今回、紹介する西国三十三ヶ所観音霊場は、京都府宮津市にある「成相寺(なりあいじ)」です。標高569mの成相山の中腹にあり、日本三景の「天橋立」が一望できる素晴らしい場所にあるお寺です。
西国三十三ヶ所観音霊場、第28番札所「成相山 成相寺」。創建は704年。開基は「真応上人(しんのうしょうにん)」。宗派は「真言宗単立」。本尊は「聖観世音菩薩像」。
詠歌 「波の音 松のひびきも 成相の 風ふきわたす 天橋立」
「成相寺」は寺伝によると、「真応上人」が修行の場を求め、この地へやって来て修業をしていたところ、「真応上人」の前に1人の老人が出現し、「聖観世音菩薩像」を置いて立ち去りました。
「真応上人」はこの仏像を本尊として祀るため、704年に「文武天皇」の勅願により、堂宇が建立されたことが「成相寺」の始まりとされています。
「真応上人」が最初に本尊を祀った場所は、「上世屋(かみせや)」という場所にある「銚子の滝」付近だと言われていて、「文武天皇」の勅願によって堂宇が建立された場所は現在地よりさらに上の場所で、当初は「世野山 成相寺」と呼ばれていました。
「成相寺」の寺号の由来ですが、1人の僧が雪深い冬の時期に修行をしていたところ、豪雪の為に麓までの行き来が出来なくなり、お寺に閉じ込められてしまいました。
食糧が底を付いて僧は餓死寸前となり、本尊に今日1日生きるための食料を与えて下さいと祈願すると、お堂の外に傷ついた鹿が倒れていました。
肉を食べてはならない戒律がありましたが、自分の命には代えられず戒律を破って、鹿の腿肉を鍋に入れて煮込んで食べて餓死を免れました。
やがて雪が解けて麓から里人がお寺に訪れて本尊を拝観すると、本尊の腿の部分が切り取られていて、鍋の中に木屑が散らばっていました。
このことを聞いた僧は、本尊が自分の身代りとなって助けてくれたと悟り、木屑を本尊の腿の部分に付けると、本尊は元の通りに成り合いました。
このことが由来で、この寺を願いが成り合う寺「成相(合)寺」と名付けたと言われています。
その後、1348年に「覚如上人」が「成相寺」を訪れて、多くの堂宇が建立され栄えますが、1400年に山崩れの為に壊滅的な被害を受けて、現在地へ移転再建することとなります。
1507年、一色氏と武田氏の兵火により焼失し、1545年には落雷による火災で多くの堂宇が焼失して衰退してしまいます。
現在の「成相寺」の寺観ですが、規模が縮小されて江戸時代になって再建された建築物がほとんどです。
「成相寺」の交通アクセスですが、北近畿タンゴ鉄道宮津線天橋立駅から、丹後海陸交通の観光船、天橋立ケーブル、丹海交通成相登山バスを利用して行くことが出来ますが、時間がかなりかかるので、タクシーを利用したほうが無難かもしれません。
車では国道178号線から「本堂」まで向かう参道の道のりは長いですが、「本堂」に向かう石段の側に駐車場があるので、「成相寺」は車での利用が最適でしょうね。
国道178号線から「本堂」へ向かう参道には、様々な史跡などがありました。一部ですが紹介しておきます。
車で「本堂」へ向かう参道は「山門」を通らずに駐車場まで行ってしまい、ケーブルルートも登山バスを利用してしまうと「山門」を通り過ぎてしまうので、「山門」を拝観するなら坂道を下って戻らなければいけません。
「山門」には「仁王像」が安置されています。
「山門」から少し坂道の参道を登ると、左手に「五重塔」があります。
「五重塔」は1998年に再建された新しい塔ですが、鎌倉建築様式を忠実に再現して再建されています。
「五重塔」の前には「底なしの池」があります。
