クリエイター女子の“My Favotite Thing” -2ページ目

クリエイター女子の“My Favotite Thing”

ライター・編集の仕事をする40代女性が、日々のできごとをラフに綴ります。ロック、映画、インテリア、おいしいものなどが好きです。

 久々の更新です。

 

  1月中旬から、とにかく駆けに駆けてきたような.....。

 

 バレンタインがやっと落ち着いたと思ったら...

外はまだ寒くてたまらないのに、春商戦が始まり、

ファッション、宝飾品、インテリアなどなど、原稿を

作成しても作成しても仕事が入ってくる状態で....。

 

 深夜帰宅で、土日も家に仕事をお持ち帰り....

という日々が続いてました。

 

 でも、それも先週の半ばにひと段落つき、

先日の土日は仕事のことを考えなくていい、

休日を過ごせました。

 

 そして、本日は早いもので49日法要を

執り行いました。故人が極楽浄土にいけるか

どうかの判決をくだされる日。

 仮位牌から本位牌に魂を移し、仏壇の
開眼法要もしていただきました。

 終わったあとは、人気の料亭でお食事。

 

 金沢の名店の流れをくむこちらのお店、

魚介類を使った料理がとてもおいしいです。

  

 葬儀同様、身内のみでこじんまりと集まった

のですが、無事、この日を迎られひと段落

といった感じ。

 そして今回は、昨年11月に生まれた

弟の息子くんも来たのですが、本当に

かわいくて、みんなメロメロ。

 

 生まれて2カ月半なのに、初めて見るものに

興味深々。あちこちに視線を移して、たまに

笑って。最近よく笑うようになったのだとか。

その反面、しょっちゅう泣いてたけど(^^;

それもまたかわいくて。

 

 昨年、父の葬儀が終わってからは......

 

  仕事をしているときは、そちらに気持ちが

いってるけど、帰宅するときや、就寝のときなど

一人になった際、父がこの世の中に存在しないこと、

話しをしたくてもできないということに改めて

気が付き、人が死ぬということってこんなことか...と

しょっちゅう涙を流してました。

 

 日が経つにつれ、気持ちも落ち着き、

現実を受け入れられるようになってたけど。。。.

 

 そして今日、これから人生という大海原に漕ぎ

出そうとしている、小さな甥っ子を見ていると、

亡くなる人もいれば、新しい命も誕生して....

こうやって、人の人生というのは連綿と続いて

いくのだなとつくづく感じた次第。

 小さな甥っ子に、気持ちが慰められました。

 

 ほとんどの人が経験する親の死。

もっと幼いときや学生のときに経験されている

方もいっぱいいらっしゃるわけで....。

 とはいえ、この年になっても、親が亡くなる

というのは悲しいものです。。

 

 

 今日、49日法要までは、仕事の合間をぬって、

緒手続きをしたり、母とともに香典のお返しを

買いに行ったり....。

 

 商品券や、全員同じ...というのは嫌という母の

意向のもと、一人ひとりに合うものを準備する

のはなかなか大変でした^^;

 

 さらに、毎週土日(たまに平日)は順番に

弔問客がお越しになられました。

 

 父が在職していたころの同僚や部下の方から、

中学のPTA会長をしていたときの校長先生や

担当の先生、同じ役員の方々。

 さらには、ソフトボール審判員の仲間の方々....。

 

  線香をあげながら「大変お世話になった」と

涙を流してくださる方々が多く、有難いです。

 

 線香やお花もどんどん届いてます。

 

 

 父と小学生のとき、よく遊んでいたという幼馴染や、

PTA会長をしていたときに、PTA担当をされていた

先生から丁寧なお手紙までいただき、父が多くの方と

良い友好関係を築いてきたということを、

今更ながらに知りました。

 

 また、私の大学時代の友人から、お線香が届いた

ときはびっくり。

 卒業以来、年賀状のやりとりしかしてなかったのに....。

 

 お礼の電話をしたところ、彼女のお父様も、

10年前に癌を告知されて2カ月後にお亡くなりになった

らしく、線香は必要なものだからとのこと。

 

 確かに、線香は毎日あげるし、必要なもの。

私も、これからそういうことをさっとしてあげられる

ようになろう...と学んだのでした。

 

 電話もかなりかかってきたし、さすがに母も

疲れてきてる様子^^;でも、葬儀は家族でゆっくりと

あげて、そして、弔いたいと心から思ってくださる方に

線香をあげていただくことは、こんなにも心に染み、

有難いことなんだと改めて感じる今日このごろです。

 

 さあ、また明日も仕事だ!

 前を向いて頑張っていかねば!

 

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 先ほどから雪がしんしんと降り続けています。

いよいよ、本格的な冬到来。

 

 昨日は友人のライブを楽しんだあと、

自宅最寄駅に到着したら、雪が積もって真っ白な

景色が広がっていたのでびっくり。

 バスは終わっているし、タクシー乗場には

行列ができているし...。

 

 意を決して、家まで歩いて帰りました。

さ、さむい!そして、こわい!

 比較的、雪が新しく積もったところを選んで

ざくざくと歩いていたけど、誤ってアイスバーンに

足を踏み入れ、つるっとすべって尻もちを

つきました。

 

 ひとつだけ良かったのは、

深夜24時を過ぎていたけど、同じような

状況の人が多く、歩いている人が結構いたこと。

心細くなかったのが幸い。

 

 しかし、明日、バスも電車も動くんだろうか?

