まっちゃんの人生おもしろおかしく生きていきたい -19ページ目

まっちゃんの人生おもしろおかしく生きていきたい

美味しいもんの紹介、寺院巡り、海釣りなどの趣味に関しての記事を書いています。

カルビーの「ポテトチップス」から、「七味唐辛子味」が発売されています。




味は和風だしメインで七味唐辛子を付けています。




七味唐辛子の香りが強いです。



ポテトチップスの味付けは和風だしで、そのポテトチップスに七味唐辛子を付着させています。


辛さはそんなありませんが、七味唐辛子の香りが結構味わえますよ。








「金剛城寺」の前を通る県道406号線を道なりに北へ進むと、七種(なぐさ)の滝がある七種山へ向かいます。


七種の滝は合計48ある滝の総称のことで、俗に七種の滝と呼ばれているのは、七種の滝の中で最も大きい雄滝のことのようです。


雄滝は標高683mの七種山の中腹にあって、「作門寺(旧金剛城寺)」の「山門」が残る場所が、七種山の登山道入口となっています。


車では登山道入口まで来ることが出来ますが、そこまでの道がかなり狭いこと、駐車スペースが5台程度しかないので、距離はかなり離れますが手前にある、青少年野外活動センターに駐車して歩いた方が良いかもしれません。




作門寺山門。1701年築。仁王像は金剛城寺に移動。



登山道入口から虹ヶ滝の側まで道は舗装されていて、非常に登りやすくなっています。道は非常に細いですが、ここまで車で行けるようです。


雄滝までですが山を登ってきましたので、少しですが名所を紹介しておきます。




山門に地蔵菩薩の丁石がありました。雄滝まで約1.3km。




舗装されていて歩きやすい。一応、車も行ける。




七種川が流れる。




一帯は七種山自然公園となっている。




最初に看板が立っていたのは雌滝。




山道からではよく見えない。下に降りなきゃ厳しいか。




弁慶ののこぎり岩。




岩にのこぎりで切ったような跡がある。弁慶かどうかは謎です。




夫婦滝。これより下にあって二つに分かれている滝らしい。




人為的な石垣がある。寺の跡でしょうかね。




虹ヶ滝付近。ここから足場は悪くなる。




登山用の靴が必須です。




案内板から少し歩くと鳥居がある。




七種川に架かる太鼓橋。




太鼓橋を渡ると虹ヶ滝がある。




少し山道を登ると八龍滝がある。




八龍滝付近からはあと100mです。



虹ヶ滝から自然の山道となっていて、八龍滝から雄滝まではかなり足場が悪くなって注意が必要です。


雄滝ですが落差72m、幅3mの滝で別名「観音滝」と呼ばれているそうです。


自分が訪れた時は最近、目立った雨がなかったので水量が乏しく、豪快な滝の姿はありませんでした。




雄滝。まず滝壷に着く。水量が乏しい・・・。




滝壷から少し登ると石段がある。




石段を上がると七種神社がある。拝殿。




後方にある本殿。




七種神社の横に看板が立ってます。撮影ポイントですな。



目的は雄滝を見ることだったので山頂まで行きませんでしたが、山頂は雄滝から約30分かかるようで、山頂には「弘法大師空海」が修行したと言われる、巨岩のつなぎ岩があるそうです。


久々の山登りでしんどかったけど、やっぱり滝を見るとテンションが上がりますわ。来て良かったです!!






今回、紹介する新西国三十三ヶ所観音霊場は、兵庫県神埼郡福崎町にある「金剛城寺(こんごうじょうじ)」です。七種(なぐさ)の滝で有名な七種山の麓にあるお寺です。


新西国三十三ヶ所観音霊場、第30番札所「七種山(なぐささん) 金剛城寺」。創建は597年。開基は「恵灌(えかん)法師 」。宗派は「高野山真言宗」。本尊は「十一面観世音菩薩像」。


詠歌 「金剛の をしへの城の みめぐみの つゆ滋岡や 七ぐさのさと」


「金剛城寺」は寺伝によると、「聖徳太子」がこの地を訪れ七種山に登り、七種山に霊気があることを感じ、国家安泰の祈願所として、597年に「聖徳太子」の命を受けて高麗の僧「恵灌法師」が、七種山の中腹にある七種の滝の側に寺を建立したのが始まりとされています。


七種山には修行僧「滋岡川人(しげおかせんにん)」が住んでいて、寺の建立の際に「滋岡川人」が「恵灌法師」に、「十一面観世音菩薩」を刻んで安置せよと命じたと伝えられ、創建当初の寺号は「滋岡寺」と呼ばれていました。


