愛知県豊田市の隋應院

                         浄土宗 極楽山隋應院

文明十一年(1479)松平親忠公の発願により、大樹寺開山愚底上人の
弟子、専臖儀運上人が開いた、隋應院はかって七堂伽藍を有した大寺院「勧学院文護寺」の後に建つ。
同院第四世魯道上人は、家康公が亡くなった際の大樹寺第十七世住職、駿河城の枕元で遺言を直接聞いたとされ、四十九日の法要を勤めた後、再び同院に戻ってきたとの記録が残る。


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