会社に行けるのだろか?

 朝からクライアント先で大切な打合せなのです。

 

 さて、今年は1月4日に仕事がスタート。

2週間ぶりの会社だったので、定時より1時間前

に出てメールチェック。

 なんと201通、たまってました(><)

 

 1通ずつ開封し、必要そうなものだけさっと

目を通し....なんとなく、仕事の現況をつかんだ

ものの、なかなか頭が働かず。。。。

 エンジンがかかるまで少々時間がかかりましたわ。

 

 その後、社長をはじめとする取締役の方々や

お花や弔電を手配してくださった総務の方々に

ご挨拶。

 

 こうしてわたしの1年が始まりましたが、

バレンタイン関連の追い込みとともに、

春に向けての仕事がどんどん入り、打合せ、

打合せ、残業、残業の日々。

 

 気がついたら、もう1月も半月が過ぎて

いました。時間が経つのって、早い。。。

 

 

 そして、先週の休みには母とふたりで久々の

お好み焼き。ホットプレートに2枚だけ。

 

 昆布とかつおのだしで下味をつけた

生地に山芋とキャベツと天かすをまぜて。

具は牡蠣と豚肉だけのシンプルお好み焼き。

 えびと豚肉のバージョンも。

 

 個人的にはおもち&キムチを入れるのが

好きなのだけど。

 

 父は闘病生活の最後の一年、

やたらとお好み焼き作りに凝り、休みのたびに

「今日の予定は?お好み焼き食べない?」と

誘われたものです。

 

 焼き時間、蒸し時間、ひっくり返してから

の時間にとてもうるさかった。

 今回も、それを忠実に守りました。

 

 この一年、ことあるごとに父の写真を

撮っていたのですが、亡くなった直後にプリントして

アルバムにとじたら、お好み焼きを焼いている姿が

かなりの割合をしめてました^^;

 広島焼き、もんじゃ焼きのときもあったけど。

 

 母と「本当に、これはあかん、こうしろ、ああしろと

うるさかった」と笑いながら思い出話。

 

 でもそれだけに、やはり父が焼いたお好み焼きは

丸くてきれい。私たちの大ざっぱな仕上がりとは

全然違う!

 

 

 実生活の方はかなり落ち着いたけど、

まだまだやることはいっぱい。 

 

 昨日やっと寒中見舞いを出し終わりました。

(関西は15日までお正月)

 

 4社の保険金の受け取り手続きのほか、

(死亡診断書、戸籍謄本の写し、マイナンバーカード写し、

保険証写しなどなど、必要書類が多い!)、

光熱費や通信費などの名義切り替えなどなど、

母のお手伝いをする日々。

 

 ちゅうか、ほとんど私がやってる!

 

 家のことは何でも全部やってしまう父と

一緒にいた母は、本当に甘え体質が身に

ついているとつくづく感じる次第です^^;

「〇〇ちゃんがいてくれて本当に助かるわ」

ですと。。。。

 

 まめな父と、大味な(よくいえば大らか)母。

 だからうまくかみあって、ずっと仲良く

いられたのですね。。。

 そして、きょうだい3人、誰も父の血を

受け継いでいないという。。。

 

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 ひゃ~、日が経つのは本当に早い。

あと数時間で仕事が始まります。

 

 また、4つの交通機関を乗り継いで、

満員電車にもまれる日々が始まるの

かあ....と憂鬱だけど、

食べ続けてすっかり重くなった体を

リセットするにはちょうどいいですわ。。

 

 実質、仕事を休んだのは4日。

でも、3連休やら冬休みやらで会社に

行くのは、ほぼ2週間ぶり。こんなに

休んだのは、10年前に転職したとき以来ですわ。。。

 

 少し浦島太郎状態なので、早めに出社

して、たまりにたまったメールのチェックや

同僚が引き継いでくれた仕事の現況を

把握したいと思っとります。

 

 というか、こんな時間まで起きてて、

早く起きれるのか!?

 

 さて、今年のお正月はおせち料理は

もちろん無しだったけど、年越しそばと

お雑煮はいただきました。

 

 年越しそばは、何の変哲もない感じ。

市販のえび天ぷらをのせました。

 

 お雑煮は、白味噌に金時にんじん、

この時期だけ販売される細長いお雑煮大根、

さらに丸餅。だしは昆布とかつお節でとります。

 このお雑煮を食べないと一年が

はじまりません。

 普通の食事に味噌汁のように添えて。

 

 西洋にんじんや普通の大根だと、別ものに

なってしまいます。(経験あり)

  

 そして2日目は、おすまし。

 ほかの地域のように具沢山だったり、

華やかな彩りではなく、基本は水菜とおもちのみ。

 

 昆布とかつお節でじっくりととった

ダシの味を楽しむという感じでしょうか。

 

 

 冬休み中は部屋を片付けたりしながら、

父の通院保険や死亡保険の受け取りの

手続きをするためのお手伝いをしたり、

寒中見舞いを作成したり。

 

 父が生前、母用の喪中ハガキを

出す人によって内容を変えられるよう

2種類作ってくれていたのですが、

亡くなった日が12月下旬だったので、

寒中見舞いを出すことに。

 