昔、この池に大蛇が住んでいて、お寺の小僧を飲みこんでいたため、和尚がわら人形で作った小僧に火薬を詰め、大蛇に飲ませて退治したという伝説が残っています。
「本堂」へ向かう石段を少し上がると、右手に「撞かずの鐘」と呼ばれる「鐘楼」があります。
1545年の落雷の火災で大きな被害を受けた「成相寺」ですが、慶長年間(1595~1615年)に僧「賢長」によって再興されることになります。
1609年に新たな「梵鐘」を鋳造するために民衆に浄財の寄進を募ったところ、子供がたくさんいる裕福な家庭の嫁は寄進を断りました。
新しい「梵鐘」を鋳造する日に大勢の民衆が見物にやって来て、その中には寄進を断った裕福な家庭の嫁も、自分の赤ちゃんを抱いて見物に来ていましたが、誤って坩堝(るつぼ)の中に落としてしまい、赤ちゃんを亡くしてしまいます。
そういった悲しい出来事があった後、完成した「梵鐘」を撞くと美しい音色はするけれど、耳を澄ますと赤ちゃんの泣き声と母親を呼ぶ悲しい声が聞こえ、これを聞いた民衆は哀れに思い、赤ちゃんの成仏を願って「梵鐘」を一切撞かずにしたそうです。
「本堂」手前の石段の左手に「観音堂」、「一願一言地蔵尊」があります。
「観音堂」は西国三十三ヶ所観音霊場の本尊が祀られています。
「一願一言地蔵尊」は約620年前に刻まれた地蔵尊石仏で、ただ1つの願いを一言でお願いすれば、必ず叶えてくれると伝えられています。また安楽ポックリの往生も叶えて下さるそうです。
石段を上がりきると真正面に「本堂」があります。
「成相寺」の「本堂」は当初、現在地より上の場所にありましたが、1400年の山崩れで現在地へ移転再建されました。
現在の「本堂」は1774年に再建された建築物です。
「本堂」には本尊として、33年に一度開扉される秘仏の「聖観世音菩薩像」が祀られています。別名「身代り観音」、「美人観音」とも呼ばれているようです。
普段はお前立ちの「聖観世音菩薩像」が、拝観出来るようになっています。
「本堂」内陣には「左甚五郎」作の、「真向きの龍」の彫刻が掲げられています。
昔、この地で日照りが続き雨が全く降らなかった時に、「天橋立」に来ていた「左甚五郎」に水神である龍神の姿を刻んでもらい、この彫刻に雨乞いの祈りを行うと、雨が降ったと言い伝えが残っています。
真向きの龍。真正面を向いている龍の彫刻は珍しいんだそうです。
「本堂」の左手前には重要文化財に指定されている「鉄湯船」があり、右手には「熊野権現社」、「十王堂」、「本坊」があります。
「鉄湯船」は1290年に作製されたもので、現在は手水鉢として利用されていますが、以前は沸かしたお湯を入れてかかり湯として利用されたり、薬湯を湧かして怪我や病気の人の治療をしたとも言われています。
「成相寺」の「鉄湯船」は、日本三大鉄湯船の1つとなっています。(残りは東大寺と天橋立智恩寺。)
「成相寺」の鎮守社である「熊野権現社」は、1676年に建立された「成相寺」最古の建築物です。社殿の風化を防ぐために小屋で覆われています。
「十王堂」には「孔雀明王像」、「閻魔大王像」、「びんずる尊者」が祀られています。
「本堂」周辺には「楽寿観音像」、「身代地蔵尊」、「慈母観音像」などがあります。
最後に「成相寺」からは、日本三景の「天橋立」を望むことが出来ます。
「五重塔」の後方にある「弁天山」の展望台からと、「本堂」よりさらに上にある「日本一成相山パノラマ展望所」から望めますが、後者の方はかなりの坂道を上がって行かなきゃいけないですが、こちらの方が人気が高いようです。
側にはかわらけ投げの輪が。願いを込めて輪の中にかわらけを投げましょう。

















