「滋岡川人」はこの地に干ばつが起こった時、人々へ尽きることがない七つの種を与えて飢餓から救った人物で、「滋岡川人」が住んでいた七種山は、このことから名付けられたという伝説が残っています。


堂塔伽藍が完成すると「法道仙人」を招いて開山式を催し、平安時代には「弘法大師空海」が訪れて真言密教の秘法を修され、この時に寺号を「金剛城寺」と改称し宗派を真言宗としたそうです。


「金剛城寺」は兵火などによる火難が多く盛衰を繰り返し、1601年に寺号を「作門寺」と改称し、明治時代には廃仏毀釈の影響で現在地へ移築したそうです。


1928年、寺号を再び「金剛城寺」へ改称し、現在の寺観に至っているようです。


「金剛城寺」のアクセスは電車だと、JR播但線福崎駅から徒歩で1時間ぐらいかかるので、タクシーを利用した方が良さそうです。車だとお寺の側に無料駐車場があります。




参道風景。田園風景に囲まれたのどかな場所にあります。




参道に寺名を知らせる石碑があります。



参道を進むと少しの石段を上がり、右前方に「仁王門」が建っています。




参道を進むと少しの石段を上がります。




仁王門。1932年建立。




仁王門正面。




境内側から見た仁王門。



「仁王門」には「仁王像」」が安置されています。




阿形。仁王像は作門寺の山門に安置されていたものを移動。




吽形。



「仁王門」を抜けると正面の高台に「本堂」があり、右手には「鐘楼」、「本坊」があります。




高台にある本堂。




高台の本堂を上がる前に手水舎があるんですが水がない・・・。




側に水が出る手水鉢があったり。



「本堂」は1912年に建立された建築物です。




本堂。別アングルから。




さらに上の高台から撮影。



「本堂」には本尊として、秘仏の「十一面観世音菩薩像」が安置されていて、この本尊は別名「身代り観音」と呼ばれています。


平安時代末期に平治の乱の戦で敗れた源氏の侍「国弘」は、「金剛城寺」へ逃げ込み本尊に助けを求めて祈りました。


平氏の追っ手が「国弘」を見つけ、右手首を切り落とし捕えられ、牢屋へ入れられてしまいます。


次の日、牢屋を見てみると「国弘」の姿は無く、木製の右手首が残されていて、本尊の右手首が無くなっていたそうです。


本尊が身代りとなって救い、「国弘」は無事に助かったと伝えられています。




本堂手前。




本堂扁額。詠歌が刻まれています。




本堂の左手にびんずる尊者が。




鐘楼。




梵鐘。




本坊。




御朱印は本坊の中に入って頂く。



「本坊」内で御朱印を頂くのですが、お寺の人が別の場所にいる場合が多く、参拝している合図として鐘を撞かなければいけないようです。




その旨の石柱が立っている。なかなか出て来れなくて苦労しました・・・。



「本堂」の右手には「阿弥陀堂」、右手後方の高台に「護摩堂」があります。




阿弥陀堂。




阿弥陀堂と本堂は廊下で連結している。




本堂より高台に建つ護摩堂。



「阿弥陀堂」の左手には四国八十八ヶ所霊場の本尊の石仏を安置した、「四国八十八ヶ所霊場」があります。




四国八十八ヶ所霊場。




第1番札所霊山寺の本尊、釈迦如来石仏。




1番上の中心に弘法大師空海の石像が安置されています。



「金剛城寺」の境内にある、その他の名所を紹介しておきます。




弁天堂。




十二支守本尊石仏。




十二支の守り本尊。



8躰の仏様が十二支の守り本尊となっています。




千手観世音菩薩。ねずみの守り本尊。




虚空蔵菩薩。牛と虎の守り本尊。




文殊菩薩。うさぎの守り本尊。




普賢菩薩。龍と蛇の守り本尊。




勢至菩薩。馬の守り本尊。




大日如来。羊と猿の守り本尊。




不動明王。鳥の守り本尊。




阿弥陀如来。犬と猪の守り本尊。




よい子地蔵。おじさんっぽい。眼鏡をかけております。




石造地蔵菩薩像。1399年作。福崎町文化財。




古いポンプ車が置いてありました。



最後に「四国八十八ヶ所霊場」から上へ登る石段があり、その先には「田賀神社」があります。





鳥居が立っていて、さらに上へ登って行く。




田賀神社拝殿。




本殿。お寺とは関係あるんでしょうかね?




金剛城寺の御朱印。