 内容を変えざるを得なかったのが、

ちょっと心苦しかったです。

 

 母は、市役所行ったり、戸籍謄本を

もらいに行ったり、病院に行って

証明書を書いてもらったり、

走り回るようですが、とにかく今は

動いてほしいのでちょうどよかったです。

 

 私は冬休みの最終日、東京から帰って

きていた高校時代の友人と梅田でランチ。

昔と違って、1月3日ともなれば、街には

お正月の雰囲気もなく、いつもと同じ

にぎわいですね。

 

 友人とは11月の同窓会でも会って

いたのですが、ゆっくりと話すのは

8月のお盆以来。

 彼女は医療関係の方への取材が

多いことから知識が豊富。

 

 父の闘病中も、いろいろな情報を

教えてもらい、参考にさせてもらい

ました。

 

 父の闘病中は、本当に、友人、同僚、彼氏、

いろんな方に支えてもらっていたように

思います。感謝、感謝です。

 

 さ、早く寝よ。

 数時間後には起きて、お弁当作って

出社です。

 

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  あと少しで今年も終わりです。

本当に一年は早い! 

 

 今年は私にとって忘れられない年に

なりました。

 10月にまさかの部署への異動、

そして父の永眠。

 

  父が亡くなって、1週間と少しが

過ぎました。

 

 私にとって一年で一番大きくて

大変な仕事が終わった一週間後。

 

 そして、長期海外出張が多い

長男が日本に帰国しているときに、

まるでタイミングをはかったかの

ように息を引き取った父。

 

 しかも3連休の初日だったので、

きょうだい3人とも葬儀まで、

気を遣うことなく休んで、

父との最後の時間を過ごすことが

できました。

 

 父に感謝です。

 

 釣りのほか、ギター、切手収集、将棋、

書道と趣味の多い父でした。

 

 病気になる直前は絵手紙教室や

社交ダンス教室に通ってました。

 

 

 

 さて、人の死というのは、

予期できるときや覚悟ができている

ときもあるけど、

何の前触れもなく突然やってくる

こともあります。

 

 なので、すべての方ではない

ですが、参考になる方もいらっしゃるの

ではないかという思いと、自分が

この日のことを忘れないためにも、

今年のうちに、父の葬儀について

一気に綴ります。

 

 父から『葬儀に関する遺言状』を

家族それぞれが受け取ったのが

10月26日です。

 近年よく聞く、エンディングノートの

ようなものだと思います。

 

 「私が亡くなった際の葬儀に関しては、

下記のようにして欲しい」という前置きの後、

 

1.基本的に葬式は不要であるが、

 する場合は費用をかけない簡単な

 ものでよい。

 

 にはじまり、参列者は家族のみで、

葬儀が終わったあとに、親類・知人および

関係者に別紙の一覧に基づいてハガキ

などで連絡することなどが明記されて

いました。

 

 父は65歳まで勤めた会社関係のほか、

次男が中学のときのPTA会長、

市の青少年指導員の会長、

日本ソフトボール協会の審判員、

市のソフトボール審判員会長などを

していたため、仕事関係以外にも、

長く仲良くお付き合いしてくださっている

方が数えきれないくらいいます。

 

 皆さん、父が病気と闘っていることを

知っていて、お便りやお見舞いもいた

だいていました。

 そんな方たちを葬儀にお呼びしなくて

いいのかという思いが心をよぎりました。

 

 そして、11月に葬儀を執り行うところも

決めました。

 

 最初、母が大きな葬儀場のパンフレットを

もらってきたのですが、テレビで、

高額な葬儀代に疑問を持った人たちが、

必要ないものをカットして良心的な価格の

葬儀を提供する会社を興したというのを

過去に見たことがあったのでネットで

調べて資料を請求しました。

 

 拝見したところ、とても良さそう

だったので会員登録をして、

その葬儀を扱っている葬儀場を母と

視察に行きました。

 父に、強制的に「見に行ってくれ」と

お願いされたのが実情ですが。

 

 でも後になって、一度視察しておいて

良かったと心から思いました。

 

 また、実際に葬儀を執り行って

くれるのは歴史のある古い葬儀会社

だったので安心でした。

 

 こうした準備があったのですが、

そろそろ父が危ないというときに、

母から、父が自分の希望をまとめた

一覧表を作っていたと見せられました。

 

 どのタイプの葬儀をしてほしいのか、

また、何を必要とするのか、

そのうちのどの種類がいいのか、

宗派(我が家は真言宗でした)、

寺院の手配など、事細かく記されて

いたので、葬儀の打合せのときは

本当に助かりました。

 

 実際に亡くなったときは、

葬儀を執り行うホールにすぐに

電話をして、病院に迎えに来てもらい、

速やかに安置していただくことが

できました。

 

 ちなみに、亡くなったあとは、

看護婦さんたちに体をふいてもらい、

死化粧をしていただくのですが、

審判員のときのユニフォームを

死装束にしました。

 

 きれいにひげを剃ってもらい、

死化粧をしてもらったときは、

口もとじて微笑んでいるような顔で

家族みんなで喜びました。

 

 父の遺言状では、家族だけでという

ことでしたが、わたしは最後まで、

皆さんお呼びした方がいいのでは

とこだわっていました。

 

