2014年の最初の寺院巡りは、兵庫県赤穂市にある新西国三十三ヶ所観音霊場の「花岳寺(かがくじ)」です。赤穂藩主浅野家、「元禄赤穂事件」を起こした「赤穂四十七義士」に関わるお寺です。
新西国三十三ヶ所観音霊場、第31番札所「台雲山(たいうんざん) 花岳寺」。創建は1645年。開基は赤穂藩主「浅野長直」。宗派は「曹洞宗」。本尊は「釈迦如来像」。新西国三十三ヶ所観音霊場の本尊は「千手観世音菩薩像」。
詠歌 「よろづよの 人のかがみと 匂ふなる 花岳寺(はなおかでら)の 庭のいしぶみ」
「花岳寺」の創建は江戸時代初期と、その他の新西国観音霊場と比べれば古くありません。仏教関係というよりは「元禄赤穂事件」に関することで有名なお寺です。
1645年、常陸国笠間藩から播磨国赤穂藩へ国替となった藩主「浅野長直」(江戸城内で殿中刃傷を起こした「浅野長矩(ながのり)」の祖父)により、浅野家の菩提寺として「秀巌龍田(しゅがんりゅうでん)」大和尚を招き創建されました。
「花岳寺」の寺号は「浅野長直」の父「浅野長重」の法名「華嶽院」(当初は華嶽寺と呼ばれていた)、山号は母の法名「臺(台)雲院」にちなんでいます。
「花岳寺」は浅野家が赤穂藩主から改易されてからも、永井家、森家の歴代赤穂藩主の菩提寺とされ、境内には赤穂藩歴代藩主のお墓があります。
また、俗に「忠臣蔵」と言わている「元禄赤穂事件」を起こした「赤穂四十七義士」の墓もあり、それに関する貴重な資料や物品などが「義士宝物館」に展示されています。
「花岳寺」の交通アクセスですが電車だと、JR赤穂線播州赤穂駅から徒歩約8分、車だと境内に数台分駐車出来るスペースがありますが、「山門」を抜けて入らなければいけないので、周辺にある観光用の駐車場を利用した方が無難です。
花岳寺山門風景。
「山門」は明治維新後の廃城令によって「赤穂城」が解体された際に、「花岳寺」が西の城門であった「塩屋惣門」を買い取って移築したものです。
山門。赤穂市指定文化財。
山門扁額。臺(台)雲山と刻まれています。
「山門」前には寺名などを知らせる石碑が建っています。
山門前の寺名を知らせる石碑。
浅野家廟所、赤穂四十七義士の木像があると知らせる石碑。
「山門」を抜けると正面に「本堂」があります。
山門を抜けると目の前に本堂があります。
「本堂」は1758年に再建された建築物です。
本堂。
別アングルから。
本堂扁額。元は華嶽寺と言われていました。
「本堂」には本尊として「釈迦如来像」、脇侍に「釈迦十大弟子」の「摩訶迦葉(まかかしょう)尊者」、「阿難(あなん)尊者」が祀られています。
新西国三十三ヶ所観音霊場の本尊は「本堂」ではなく、後に紹介する「義士木像堂」に祀られています。
本堂手前。暖簾の家紋は向かって右が浅野家、左が大石家です。
「本堂」内には「竹に虎」という、大きな天井絵があります。
この天井絵は1854年に赤穂出身の「法橋義信(ほっきょうよしのぶ)」が、五月節句の幟(のぼり)として描いたもので、1962年に子孫から寄進されたそうです。
竹に虎。凄く大きくて写真に収まりきれなかったです。
本堂内にはびんずる尊者が。
「本堂」周辺の堂宇や史跡を紹介します。
「山門」を抜けると右手には「手水舎」、「鐘楼」があります。
手水舎。
手水舎には水琴窟が置かれています。
鐘楼。
「鐘楼」に吊るされている「梵鐘」は、別名「鳴らずの鐘」と言われています。
「鳴らずの鐘」は浅野家2代目藩主「浅野長友」が、父「浅野長直」の供養のために奉納したものです。
1704年に「元禄赤穂事件」を起こした赤穂四十七義士が、幕府の命により切腹したという事実を聞いた町民は非常に悲しみ、「花岳寺」に集まり鐘を撞き続けたところ、鐘の音が全く鳴らなくなり、「鳴かずの鐘」と名付けられたそうです。
残念ながら現在の「梵鐘」は当時のものではなく、1797年に再鋳造されたものです。
また、太平洋戦争時にお寺の「梵鐘」が供出の被害に遭う中、この「梵鐘」は義士との由緒深き鐘ということで、赤穂市で唯一免れた「梵鐘」だそうです。
梵鐘。今は鳴るけど鳴かずの鐘。
「本堂」前には「大石なごりの松」があります。
1691年、「大石良雄(内蔵助)」の母が亡くなった際、松が好きだった母の冥福を祈るために、この場所に2本の松を植樹したそうです。
