3月11日
一生忘れられない日。
3年前のあの日のことが昨日のことのように思い出されます。
東日本大震災。
その日はたまたま主人と休みが一緒で二人で外出していました。
すると、今まで感じたことのないとてつもなく大きな揺れ。
私たちがいた建物内は一瞬で真っ暗に。停電です。
外に出ると、周辺の建物が異常なほど大きく揺さぶられていました。
携帯は繋がらない。信号はすべて機能していない。
パニックでした。
しかし私たちは幸いにも主人の車のカーナビで情報を得ることが出来たんです。
ニュースを見て驚愕し、言葉も出なかった。
その時初めて非常事態だと知ったのです。
私たちが当時住んでいた場所は海の近くでした。
津波の危険があると知り、私たちは急いで家に戻り必要なものを持って高台へと避難することにしました。
その時家から持ち出したのは、通帳と印鑑と携帯の充電器。
今思うと、そんなもの持っていたって停電中何の役にも立たないのに。
完全に冷静さを失っていました。
それだけその当時の異常な状況を理解できなかったんです。
高台に向かう途中もずっとカーナビで流れるニュースから目が離せませんでした。
道路は避難する車であふれており、大渋滞です。
ちょうど橋を渡っているとき、
その橋の下を流れる川の河口付近に津波が到達。
水かさは見たことがないほど増していました。
もしかしたら、このまま津波が来て橋もろとも飲み込まれるのではないか・・・。
そう思い、恐怖で体が震えました。
幸い津波に遭遇せず高台へと避難しましたが、その後も余震は数えきれないくらい起こりました。
津波の危険が残る我が家には戻れず、そのまま車中で夜を過ごしました。
もちろん一睡もできなくて、夜中にまたカーナビのニュースを見ると
そこにはあたり一面火の海の映像が。
気仙沼でした。
今日のこの日が夢であってほしいと何度も思いました。
目の前の現実を受け入れたくなかったんです。
翌日、私たちは一旦家に戻ることにしました。
家は特に倒壊などもなく、室内に物が散乱する程度でした。
しかし、家から一本海沿いの道路に出ると、
そこは津波の爪痕が生々しく残っていました。
工場から流れてきた大量の丸太が道をふさぎ、
おびただしいくらいに書類が散乱し、
車がまるでおもちゃのように積み重なっていました。
そして、水が地下から数百メートルもの巨大な噴水となって溢れだしていました。
やっぱり夢じゃなかったんだと、次第に状況を理解していきました。
その時、地震が発生してから初めて涙が出たような気がします。
あの日から3年は私にとってはあっという間でした。
たくさんの方々と、たくさんの物たちと、たくさんの思い出が一瞬で失われた東日本大震災。
決して忘れてはならない記憶です。
復興はまだまだ進んでいませんが、みんなで手を取り合って前を見て歩いていきたいです。
未来はきっと、明るい。