わたしの祖父は、
わたしが2歳の時に亡くなりました。

祖父にとってわたしは初孫で、
めちゃくちゃ可愛がられていたそうです。
(当然ながら、物心つく前だったわたしには
その記憶は残っていませんが…)


そんなことがあり、わたしは、幼少期から
時折父にこう言われて育ちました。


「お前はおじいちゃんに守られてるんだぞ」


いつしかそれはわたしの中で
当たり前の事実となっていました。


人から見て、大成功している人生では
ありませんが、

わたしは恵まれている
運が良い

と感じることが多かったのです。

これはおじいちゃんが守ってくれてるからだ

自然とそう思うようになり、
記憶にない祖父は
生きていた間よりも
亡くなった後の方が
近しく感じられます。


声が聞こえたり、
姿が見えたり、
気配を感じたりはできませんが、
ずっとわたしの側にいてくれてる
というのはもはや確信レベルです。


もしかしたら、
これがわたしの死生感の土台なのかなと
思いました。


人は死んでもいなくなるわけではない。
むしろ、物理的な肉体がなくなる分だけ
近しくなる。

これがわたしの体感。


近しい人が亡くなった時の感情は、

悲しい

ではなく、

寂しい。

それは、物理的に会えなくなっちゃうから。


昔から、人が死んだとき
何故あんなにもみんなが悲しむのか
正直わからなかった。
わたしはみんなみたいに泣けなかった。

わたしは冷たい人間なのか、
あるいは、
近しい人を亡くしたことがないから
わからないだけなんだと思っていました。


でも、そうじゃなくて、
きっと、この死生感の違いなんだと。



恥じる必要も、責める必要もない。


自分の感じることを、大事に。