サークルKサンクスのカウンターフーズで、特製のタレを使用した焼きとりを仕事帰りに買って、晩ご飯のおかずとしてよく食べたりしています。
焼きとりの中で「もも皮巻き」にハマっています。
「もも肉」と「皮」が同時に食べられる焼きとりです。
コンビニのカウンターフーズと侮るなかれ、これが結構美味しいんですよね。
時間帯によっては売り切れていて、がっかりする時もあるぐらいです。
みんなおかずとして食べているんでしょうねぇ。
今回、紹介するお寺は「天橋立」と隣接している「智恩寺(ちおんじ)」です。本尊が知恵の仏様である「文殊菩薩像」で、日本三大文殊の1つとして有名なお寺です。
「天橋山(てんきょうざん) 智恩寺」。創建は808年。開基は「平城天皇」。宗派は「臨済宗妙心寺派」。本尊は「文殊菩薩像」。
「智恩寺」は寺伝によると、808年に「平城天皇」の勅願により建立されたと伝えられています。
904年には「醍醐天皇」から、山号と寺号を賜ったと伝えられています。
宗派ですが創建当初は「真言宗」でしたが、「禅宗」のお寺になったのは南北朝時代のことだそうです。
堂宇ですが室町時代築の「多宝塔」以外は、近世以降に建立された建築物のようです。
「智恩寺」は昔の地名の呼び方から「切戸(きれど)の文殊」、「九世戸(くせと)の文殊」とも呼ばれています。
日本三大文殊の1つで(あと2つは奈良県の「安倍文殊院」、山形県の「亀岡文殊」)、「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがあるように、「文殊菩薩」は知恵の仏様なので、学業成就の祈願で訪れる人が非常に多いです。
日本三景の「天橋立」に隣接しているので、学業成就の祈願以外でも多くの観光客が立ち寄っています。
GWに訪れたこともあって、境内周辺は多くの人でごった返していました。
「智恩寺」の交通アクセスは電車だと、北近畿タンゴ鉄道天橋立駅から徒歩5分ぐらいかかり、車では周辺の有料駐車場を利用することとなります。
「智恩寺」の境内は塀などに囲われていないので、周辺から自由に入ることが出来ますが、立派な「山門」があるので、ここから入山する形をとった方が良いでしょうね。
「山門」は1767年に建立された建築物で、宮津市指定文化財に指定されています。
「山門」は建立の際に「後桜町天皇」から黄金を賜ったので、別名「黄金閣」と呼ばれています。
「山門」を抜けると真正面に本堂の「文殊堂」があります。
「文殊堂」は江戸時代初期に大幅な修理が行われた際、現在の形に変形されたそうです。
「文殊堂」には本尊として、秘仏で重要文化財に指定されている「文殊菩薩像」を祀っています。正月三が日、1月10日、7月24日の年5回開扉されるようです。
「文殊堂」を中心として左後方に「無相堂」、後方に「方丈」、右後方に「庫裏」、「鐘楼門(暁雲閣)」、左前方に「多宝塔」、右前方に「鐘楼」があります。
「多宝塔」は1501年に建立された建築物で、重要文化財に指定されています。
その他の「智恩寺」の堂宇や史跡を紹介しておきます。
「多宝塔」の側に重要文化財に指定されている「鉄湯船」があります。
「鉄湯船」はお寺の入浴施設である「大湯屋」で、僧侶が入浴で使用していた湯船です。また、貧しい人や病人などに開放して入浴させていたようです。
「成相寺」のブログでも紹介しましたが、日本三大鉄湯船の1つとなっています。
「鉄湯船」の後方には「稲富一夢斎の墓」、「妙音堂」があります。
「稲富一夢斎」は「稲富流砲術」の開祖で、鉄砲の名手として戦国時代に活躍した武将で、丹後国主「京極高知」が追善供養として建立したと言われています。
「無相堂」の側には「六地蔵尊」、「十一面観世音菩薩石仏」が祀られています。
「鐘楼」の側には「智恩寺」の歴代住職の「無縫塔」、「和泉式部歌塚」、「地蔵菩薩石仏」三躰、「力石」などがあります。
「力石」はお祭りや集会の余興で、この石を持ち上げて力自慢を競い合ったそうです。石の重さですが大で130kg、中で100kg、小で70kgだそうです。
この「力石」に触れると、不思議な力と知恵を授かると伝えられているそうです。
「地蔵菩薩石仏」が安置されている後方には、霊木の「文樹」があります。
霊木の文樹。タモの木またはタブの木とも。樹齢は分かりませんでした。
霊木「文樹」の後方は観光船乗り場となっていて、乗り場の側には「知恵の輪」があります。
最後に観光船が行き来する「廻旋橋」、「大天橋」を渡ると、日本三景の「天橋立」へ入っていきます。手前までしか行っていませんが、少し紹介しておきます。