 でも、母が、父の意志を貫きたいと

断固として譲らず、遺言状通り、

葬儀を執り行うことに。

 

 おかげで、あちこちに葬儀の連絡を

するというバタバタもなく、

家族で父との別れを悲しむことができ

ました。

 

 葬儀は火葬場の都合で3日後に。

亡くなった翌日に葬儀の打合せ。

 

 オプションをつけることを勧められる

ようなこともなく、最初から最後まで

良心的で、しかもスタッフの方の

説明や当日の動きも完璧でした。

 

 その翌日は、唯一、父の死を伝えて

いた、母のいとことそのこども、お孫さんが

父の顔を見たいということで葬儀場に

来られたので、私も一緒に父と対面しました。

 

 そして葬儀当日。

参列者は我が家族と、弟のお嫁さんの

お母さま。お嫁さんが出産間もないので

代理で来られました。

 

 式よりも1時間30分前に到着すると、

家族だけの葬儀なのに、広いホールに

思っていたよりも立派な祭壇を用意して

くださっていました。

 

 さらに、きょうだい3人の会社から届いた

立派な供花が華やかさを添えてくれて

いました。また、お坊さんにつけていただいた

戒名がとてもよくて、全員大満足。

 

 会場には椅子がずらっと並んでいますが、

実際に使ったのはほんの少し。

 

 でも、喪主である母がいちいち挨拶を

することなく、さらに焼香や会社からの

電報もあっという間に終わったので、

父との最後の対面に時間を費やすことが

できたのです。

 

 家族5人で、父の顔をさすり、

いろいろと語りかけ、さらに、まわりを

花で埋め尽くしました。

 

 また、胸に審判のときにかぶっていた帽子と、

弟のこどもの命名札を置き、

1984年から2016年までソフトボール

協会からもらっていたワッペンで飾りました。

 ちなみに、甥っ子の名前は父がつけた

ものに決まりました。

 

 ワッペンをお棺にまいてくれというのが

父の遺言だったそうです。

 父にとっての宝ものです。

 棺が本当に華やかになりました。

 

 

 会社を経営されている方、親戚関係の

都合などで、家族だけの葬儀なんて

考えられないというご家族もあると思います。

 なので、これはほんの一例です。

 特殊な例かもしれません。

 

 でも、最初は家族葬に疑問を感じていた

私も、終わったあとには、

父とお別れしたい人だけで、ゆっくりと

お別れすることができるので、本当に

いいものだなと感じていました。

 

 弟は、お嫁さんのご実家は近所や

親戚同士の関係が濃密なので、

お義父さんやお義母さんの場合は、

家族葬は到底無理だけども、

「家族葬っていいな」と言っていました。

 

 これから父がお世話になった方や

知り合い、仲の良かった方に連絡を

しないといけません。

 かなりの数です。

 

 その後、たくさんの連絡をいただき、

弔問客もひっきりなしに来られるかも

しれません。これからが大変である

ことは覚悟できています。

 

 でも、父とのお別れはゆっくりと

できたのでよかったです。

 

 それでは、皆さん、良いお年を。

来年もよろしくお願いします。  

 

 

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あと少しで今年も終わりです。

 

 12月23日、4年5カ月、病気と闘ってきた

父が永眠しました。76歳と1カ月。

母が70回目の誕生日を迎える前日でした。

 

 26日に父の遺言状通り、葬儀を執り行い、

昨日、四十九日法要の手配を済ませました。

 今は、普通に毎日を過ごしています。

 

 年明けからは少しずつ、母といろいろな

手続きをしないといけないし、4日からは

特別休暇をもらった分、しっかりと働か

ないといけません。

 悲しいけど、父の分も、そして母を支える

ためにも、前向きに生きていかねばなり

ません。

 

 これは2週間前、12月15日の写真。

 

 ずっと治療と手術をしてきた病院で

久々に検査を受けて帰ってきた日。

 夜遅く、家に帰るとノートに向かって

何かを書いていました。後から分かった

のですが、この日、パソコンで遺言書も

作成していました。

 

 検査では、肝臓がかなり腫れていて、

腫瘍マーカーが前回の倍の数値を示して

いると診断されたようです。

 

 翌日から、近くの病院で栄養分の点滴を

受けるために入院。

 

 ところが数日後、突然激高して怒ったり、

夜中に暴れて看護婦さん2人でも抑える

のが大変だったという兆候が現れました。

 

 これまでにないことなので調べると、

肝臓の解毒作用が利かなくなり、毒素が

血液を介して脳にまわることで起こる、

肝性脳症の途中段階のようでした。

 

 かなり危なくなってるな.....と思っている

間もなく、21日の仕事中に、母から電話が。

「先生から、家族を呼んだほうがいいと

言われた」とのこと。

 

 頭が真っ白になりながらも、周りの

同僚にやってもらうことをお願いして、

会社を飛び出しました。

 病院に駆けつけると、酸素吸入器を

つけて寝ている父が。間に合った.....。

 

 もう意識がないのかと思ったら、

後から駆け付けた弟2人の呼びかけに

「ああっ」と言いながら、私や母の方まで

見渡してにっこり笑ったり、消え入るような

声ながら「ありがとう」と反応があったのです。

 

