2018年7月25日、8年間患っていたバセドウ病が亢進の心配なく寛解したことがわかりました。
専門医からは「完治」とは言えないようですが、アイソトープ後の再発や再燃は稀なので心配はないそうです。



思い返すと2010年、当時21歳で大学3年生の終わり頃。
体調不良が続き、特に手の震えに悩まされていました。やばいアル中かもー!なんて呑気に笑っていた若かりし頃(笑)
38℃前後の熱、頭痛、腹痛、吐き気、動悸、振戦、気づいた頃には1ヶ月以上も続いていました。緊急で血液検査をしてもらい、甲状腺に異常があると言われ紹介状をもらい大学病院へ。
検査の結果バセドウ病の診断、2度目の検査結果はバセドウ病と亜急性甲状腺炎の併発、3度目の検査結果はバセドウ病と橋本病の合併と言われました。
バセドウ病は甲状腺機能亢進症、橋本病は逆に甲状腺機能低下症なので本来なら合併なんてありえません。
訳のわからない薬を何十錠も処方され、薬の副作用もでました。薬疹の副作用がでて救急で診てもらい、本来なら薬の変更をするはずが病院側から肝機能には問題ないため薬を飲み続けるように言われた数日後、全身のつよい痒みと痛みで目を覚まし自分の身体がいつもの倍に腫れあがっていたあの光景は今でも忘れません。

一向に良くならず、このままだと殺されると思い(笑)甲状腺専門の病院に転医し最終的にバセドウ病と診断されました。
甲状腺の薬は排出しやすく吸収しにくいため薬が効くのに時間がかかります。誤診断と副作用により、私の身体は日に日に弱っていました。
常に身体が全力疾走しているのと同じ状態で。3日で5キロ減ったこともありました。毎日安静にしていても、寝ているだけで動悸に苦しむ日々。布団から起きあがれるようになっても、また動悸。何歩か歩けるようになっても、すぐ動悸。やっと外に出れる、そう思っても動悸のせいで玄関先でうずくまる日々。大学行きたくて友だちにも会いたくて、やっと行けると思っても通学途中で何度家に引き返したことか。

自分の死期は自分でわかるって言うけど、あれ本当だと思う。いちばん体力が落ちて数ヶ月間寝たきりの状態のとき、夜眠る前このまま目覚めなかったらどうしよう、って怖くて泣きながら寝た。朝起きて、目が覚めたとき生きてるよかったって起きた瞬間安心して枕を濡らした日々があった。

なんで神様は私のやりたいこと全て奪うんだろう、そう思ってた。高校生の頃から既にバセの症状はでていて。一番大事な夏の大会期間中、学校で倒れ、ホール練で倒れ、合宿で倒れては病院行き。プロのレッスンも受けて、全国大会で審査員特別賞も受賞して、ただただ楽器続けたくて音楽推薦で大学受験しようとしていたけど、医者から諦めるしか方法はないですねって言われて毎晩泣いてた。
それから社会福祉士になろうってみつけた夢もバセの発症が被り、国試どころか大学卒業も危うかった。
最後の1年、とてもじゃないけど大学に行けるような状態ではなくて。出席日数なんて全然足りなかったけど、それでも卒業させてくれた先生たち。

福祉職に就くことも諦め、身体をいちばんに考えて受付事務に就きながら4年間かけて1日6錠の服薬を1錠まで減らして。最後の1錠になって喜んだ2014年。この最後の1錠をなくす事がどれだけ大変かわかっていたつもりだったけど、想像をはるかに超えて過酷でした。
間隔1錠に減らせたのは2年後の2016年1月。主治医から、チャレンジしてみる?の問いかけに迷わず頷いた。待ちに待った減薬が嬉しくてうれしくて仕方なかった。だけど、闘いはここからだった。
強気で挑んだ4月の定期検診後、悪化が発覚した7月。これ以上、薬物治療を続けても悪化のリスクも再発のリスクも高いと知りました。
6年に渡る服薬治療で身体に負担がかかっている点と、常に副作用のリスクがある事。
自分自身の身体と将来を考えてアイソトープ治療に踏み切った9月。初めてのMRI、眼底検査、食事制限、核医学検査、PET検査。それから治療効果を出すために2週間服薬を中止した影響で亢進症状も強く出たし、なによりアイソトープ後の味覚障害も辛かった。
アイソトープ治療の2〜3ヶ月目って治療効果で一時的に低下症の症状が出やすいんだけど、心配して損したほどホルモン数値が基準値で。
無事仕事復帰できたのが12月。快気祝いに復職祝い、本当に有難くてありがたくて感謝でいっぱいでした。
年が明けた2017年1月、運気万全だと思っていたんだけど、アイソトープ治療から4ヶ月が過ぎた頃から少しずつ亢進症状が出始めて。また自宅療養するのは私自身が嫌だったんだけど、日に日に酷くなる動悸、頭痛に腹痛、微熱、今まで手指振戦だけだったのに足の振戦も加わり、おまけに貧血で目の前が真っ白になり道端でうずくまったあの恐怖は二度と忘れません。そんなこんなで訪れた2回目の自宅療養。
アイソトープ治療後は薬が効きやすく、服薬の量はそんなに増やされなかったけど1ヶ月で復職できたのが不幸中の幸いでした。
その後も服薬をしているとホルモン数値が低下気味になってしまったり、服薬を中止したら今度は亢進気味になってしまったりと、亢進と低下を繰り返していたんだけど。本来ならホルモンが下がったことにより低下症状がでてもおかしくなかったみたいなんだけど、主治医が驚くほど症状もなくて。