1701年、浅野家断絶により「大石良雄」は赤穂を立退く際に、「花岳寺」にある先祖の墓に立ち寄り、この松の下で名残を惜しんだことから、こう呼ばれるようになったそうです。
当初の松は1927年に松食い虫の被害に遭い枯れてしまい、現在のものは2代目の松となっています。
大石なごりの松。2代目だけど生えていた場所は変わらず。
「本堂」と連結して左手が「納経所」、「坐禅堂」、右手が「寺務所」となっています。
納経所。
坐禅堂。
寺務所。
生け花が飾られていました。
「山門」を抜けて左手には「千手堂(休憩所)」があります。
千手堂(休憩所)。
千手堂には初代大石なごりの松の切り株が2本あります。
「坐禅堂」の左手には「報恩堂(千躰観音堂)」、「友愛堂」、「雨情歌碑」があります。
報恩堂。青面金剛菩薩像、千躰の観世音菩薩像を祀る。
友愛堂。友愛観世音菩薩像を祀る。
野口雨情の歌碑。春のあけぼの 花なら桜 武士の鑑ぢゃ 赤穂義士
浅野家の墓、赤穂藩歴代藩主の墓、「赤穂四十七義士」の墓、「義士木像堂」、「義士宝物館」などは「本堂」の庭園内にあり、拝観するには拝観料が必要となります。
「義士木像堂」には中央に大石家代々の守り本尊で、新西国三十三ヶ所観音霊場の本尊である「千手観世音菩薩像」と「浅野長矩」の位牌を祀り、周りに「赤穂四十七義士」の木像が安置されています。
義士木像堂。
義士木像堂手前。本尊の大きさは約6cmと非常に小さいです。
義士木像堂前には中国(魏)から渡来した舟御光観音石像が祀られている。
「義士宝物館」には浅野家や、「赤穂四十七義士」に関する書物や物品などの宝物が展示されています。
義士宝物館。是非、拝観して欲しいです。
「義士宝物館」の前方に「忠義塚」、「赤穂四十七義士」の墓である「義士墓所」があります。
忠義塚。
義士墓所。
「義士墓所」は中央の真ん中に「浅野長矩」の墓、右手に「大石良雄(内蔵助)」、左手に「大石良雄」の息子「大石良金(主税)」の墓があり、その周りに45人の義士の墓が取り囲んでいます。
義士墓所。浅野長矩と赤穂四十七義士の墓がある。
「義士墓所」は忠義と言えども幕府に歯向かったということで、すぐには建てられず、墓が建てられたのは「赤穂四十七義士」の37回忌の時だそうです。
東京の「泉岳寺」にも「浅野長矩」、「赤穂四十七義士」の墓があり、「泉岳寺」の墓には遺骨が収められ、「花岳寺」の墓には遺髪が収められているそうです。
「赤穂四十七義士」は吉良屋敷へ討ち入り後、「寺坂信行(吉右衛門)」を除く46人の赤穂義士が、幕府の命により切腹して命を絶ちました。
切腹した46人の赤穂義士の墓の法名の上には、「刃」という文字が刻まれています。
生き残った「寺坂信行」は切腹していないので、「刃」の文字はありません。
46人の赤穂義士の墓が建てられた時、「寺坂信行」は生存していたので当然、墓は建てられず、亡くなった後に合祀されたそうです。
堀部安兵衛の墓。風化して見えにくいけど刃という字がきざまれている。
寺坂信行の墓。切腹していないので刃の字はなく法名だけです。
「義士墓所」の側には、「浅野家霊廟」があります。
「浅野家霊廟」は1918年、広島県の浅野本家(赤穂浅野家は分家)の寄進によって建立されました。
「浅野家霊廟」には「浅野長直」を始めとする、浅野家歴代赤穂藩主の像「赤穂四十七義士」の位牌などが祀られています。
浅野家霊廟。
「浅野家霊廟」の周辺には赤穂歴代藩主「森家の墓」、「大石家先祖の墓」、「浅野家三代の墓」、「近藤正純夫婦の墓」などがあります。
森家の墓。
大石家先祖の墓。大石良雄の祖父母、父、娘の墓。
浅野長友の墓。浅野長矩の父。
浅野長直の墓。浅野長矩の祖父。
浅野長重の墓。浅野長直の父。
近藤正純夫婦の墓。浅野家の家臣で赤穂城築城の際に設計、指揮を執った。
最後になりますが、その周辺の史蹟などを紹介しておきます。
忠義桜。大石良雄の屋敷から移植された。
不忠柳。家老の大野九郎兵衛の屋敷から移植。大石良雄と対立した人物。
中国大理石観音像。
森家霊廟屋上の役瓦。
水琴窟。
義士家族の墓。
義士追慕句碑。忠に咲き 義に散る塚の 桜かな
四十七義士の1人、大高忠雄(子葉)の句碑。こぼるるを 許させ給へ 萩の露
拝観前に訪れ、拝観を急がせて迷惑をかけたにも関わらず、親切な対応をしてくれたお寺のおばさん、どうもありがとうございました。
花岳寺の御朱印。