 その様子を見られて、本当に良かったです。

 

 そのあとは無意識に何度も酸素マスクを

はずそうとするので、大変困りました。

手をベッドに縛り付ける人もいるそうですが、

それはいやだったので弟と二人で

手を必死に握りました。

 

 それでも、本当に信じられないくらいの

力が出て、何度も酸素マスクを外します。

それが最後を示す危険な兆候だという

のをあとで知りました。

 

 その後、22日の夕方には昏睡状態に

入り、うそのように手には力がなくなり、

あとは時を待つのにみに。少しずつ、

呼吸数、心拍数、脈拍が落ちていきます。

 

 手をにぎったり頭をなでても何の

反応もありません。 

 

 長期戦になるかも...と交代で家に

帰ったりしましたが、最後は家族4人で

見守ることに。

 そして、23日午後3時過ぎ、看護婦さんが

来て、痰を取ろうとしたときに、呼吸をして

いないことに気がつかれ、あっという間に

心拍数が下がって停止。

 

 それまで少しずつ下がっていたのに、

最後は急でした。そして、本当に静かに

息を引き取りました。

 

 先生に診てもらい、死亡が確定。

 家族だけになったときに皆号泣。

 

 でも、入院前に出ていた痛みで

苦しむこともなく、安らかに眠るよう

に亡くなったのが本当に良かったです。

 最後の3日間、家族4人がそばに

いてあげられたことも。

 

 そこからは、葬儀社に電話して....という

運びになるのですが、父が生前にいろいろと

準備をしていてくれたことで、すべてを

スムーズに済ませることができました。

これについては、また後日、綴ります。

 

 思えば、平成24年8月、大腸癌ステージⅣ

と診断を受けたとき、腹膜播種という、

癌が破れてあちこちに飛び散る状態に

なっていて、どんな大きな病院でも手術は

できないと言われたときは、本人は

もちろん、家族全員が絶望し、毎日泣き

暮らしました。

 

 しかしながら、日本で唯一、手術ができる

先生を紹介していただき、かなりの部位を

除いたものの、手術は成功。

 その後、抗がん剤治療、度重なる転移と

手術...はありましたが、想像以上に長く

生きることができました。

 

 最初のころは、「生きるという新しい

目標ができた」と時間を決めて廊下を

何往復もしたり、ウォーキングに出かけ

たり前向きだった父。常づね「病気には

絶対に負けない」と言っていました。

 

 しかも、今年のはじめまで、市の

ソフトボール審判員の会長を務め、

もう審判をすることはなかったけど、

膨大な仕事をこなし、会長として試合を

観に行ったりもしてました。

 

 食べることも大変楽しみにしていて、

クックパッドをプリントアウトして、

母に作ってもらったり、時には自分で

作ったりもしてました。

 

 それが、10月ごろには、ほとんど

寝込み「もう残された時間は短い。

自分の体のことは自分でわかる」と

言うように。

 

 種類を変えて抗がん剤治療をしても

効かなくなったことも、父のモチベーションを

下げてしまったのでしょう。

 

 これは父が平成24年5月から、

先月11月23日までの、症状や検査・治療

を計6枚にわたってエクセルの表に

記録したものです。

 年月日、病院名、投薬した薬の名前

も記録されています。本当に細かく

記されていて、抗がん剤治療のときは、

こんなにもいろいろと大変だったんだと

思い知らされました。

 

 最後の1行は

「血液検査 〇〇先生の診察 次回から

新薬の分子標的薬を点滴開始」でした。

しかし、体の調子がよくなく、新薬の

治療にはいたりませんでした。

 

 この4年5カ月の間にいろいろなことを

考えさせられ、教えられました。

 ありきたりですが、命の尊さも改めて

感じました。

 

 葬儀の後、15日に作成していた遺言書を

読みました。5つほどの内容が記されて

いたのですが、最後の一文

 

「私は別の世界から、妻、〇〇、◎◎、

□□を見守り続けたい」

 

を読み、涙がとまりませんでした。

あんなにもしんどい中、そんなことを考えて

くれていたなんて。ただ、自署した住所と

名前はかなり震えていて、字を書く力が

なくなっていたことがうかがえます。

 

 今までお疲れ様。そしてありがとう。

最後まで私たちが困らないように、

いろいろな準備をしてくれていたことも、

本当に感謝しています。

そして、いつまでも家族を見守り続けて

ください。

 

 最後に...思い出の写真を。

 

 私が小さいころの父のイメージはこれ。

 

 以前、同じシチュエーションでギターを

弾いている写真をアップしましたが、

これはレコードを聴きながら、カセットに

ダビングしているところですね。

 オーディオ機器に時代を感じます。

 

 母と写真を撮りあっている謎の写真。

 父がハワイ出張で買ってきた、

ムームーを着る母。

 これは2枚1組で好きな写真です。

 

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 いきなりですが、近鉄奈良駅のカフェで

飲んだ奈良オーレ。

 

 

 どうやって絵を描くんやろ...と

見ていたら、イラストを抜いた型をのせて

上から粉を振りかけてました(^^;

 

 

 さて、早いもので12月中旬。

12月に入り、一年で一番大きい仕事が

佳境に入って、ここ2週間はふらふら

でしたが、やっと昨日、終了しましたチュー

解放感、満載!