アイソトープは1年くらいかけてと主治医から説明があったので、私のなかで9月くらいを目標にしていたんだけど。
ちょうど1年が経った定期検診で、去年は耐えられなかった間隔1錠で基準値をキープできて。アイソトープ治療から1年後、2度目の服薬中止を迎えました。
1回目の服薬中止で見事に亢進気味になったので、嬉しいはずの服薬中止も2回目は構えてしまって。お薬を中止すると、どうしても薬で抑えている分亢進症状がでてしまうみたいで、それが一過性のものとそのまま悪化してしまうのに別れるらしく、どこまで我慢していいのかが本当に難しかったです。

そして服薬を卒業して1年が経った今日。無事ホルモン数値が基準値を保てており、もう亢進の心配はないよと主治医。この異常気象の猛暑のなか、8年かけて克服することができました。



治療がうまくいってなかったとき、連絡をくれた親友。
禁煙のためにニコレットをくれた恩師。
お見舞いに桃もリンゴも送ってくれた。
定期検診が嫌で憂鬱で行きたくないとき、頑張れって背中を押してくれるHEROがいた。
薬が減った報告に一緒に喜んでくれる友だちがいた。

病気にならなかったら、健康な身体だったら、音楽推薦受けて全然違う人生歩んでたのかなって。バセ発症してなかったらあのまま福祉職就いてたのかなって思うときがある。
だけど病気にならなかったら、DCUとも出会えなかった。KANTOにも就職してなかった。今の会社にも出会えなかったと思う。

こうと決めたらそれしか見えなくなって突き進んじゃう、おまけに頑固な性格だから、こんな道もあるよって、きっと神様が教えてくれたんだよね。

朝目を覚ますことができること。
布団から起きあがれること。
自分の足で歩けること。
ご飯が食べられること。
話すことができること。
くだらないことで笑えること。
友だちに会えること。
学校に行けること。
働けること。
生きているということ。

何気ない毎日がこんなにも幸せなことだって、きっと病気にならなかったらわからなかったと思う。
バセになったことで自分の人生恨んだこともあった。治療もなげやりになったし完治を諦めたこともあった。
治療はときに孤独で、バセドウ病は間違いなく今までで一番辛かった。
だけど、バセになったおかげでたくさんの出会いがあった。意味のないことなんて、ひとつもなかった。失ったものもあったけど、それ以上に得たものの方が多かった。

同じ病気の人と繋がりたくて始めたTwitter。バセドウ病だってこんなに元気に生活できるんだよって元気付けたくて勇気付けたくて始めたけど、悪化後いつしか励まされ、応援され、たくさんの人に支えられていました。
繋がれたご縁に深く感謝しています。



アイソトープ後、症状も治療効果も個人差があるなか、低下症になる人や一回で治療効果が得られなかった人もいるなかで、服薬もせず元気に生活できるキセキを今は噛み締めています。諦めずに信じ続けてよかったと、心からホッとしてしています。こんなに楽に夏を過ごせる日がくるなんて、本当にほんっとうに夢のようです。



病気が治ったら、絶対言おうと思ってたの。
『バセドウ病は神様からの贈り物』って。

出会ってくれて少しでも携わってくれた方、支えてくれたみんなに感謝しています。
本当にほんとうにありがとう。

完治率20〜30%と言われているバセドウ病を克服した無敵の私をこれからもどうぞよろしくお願いします★彡


2018年7月25日 Mari