朝鮮王朝史にすっかりはまって4年が過ぎ、いろいろ探って(笑)いる内に
あれってあの時のと思うことがたくさん出ています。
以前ほかの事で調べて出てきた「事柄」がまたここにとなると
。。。どんどんどんどん繋がって本当に面白くて興味が尽きません
元気をたくさん貰える韓国史劇に今日も〝感謝”しつつ 。。。
今日も ひ・と・つ
。。。。。。。。。。。。。。。。
李朝鮮王朝における 「王の側室の最高位○嬪」について
深く追求してきましたが 。。。
朝鮮王朝において≪王の側室以外に○嬪が存在≫した事、皆様ご存知ですか
きっとハッとなさる方も多いと思いますが 。。。 同じように、
〝世子である夫を早く失ってしまった” あの≪有名な二人の世子妃≫
について まず書いてみようと思います。
一人目は
朝鮮王朝第7代王:世祖の長男であり早くして亡くなった「世子:桃原君」の妃
。。。 つまり、後のあの 『仁粋大妃』 です。
ドラマ「インス大妃」より
どのような生涯を送ったか、簡単に
・ 当時中樞院使であり、明国から卿号を下賜されていた政道家韓確の末娘として出生
父の姉妹2人が明の皇帝の側室に。 韓氏の下の姉は世宗の庶子桂陽君に
嫁ぐなど名門の家柄であった (1437.陰9.8生)
・ 当時の病弱な王文宗と幼い世子を支える重臣金宗端と対抗するため、首陽大君が
秀でた政道家である韓確と手を組もうと政略結婚を結んだといわれますが、聡明な
この嫁と桃原君はとても仲睦まじかったようです。 (1450年13歳で婚姻)
・ 1454年 長男(後の月山大君)出産
・ 1455年 義父首陽大君が王即位に伴い、桃原君→義敬世子・王世子嬪となる
・ 同年長女(後の明淑公主)、1457年次男(後の9代王成宗)を出産する。
(義父母に対して孝を尽すものの、息子たちには強い怖い母であったため
義父である世祖たちに「暴嬪」と別名で呼ばれたとの話もありますが~
これはあくまでも別名のようです)・・・ドラマの中の「インス大妃」の姿に繋がる
・ 1457年父韓確の死に続き、夫(義敬世子)が20歳の若さで病死すると、
それまで世子妃として宮中で暮らしていた孝行嫁を、不憫に思った義父世祖は
韓氏に≪貞嬪(정빈ジョンビン)後に粹嬪 (수빈スビン)に変更≫という称号を与え、
そのまま宮内で暮らすよう言いますが、韓氏は宮を出て子供たち育てると。
世祖は亡くなった世子の祠堂の横に特別な家を建ててあげたそうです。
それが・・・まさにあの「徳寿宮(トクスグン)です。
(次男が成宗即位すると生母である韓氏は宮中に移り、その後が兄である
月山大君の居所となったそうです。月山大君の居所として建てられたと学んで
来ましたが、そもそもはこうだったのですね~~ 一つ勉強になりました)
。。。 粋嬪→昭恵王后(仁粋王后)→仁粋大妃→仁粋大王大妃
となりますが、 こちらを詳しくはまたの機会に
このように その一人は
≪後のインス大妃である韓氏≫が夫の急死後
義父王世祖から贈られた 『粋嬪(수빈スビン)』 でした
二人目は 。。。 こちらこそ皆様よくご存じ
22代王正祖(イサン)の生母であり、無念の死を遂げた「思悼世子」の妃
恵慶宮洪氏。。。『恵嬪(혜빈ヘビン)』 です
ドラマ「イサン」より
画像変更 前画像は「龍袍」着用のモノでしたが・・・
この龍袍とは〝正式に王后となった者″に許される服です。
実際には、息子イサンが即位後母を王后に追尊しようとしましたが、
周りの反対も強く、出来ませんでした。結局夢は叶わずイサンは死に
その夢はずっと後、26代高宗代に「父母とも王・王后追尊」となりました。
母恵慶宮は存命中は胸・背・両肩にある丸い龍の有る王后の服は着て
おりません。ドラマでもこのような服装でした。 (訂正)
その生涯を簡単に (インス大妃の生誕から約300後)
・ 1735.陰6.18 洪鳳漢の次女として誕生。
14代王宣祖と継妃仁穆王后の娘、貞明公主の息子の子孫である家柄
つまり広く言えば王族といえる、更に当時の最大勢力老論派の家門からの
父王英祖にとっては理想的な嫁でした。
・ 1744年10歳で、同年の世子に嫁ぐ。
・ 1750年長男を生むが1752年早死。亡くなって間もなく次男(後の22代王
正祖)を出産。
・ 1754年、1756年 娘二人を生む。
・ 1762年 「辛午士禍」による夫世子の死(米櫃死事件)。
後に、それを深く悔いた英祖は息子に「思悼世子」という諡号を贈る。
世子妃である洪氏には『恵嬪(혜빈ヘビン)』という称号を与えました。
。。。 正祖即位し「恵慶宮」→死後「獻敬嬪」→1899「獻敬王后」に
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共に 若くして亡くなった最愛なる我が息子(世子)に対する愛と
その息子の忘れ形見せある孫たちを抱えて生きていく≪嫁≫に対する
王たちの ≪愛であり、深い悲しみであり・・・懺悔≫でもあった
気がします。
王であっても、一人の人間であり父であることには変わりありませんよね
ドラマの中でもよく出てきますが こんな言葉
「もしも私が、ただ一介の男であり 夫であり 父であったなら
どんなに幸せだったであろう 。。。 」
そんな嘆きが聞こえるような気がします。
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今回も 長々とお読みいただきありがとうございました。
。。。 まだまだほかにもあるんです ≪○嬪≫
それでは 次回 ≪まだまだ、こんな○嬪が≫ と
李朝の前の時代「高麗の名残」がこうして をまとめて
皆様、どうぞもう少しお付き合いくださいませ~
それでは、ちょっと頭を冷やしま~す
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