 

 母のMRI検査の結果があまり良くなく、

一時はかなり沈んでいましたが、

再検査の結果、危惧していたようなことは

なく、現在は元気に過ごしてます。

 とはいえ、念のため、少しずついろいろな

部位を精密検査していってますがおすましペガサス

 

 かなりのストレスと疲れは溜め込んでる

のは間違いないので..。

 

 一方、父の容態がますます悪化。

とうとう恐れていた痛みも出て、昨日、

入院しました。腫瘍マーカーの数値も

かなり危険なものであるとのこと。

もう家には帰ることはない....と

家族皆が覚悟を決めています。

 

 病院ではほとんど寝てますが、

背中から見てたら大きく息をしている

のがわかります。苦しいのかな。

 

 

 両親のこと、仕事で、神経が張り詰める

日々だったけど、仕事が落ち着いて

良かった。。。

 

 そんな中、気持ちが上がるできごとも少し手

 

 先週、高校時代の同級生が司会をつとめる

番組で、先月開催された学年同窓会の

様子が紹介されましたふんわり風船星

 

 というか、彼女がたまたま同窓会当日に、

某大物俳優さんと大阪をめぐるというロケを

していて、その俳優さんとともに、同窓会

終わりの同級生数人が集まるバーに潜入と

いう企画がメインだったのですが。

 

 その際、同窓会のときの会場の様子や、

同級生から彼女へのメッセージも放送

されましたダルマ

 

 俳優さんとの大阪めぐりが特集のテーマ

だけど、個人的な同級生との再会や同窓会の

様子が全国放送されるなんて、彼女が今の

地位を築いてきたからこそですね。。。

 放送前後は、同級生のLINEグループが

盛り上がりに盛り上がりました照れ

 

 そして。。。。

 

 昨日は早くあがれたので、

阪神百貨店の地下「TAMBA-FUDO」にて、

丹波の新もの栗を使った、

和のモンブランを購入。

 

 

 これ大好きなんです。

栗が収穫できる時期にしか味わえないぽってりフラワー

 しかも、丹波栗のスイーツですから。

 

 中はこんな感じ。まるで日の丸弁当。

 

 「TAMBA-FUDO」は明治25年に

丹波市で創業した「やながわ」のブランド。

丹波産の栗や黒豆を使ったスイーツが人気です。

 

和のモンブランは、口どけのよい、ふわふわの

スポンジの上にカスタードクリームとミルキーな

生クリーム(これがまたおいしい!)、さらに

そぼろ状の丹波栗を重ねて、栗の渋皮煮を

トッピング。

 

 

 重ねたものがすべてが一体となって、

口の中ですっととけていきます。

 

 洋のモンブランほど濃厚じゃなくあっさり。

本当においしい^^

 

 仕事で秋口に、いろいろなブランドの

モンブランを食す機会があって、

それぞれにおいしいけど、やっぱり、

私はこれですわ。

 シーズンが終わる前に、あと1回

くらいは味わっときたいものです。

 

 

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 早いもので、もう12月クリスマスツリークリスマスベル

 

 2月14日ハートのプレゼントに向けた大作の制作も佳境に

入り、金曜日は深夜まで残業、昨日はチームの

ほとんどのメンバーで休日出勤あんぐりピスケ

 再来週には終わって、中旬以降は少しのんびり

としているはずなのですが。

 

  昨年の今ごろは、ポートランドの出張から

帰って、へろへろに疲れてましたね真顔

 

 先日、現地に住まれている方のブログで、

オーナーご夫婦にインタビューさせていただいた

ペーパーやカードのお店が登場して、懐かしさ

に浸っていました。とても、素敵なお店で、

しかも素敵なご夫婦だったんですカナヘイきらきら

 

 

 お店の創立までのお話やコンセプト、そして

暮らしぶりまで...とてもいいお話を伺えました。

紹介できたのは、ほんの一部ですが。

 

 そして....11月20日に弟夫婦に第一子が

生まれましたカナヘイうさぎカナヘイハート

 実は、父の容態が芳しくなく、現実をきちんと

見つめ、母と葬儀場の見学に行ったり、

いろいろと準備を進めている状態でした。

 

 と言っても、父が自分で葬儀場に電話して、

遺影の写真のことを聞いたり、他の葬儀場との

比較表をエクセルで作るくらいだから、

「これはまだ大丈夫やわ」と母と苦笑いしていた

のですが(^^;

 

 でも、甥っ子誕生までは何とか頑張って

ほしい...と思っていたので、本当に良かった

です。弟が送ってきたいくつかの画像を、

うれしそうに何度も繰り返し見ているとのことつながるうさぎ

 

 というか、私も何回も繰り返し見てるん

ですけどね。ほんと、かわいいつながる花1

 

 そして、名前が、届け出ないといけない限界の

日まで、決まっていなかったのですが、4つの

候補の中から父がつけた名前が選ばれました。

 

 お嫁さんも、そのお母さまも、お姉さまも、

その名前に入れたとのことで圧勝カナヘイ花

 父本人は喜びをあらわにしていないけど、

わたしは良かったなと。

 

 

 と、喜んでいたのもつかの間、下腹が痛い

とMRI検査を受けた母の直腸に少し異常が

見られ、明日、さらに詳しく診察を受けることに。。

 

