今回、紹介する新西国三十三ヶ所観音霊場は、兵庫県小野市にある「浄土寺」です。兵庫県内のお寺の6つの国宝建築物の1つ「浄土堂」があるお寺です。
新西国三十三ヶ所観音霊場、客番札所「極楽山 浄土寺」。創建は奈良時代。開基は「行基」。中興は「俊乗坊 重源(しゅんじょうぼう ちょうげん」。宗派は「高野山真言宗」。本尊は「薬師如来像」、「阿弥陀三尊像」。
詠歌 「もうずれば この世ながらの 浄土寺(じょうどてら) るり安養(あんにょう)の 極楽のさと」
「浄土寺」の起源は奈良時代に「聖武天皇」の勅願により、「行基」が開いた「広渡寺(こうどじ)」と伝えられていて、創建当初は現在地より西方向へ約2km離れた場所にあったと言われています。
「広渡寺」は「金堂」を中心として後方に「講堂」、前方には東西に2つの塔があり周囲を廻廊で囲んだ、奈良の「薬師寺」と同じ伽藍配置の大寺院だったようです。
しかし、「広渡寺」は平安時代後半までには、兵火によって焼失して荒廃してしまいます。
鎌倉時代初期に南都焼き討ちで焼失した「東大寺」を再建するために、「大勧進(総責任者)」となった「俊乗坊 重源」が、全国へ勧進する際に「東大寺七別所」という拠点を7ヶ所に作りますが、その内の1つである「播磨別所」が荒廃していた「広渡寺」の本尊「薬師如来像」を現在地へ移し復興させたもので、後に寺号を「浄土寺」と改めたようです。
「浄土寺」の規模は大きなお寺とは言えませんが、何と言っても素晴らしいのが国宝に指定されている「浄土堂」と、その本尊である同じく国宝の「阿弥陀三尊像」です。
お寺は大きさや規模とかじゃないと、ほんと再認識されましたね。
「浄土寺」の交通アクセスは電車だと、神戸電鉄粟生線の小野駅からバスで「浄土寺」の無料駐車場前まで行くことが出来て、車ではこの無料駐車場に駐車することになります。
「浄土寺」には「山門」などの門はなく、「本堂」や「浄土堂」などがある境内へ行くには、駐車場から真っ直ぐ進んだ北側の石段からと、北側の石段を上がらずに右手に進んだ南側の階段から行くことが出来ます。
駐車場を真っ直ぐ進むと燈籠があり、すぐに北側の石段があります。
南側の石段。正式には南側の石段から境内に入った方が良いですね。
本堂の「薬師堂」や国宝建築物の「浄土堂」がある境内の大きさは、石段を上がって一目で見渡せるぐらいの小さな境内となっています。
中央の2つの池を中心に西側には「浄土堂」があり、東側には本堂の「薬師堂」があります。
この配置は東方浄瑠璃世界の教主が「薬師如来」なので、東側に本尊が「薬師如来像」である「薬師堂」、西方極楽浄土の教主が「阿弥陀如来」なので、本尊が「阿弥陀三尊像」である「浄土堂」と、「俊乗坊 重源」が目的を持って配置したものです。
「浄土寺」の本堂は「薬師堂」ですが、「浄土寺」の中で最も注目されるお堂は国宝に指定されている「浄土堂」です。
「浄土堂」は1192年(1194年とも)、「俊乗坊 重源」が宋の建築様式「大仏様(天竺様)」を用いて建てられたものです。
現存する「大仏様(天竺様)」の建築物は数少なく、「東大寺」の「南大門」と「浄土寺」の「浄土堂」の2つしかないそうです。
「浄土堂」は1957年の解体修理を行うまでの約770年間、風雨雪に耐えた非常に丈夫な建築物です。
「浄土堂」には本尊として「快慶」作の、「阿弥陀三尊像」が祀つられています。
中央の「阿弥陀如来像」が5.3m、脇侍の「観音菩薩像」、「勢至菩薩像」が3.7mの高さで、「阿弥陀三尊像」も「浄土堂」と同じ時期に「快慶」により作られたもので国宝に指定されています。
