だからバロンを見るたびに、ノゾミと
子供の頃からの憧れを忘れていない自身の心に感謝している。

僕の認めたくない部分の事実。

恐れる事はない。バロンがそう囁く
レコードの擦れた音色と共に。

LS-Turntable

そう、僕はその爆撃機をプレイする本体が必要で
色々と都内中足を運んで探したのだけど、
思っていたよりもターンテーブルとの出会いと、
僕の意識がその出会いに決断を下すには
そう大して時間はかからなかった。

二子多のドッグウッド?だっただろうか、名前はもう忘れたが
とある雑貨屋の片隅に眠たそうな猫が横たわるように
それはくつろいでいた。

擦れたJAZZの音色を心地よく響かせながら、
そのポップ de クラシックな色とデザインが僕の目を魅了する。
その眼を閉じて・・LOVE SHACKでLOVE SHACKをプレイする、
そしてこのターンテーブルの存在感を想像してみる。

ただただ楽しそうだ。
この気持ちだけを大切に胸にそっとしまい、買う事に決めた。

店を出た時の僕らの吐く息は、もう真っ白だった。
ラブシャック♪ ベイベー ラブシャック♪

イベント広場では子供たちが簡易スケートリンクにて
声を張り上げている、頭の中のターンテーブルが
その声を掻き消すくらいの音量でプレイしている。

【ポータブル式ターンテーブル"Bam Books the Heritage"】
回転数は33、45、78rpm、その昔のレコード(LP/バイナル/ドーナツ盤、何とでも呼べばいい)にも対応している。なので家に眠っているレコードを再び楽しむことができる。 レトロな外見とは裏腹に、USB接続やSDカードスロットルを介してレコード音源の心地よいアナログ音をPCなどに取り込むことが可能(フォーマットはMP3)。 レコードの空気感を携帯プレーヤーでいつでも楽しめる。 さらに、ケースの上蓋部分がスピーカーになっているので、これ単体で音楽を楽しめるほか、ライン接続で様々な機器(そうiPhoneとか)と繋げるのも特徴。もちろん針は交換可能。 デザインも優れているのでインテリアアイテムとしてもOK(でもやっぱり置いてあるだけではもったいない)。持ち運びしやすくセッティングも簡単なので様々なシーンに持ち出すのも良いかもしれない。
[製品仕様]◇ブランド:Bam Books the Heritage◇サイズ:タテ20cm×ヨコ42cm×高さ17.3cm◇重さ:4.1kg◇対応音源:レコード、USB、SDカード◇回転数:33、45、78rpm◇対応レコード針:Vestax社VR-1SS (約1000時間の再生を目安に針交換をお勧めしております。)◇対応USBメモリー、SDカード:512MB~8GB フラッシュメモリー◇USB仕様:USB2.0フルスピード ホスト(USBハブ非対応)対応フラッシュメモリー◇互換性:MPEGオーディオ1、2、2.5とあり◇エンコードビットレート:128kbps◇サブフォルダーネスト:8レベル◇最大トラック数:999タイトル◇付属品:ACアダプター、3.5mmプラグコード、ドーナツ盤用センターアダプター

ノゾミが二子玉川のカラオケBOX
(名前は忘れたが「たまゆら」と言う居酒屋の上なのは確かだ)
で、軽快に声を弾ませて歌っていたのが記憶に新しい・・・
そう、その音のポップさとは対照的なバンド名、
きっと僕よりも若いノゾミは それがベトナム戦争で「死の鳥」と
呼ばれていたというのは 彼女にとってはドウデモヨイ事なのだろう。
脳裏に残る彼女の歌声がそれを実証している。

LOVE SHACK♪ Baby LOVE SHACK♪
http://www.youtube.com/watch?v=leohcvmf8kM

この一月に新居を構え、その住処をラブ・シャックと命名した。
誰もこれを憶える必要はないし、知る必要もないが、でも
本音は知ってホシイのだが、何故だか
「家に帰る、家に帰ろ」というフレーズには寂しさがつきまとうので
「LOVE SHACKに帰ろ」とリフレイズすることで
それとなく「意味のある目的地」の様なプロポジションで
虫の居所を押えたのだ。

LOVE SHACKには脳裏の本人もいることだ。
そう、ノゾミの声で煩いぐらいにループされるラブシャック。

仕方がないのでバイナルを買い、たまにPLAYする事とした。
彼女の歌声を掻き消したいのではなく、
多くの意識達がいずれこのLOVE SHACKに
引力によって引き寄せられるがごとく集まる事になるからだ。

僕はこれからその意識を紡ぎ取っていくのだろう、
そしたら僕もマワリの大事な人達ももう少し
僕の事が分かるかもしれない。

僕はもうボクと呼ぶような歳ではないけれども。