 何事もなければいいのですが、昨日、休日

出勤していたときに、父からメールが来た

ときは、奈落の底に落とされたようでしたショボーン

 

 でも、本人はいたって元気。

 4年半近くに及ぶ、父の看病などでかなり

疲れているのは確か。今月の末には70代に

突入しますし。。私もできるだけサポート

しなければ。。

 

 最後に、今週のお弁当。

 3日分しか写真撮れなかったけど。

 

 何とかお弁当続いています。

 たまに、前の日の帰宅が遅くて、朝起きたら

6時30分,,,,チーン。となってお弁当どころじゃない

日もありましたが。

 

ジャコごはん、牛肉の甘辛煮、柿ときゅうりの酢の物、

三度豆、プチトマト、ゆでたまご

 

ふりかけご飯、牡蠣と玉ねぎのバター焼き、

里芋と穴子の煮物、ほうれん草のおひたし、

煮たまご、プチトマト

 

ふりかけご飯、すき焼き煮(牛肉、白菜、春菊)、

焼きぶり、里芋の煮物、三度豆、プチトマト、煮たまご

 

やはり並べると毎日似たような感じチュー

 

ついでに今日の昼食

煮込みハンバーグ、みそ汁、金時豆ときり干し大根の煮物(母作)、

サラダ(プチトマト、キャベツ、ブロッコリー、ソーセージ)、

はるさめと柿のサラダ、ぶり大根

 

左の上の方は弟のお嫁さんのお母さま作の柿ジャム。

これが本当においしい!

パンやパンケーキにつけてもいけるし、

あっさりしてるから、そのまま食べても大丈夫(^^)

 

 

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  ここ最近ちょっと忙しかったけど、

昨日、一旦ひと段落したので本日は

外での打合せのあと、直帰させて

もらうことに。

 

 久々に仕事帰りの寄り道を

楽しみました。

 まずは阪急でお買物。

地下1階に新たに仲間入りした

洋菓子ブランドをいろいろと物色。

 

 ちなみに9階の祝祭広場では現在、

光のヒンメリと北欧のクリスマス

マーケットを開催中。

 毎時00分には光と音のショータイムが

始まります。これがとても幻想的!

 ショータイムの音楽を担当して

いるのは「H ZETTORIO」。

 リオ五輪閉会式の東京五輪プレゼン

テーションで映像のBGMとして曲が

使われた3人組。

 

 阪急のあとは、グランフロント大阪へ。

地上への階段をのぼると.....

 

  イルミネーションがきれい!

 

 こちらは、水面に浮かぶ球状の

イルミネーション。

  この冬のグランフロント大阪の

イルミネーションは「WINTE IN BLOSSOME」

と題し、フラワーアーティスト木村貴史さんと、

空間デザイナーの長谷川喜美さんの

おふたりが手掛けたそう。

 

 クリスマスツリーたち。

 

 よく見ると、右の方できもの姿の女性を

撮影している!なんの撮影会??

 

 そして↑「氷つるんつるん」の正体は...

 毎年恒例のスケートリンク。

平日の夜だったのですべっている人は

少ない....いや、平日の夜でもすべっている

人がいることに驚いた@@。

 

 

 そして、北館へ移動し、今年のメインツリーを

拝見しに。

 

 素敵~~。

 

 

 ホワイトからブルーへ色が変わり、

またホワイトへと戻ります。

 

 2階からも撮りました。

 

 

 大阪駅の時空(とき)の広場へも、今年の

トワイライトファンタジーを見に行きました。

 

 大阪駅。

 

 時空の広場へ。

 

 とてもきれい。

 

 今年のテーマは「時空と光の贈り物」。

それだけに、よく見ると.....

 

 

 いたるところに、赤いリボンが!

 

 イルミネーションを楽しんだあとは、

グランフロント大阪に戻り、地下の

食パン屋さん「レブレッソ」へ。

 

 こちらで明日までの期間限定メニュー

「マロンとナッツの焼きジャムトースト」と

カフェオレをいただきました。

 

 

 このパンがまたおいしくっておねがい

しかし、焼きジャムって何なんやろ?

 

 さあ、お腹も心も満たされたことだし、

また明日からも頑張ります~!

 

 

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 雨がざあざあと降ってます。

明日のお昼に提出しないといけない

大きな仕事の訂正と仕上げに向けて、

昨日今日と休日出勤してくれている

デザイナーさんと、メールでやり取り。

私は家で作業させてもらってます。

 

 きっと、若い人たちにとっては、

パソコンもメールも当たり前のツール。

社会人になったころは、まだアナログな

環境だった私にとって、メールで簡単に

データをやり取りできる今って本当に

便利だな~っと感じるわけです

 

 有難いことです合格

 

 さて、昨日はちょこっとお出掛けし、久々に

東京の「ブルーノート」が経営する

「ブルックリンパーラーオオサカ」でランチ。

 

 店内は広々としていて、時おり海外の

アーティストがライブをするステージが

設けられていて、壁際には音楽やフード

関係の書籍がずらっと並びます。

 とっても居心地がよいお店照れ

ランチははじめて。カジュアルなフードが

メインだけど、なかなかおいしかったです。

 

 話はころりと変わりまして。。。。

 

