本日(4/13) BSで放送の ドラマ≪大王世宗≫
第63話 を是非ご覧ください と
明の永樂帝(朱棣)の元へ 〝貢女”として献上され 。。。。。
皇帝の寵愛を受けたものの、皇帝の死後≪殉葬≫された悲劇の朝鮮女性
≪麗妃韓氏(清州韓氏)≫ の姿が ドラマの中で
チャン・ヨンシルとの儚い悲恋の女性ダヨンとして描かれています。
その、悲しい最後を是非ご覧くださいと予告いたしました。
放送後、幾つか 「悲しかった~」
「歴史を知って観たら、一層悲しかった 」 と
ご感想のメールなど頂きました ホント悲しかったですね
悲しい63話 詳しくは 前回の コチラを → 麗妃韓氏
こんな 〝非人道的な残虐な行為”が この時代に有ったとは
≪中国での殉葬≫
生贄のような供物として ・・・ と言うのは新石器時代頃から有った
ようですが、 このような殉葬の風習は 中国では古くは 。。。
殷の時代(紀元前1600年~紀元前1046年頃)より有ったと伝わり
殷の王族や貴族の墓からは、多くの副葬品の他に大量の人骨が出
てくることが多く、これは被葬者に伴い埋葬された殉葬者とみられる。
死後の世界でも被葬者を守り 仕える為とみられる。
( 今の私達には到底理解できない事ではありますが、当時の風習として
神に近い、または神そのものの存在であった被葬者と共に葬られるのは
一種の名誉なことで有ったのかもしれません。
殉葬者の親族には多大な恩恵を与えられたとの記録も有るようです。)
≪朝鮮半島での殉葬≫
朝鮮半島でも〝伽耶(3世紀~6世紀中ごろ)”の44号古墳などから
殉葬の跡が見られます。
伽耶での殉葬の風習はおそらく北方遊牧民族系の文物を持つ「金海
型木槨墓」に現れ始め、人及び馬・鳥を殉葬するようになり、新羅でも
行われたと思われます。 しかし6世紀にはいると新羅の風習も終わり
となったようで、大伽耶の殉葬の風習も同じ頃終わりを迎えたと思われ
ます。
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難しいです。 中国の殉葬の風習が正確にはいつ頃消えたのか
詳しく解りませんが (お教えいただけると嬉しいです )
この ドラマ≪大王世宗≫ 63話に こんな説明が
(字幕では 触れられていませんが こんなことが書かれています)
(ドラマのキャプチャーから 下のハングル部分の説明です)
殉葬: 死者に伴い生きた人を共に埋葬した事。残忍な風俗とされ
周国以降殆ど無くなったが、明朝に一時復活していた。
これが気になって (笑)
明朝のどの時期にどのくらいの者が殉葬されたか?
明朝のどの時期に 殉葬が廃止されたのか?
この二つだけ 調べてみました。
明国 始祖(太祖:洪武帝 朱元璋)
(画像出元: 国立故宮博物院所蔵~wikipediaより)
1328(天暦元年)10.21生~1398(洪武31年)6.24没 享年71歳
(在位: 1368.1.23~1398.6.24 在位31年)
妃嬪と宮女 46名が 殉葬となる。
洪武帝(朱元璋)詳しくは コチラ → 明太祖(洪武帝)
第二代皇帝 (恵宗:建文帝 朱允炆)
洪武帝の長子朱標の次男として生まれる
1378(洪武10年)1.12生~1402(建文4)?.?没 享年24歳
(在位: 1398~1402 在位4年)
40人くらいの妃嬪と宮女が後追い自殺 (殉葬とは異なる)
(燕王(後の第三代皇帝永樂帝)が皇宮に侵入すると共に)
第三代皇帝 (成祖:永樂帝 朱棣)
(画像出元:위키백과 より)
当初廟号は 「太宗(国を平定させた皇帝に与えられる廟号)」とされたが
12代皇帝(嘉靖帝)の時に改称された。
洪武帝の4男として生まれ、燕王に冊封される。
1360(至正20年)5.2生~1424(永樂22年)8.12没 享年65歳
(在位: 1402~1424.8.12 在位22年)
約30人の妃嬪・宮女などが殉葬される。
この中に あの仁粋大妃の伯母である「麗妃韓氏」が含まれる。
永樂帝(朱棣)詳しくは コチラ → 永樂帝と麗妃韓氏
この後 。。。
第4代皇帝 (仁祖:洪熙帝 朱高熾)
永樂帝の長子
妃嬪 5人が殉葬 される。
第5代皇帝 (宣祖:宣徳帝 朱瞻基)
洪熙帝の長子
妃10人 殉葬 される。
第6代皇帝/第8代皇帝 (英宗:正統帝/天順帝 )
1427(宣徳2年)11.29生~1464(天順8年)2.23没 享年38歳
在位 : 1435.2.7~1449.9.1
復位 ; 1457.2.11~1464.2.23
途中、〝土木の変”でオイラトの捕虜になり、代わりに 1449~1457
の間弟が第7代皇帝代宗:景泰帝 の位に就くが 1457年『英宗復位』
この英宗(天順帝)が死ぬときに ≪殉葬の廃止≫を命じます。
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明朝の時、一時的に復活されていた〝殉葬”の風習は 。。。
この ≪第6代/第8代皇帝:英宗の時に廃止≫ となったワケですね
悲しい ダヨンが殉死となった1424年から ちょうど40年後でした。
ダヨンとヨンシルの 悲恋
実際に記録は無く 仮想の物語でしたが 。。。
悲しい≪麗妃韓氏≫ 皇帝の寵愛を受け、韓確を始め実家一門も
明より厚遇されていたそうです。 悲しい最期ではありましたが、
きっと愛する皇帝の傍で、天国でも愛されて暮らしたと信じたいですね。
今回も 韓国史劇のお蔭で とっても楽しく
≪史実≫を掘り下げることが出来ました。
まだまだ未熟な ≪自称歴女≫Marcall 今回も
韓国史劇に 感謝感謝 です。
文責はMarcallにあり、 確実なものではありません。
間違い等お気づきの点がございましたら、
どうぞお知らせくださいませ。 修正追加もあるかもですが
お気軽に 楽しいコメントおねがいしま~~す。
ご理解の上、今回も画像も含め転記転載はご遠慮ください