境内の西側に建つ「浄土堂」は、「阿弥陀三尊像」の背部が蔀戸(しみど 格子状の板戸)となっていて、夕方になると蔀戸から西日が入り、西日を受けて赤く染まった「阿弥陀三尊像」は、まるで西方極楽浄土から来迎した姿に見えるそうです。
パンフレットより。夕方じゃなかったですが、それでも素晴らしいの一言。
境内の東側に建つ「薬師堂」は、「浄土寺」の起源である「広渡寺」の本尊「薬師如来像」を移して祀ったお堂なので、「浄土寺」の本堂となっています。
1197年頃に「浄土堂」と同じく「俊乗坊 重源」によって建てられましたが、1498年に火災によって焼失してしまい、現在の「薬師堂」は1517年に再建されたもので重要文化財に指定されています。
薬師堂手前。本尊は薬師如来像。ほぼ閉め切っていて中は分かりません。
「浄土寺」のその他の堂宇や史跡などを紹介しておきます。
「浄土堂」の左手に「鐘楼堂」があります。
境内の北側には、「浄土寺」の鎮守である「八幡神社」があります。
「八幡神社」は1235年に創建されたそうですが、現在のものは室町時代中期に再建されたものです。
「八幡神社」は「拝殿」と「本殿」と分かれており、共に重要文化財に指定されています。
2つの池に挟まれた参道のような境内に、石碑と鳥居が建っています。
「八幡神社」の右手には「収蔵」、「不動堂」があります。
「不動堂」の左手から裏山へ続く山道は、「浄土寺裏山四国八十八ヶ所」となっていて、山道には「四国八十八ヶ所」の本尊の石仏が安置されています。また、1万本を越えるアジサイが植えられているようです。
その横に第1番霊山寺の本尊の石仏と弘法大師空海の石仏があります。
裏山へ続く山道。1周約1500mで30分ぐらい。アジサイも植えられている。
「薬師堂」の右手には「開山堂」があります。
「開山堂」の創建時期は詳しく分かりませんが、「八幡神社」が建立された後に建てられたそうで、「薬師堂」と同じく1498年の火災で焼失してしまい、現在の「開山堂」は1520年に再建されたものです。
境内の南側には「経蔵」、「文殊堂」があります。
文殊堂の右横にあった短歌ポスト。小野市は短歌のまちだそうです。
境内の中央にある2つの池の周辺には「芭蕉句碑」、「板碑」、「水向石」などがあります。
1つしか写ってませんが、同じような大きさの池が2つあります。
「芭蕉句碑」には、
「寿(すず)しさは 飛騨の匠の 指図哉(かな)」と刻まれています。
「松尾芭蕉」が「浄土寺」に訪れた記録がないそうで、この「芭蕉句碑」は1812年に俳句愛好家たちが建てたものだそうです。
「板碑」は古墳時代の石棺の石材を用いて作られたもので、中央は上部が欠損し風化していますが「阿弥陀三尊」の来迎の姿が刻まれていて、左側は下部が欠損し風化していますが「曼荼羅」が刻まれていて、右側は「地蔵菩薩」が刻まれています。
「水向石」は古墳時代の家型石棺の蓋を逆さまにして、その内側をくり抜いて水を貯める場所にしています。
「浄土堂」の左手に、「狛犬」のような石像が1体安置されています。
境内から離れた場所の北側には「浄土寺」の塔頭の「宝持院」があり、南側には同じく塔頭の「観喜院」があります。
門の前にあった石像。坊さんが木魚に横たわっている。肩にはねずみ?
参道には西国三十三ヶ所観音霊場の本尊の石仏が安置されている。
最後に「浄土寺」の前の石材屋さんのガレージに、ほっこりする絵が描かれていました。
マリオ&ルイージ。ファイアフラワーでファイア化するんでしょうね(笑)





