 通勤時間が長い私にとって、楽しみなのが

電車の中での読書。最近はもっぱら、何も

考えずに楽しめる小説ばかり。

 

 ここのところ女性作家さんの作品が続いて

ましたおすましペガサス

 

 表紙を写真に撮ってブログに載せるのは

著作権侵害になるので、たまたま撮った

風景の中に写ってた風に。。。

 というのは苦しいでしょうか(^^;結構、写ってます。

 

 でも、これじゃあわからないので、

 amazonさんのリンクを借りてご紹介しますと。

 

 

 なんと1992年の作品。読む本がなくなって、

最寄駅のホームに入ってるコンビニで

とりあえず買ったら、結構面白くて。

 

 内容は、時代を感じる部分もあるけど、

交通事故で人を死なせてしまった女性が、

たまたま知り合ったホームレスに身代わり

として犯人になってもらったことから人生が

ころころと思わぬ方向へ....といった内容で、

これがなかなか面白かったのです。

人間の心の闇の部分を浮き彫りにする

表現がうまいなあと。

 

 爽やかな風が心を吹き抜ける、

これまでの湊かなえ作品とはまったく

違う感動的な連作長編です。

 

 いろんな立場に立つ女性たちが、

いろんな思いを抱えて山を登る物語が

8つおさめられていて、1話ずつ完結

しているけど、それぞれの登場人物が

何らかの形でつながっているという

本当によくできた作品です。

 

 

 2013年9月にお亡くなりになった山崎豊子さんの

未完の作品。1988年に起きた海上自衛隊の

潜水艦“なだしお”の衝突事故にヒントを得ています。

 

 山崎豊子さんの作品は、実際のできごとを

もとにした作品が多く、さすが元新聞記者、

その取材力にいつも感心します。

 たまに、資料とした文献をそのまま使って

いるなどと訴えられることもあったようですが、

何年もかけて綿密に取材をされる姿には

いつも感服。こちらの作品は構想30年らしいです。

 

 本当は3部まで続く予定だったけど、2部、

3部を完成させることなく、山崎さんはその

生涯を終えられました。

 

 でも、巻末に2部、3部の構想をもとに

したプロット(物語の筋)が掲載されている

という異例の作品となっています。

 

 上記3作品はどれもいいのですが、

個人的には「山女日記」が、いい作品

だったな~っと。

 共感できる!わかるわかる!と

思いながら読んだ女性も多いのでは。

 

 湊かなえさん、こんな作品を創れるんだ...

という驚きと、やっぱりこの人すごいな

という思いも強く。。。

 

 近いうちに、もう一度読み直すことでしょう。

 

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 土曜日、高校時代の学年同窓会が母校近くの

ホテルで開催されました。

 卒業からウン十年。幹事数名が今年のはじめから

何カ月もかけて準備をしてくれて、

約180名が出席。先生も8名お越しくださいましたニコ

 

 男性陣は結構、変わっている人が

多くてびっくり!人によって差が激しいですね。

若々しい人もいれば...失礼ながら、え、

あのかっこよかった〇〇くん?みたいな人も(^^;

 

 それにくらべ、女性陣は結構変わってない

人が多く、「わあー。〇〇ちゃん!」と

卒業以来の再会に大盛り上がり照れ

 

 高校のとき可愛かった人はやはりきれいに

なってるというのが後から、友人と出した結論ゾウ

 

 会場は人であふれかえってたけど、

いろいろな方と話しができて楽しかったです。

 

 早く結婚した友だちの子はもう大学生に

なってるし、来年早々、大学受験を控えて

いるというママさんも多い!

 わたしのように独身の人も結構いるし。

みんなそれぞれの立場で頑張ってる。

 

 お医者になっている人がかなり多いの

だけど、女医さんも結構多くて、

独立開業している人もちらほら。すごいわ。

やはり、女医さんって、なんか独特のオーラと

優雅な雰囲気ありますわ

 

 わたしたちの学年のホープである、

某局のアナウンサーも本当は出席予定

だったけど、急遽、大阪ロケが入り欠席ショボーン

 

 でも、そのロケのときに同行していた

俳優さんと、有志で集まっている2次会の

お店に合流する....みたいな設定の撮影が

前もって決まってたらしく、そのときの

写真がSNSのコミュニティに掲載されて

ました。(そのお店、わたしたちが2次会

をやっていたお店の隣だったのです)ゾウ

 

 その模様は彼女が司会する全国区の番組で

12月頭に放送されるかもしれないらしく、

楽しみですグッド!

 

 

 なんか、1年のときの同じクラス、

2年のときの同じクラス....と一気にラインの

グループができて、いまだにわいわいと

みんな会話しあって盛り上がってます。

同窓会の数時間では、話が足りないって

感じで。

 

 卒業以来、会ってなかった人も結構

いるのだけど。便利な世の中になりました^^

 

 

 さて、話は全然変わりますが。。。。

 家の近くにいつもパワーをくれる木があります。

 

 

 前から見ると2本の幹に分かれていて、味の

ある姿を見せてくれます。

 

 まわりの木が色づいている中、青々とした葉を

つけているこの木に、毎朝、パワーをもらって

通勤してます。

 

 まわりで泳いでいるこの子たちにも。

 いっせいに泳いできて、びっくりしたわ^^;

 

 

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