先日、11月23日(祝)新嘗祭の日に、小樽龍宮神社で舞手として奉納させていただいた観音舞を見守ってくださった方から、舞手にお手紙を頂戴しました。
自然と調和しながら、自分を生きるために大切なことが舞の中に全て詰まっている‥そして〈全ては繋がっている〉ということを何度も実感しながら、日々のお稽古を重ねて、このご奉納にも臨みました。
お手紙に綴ってくださった言葉に、願っていたものが成就をしたことを改めて感じられて、しばらく涙が溢れて止まらなくなりました。
送ってくださった方のご了解を得ましたので、ご紹介させていただきます。
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なぜ 縄文の「つぼ」の取っ手があの形になるのかが、観音舞をみて 初めてわかった。
あれは、神様にささげる時の「手の形」だったのかと。
器を両手で持つ時、あんなにも感謝して物を持ち、お供え物をしたり、水を注いだりして、神様にささげていたのかなあと。あるいは一ひらの蓮の花、ゆっくりと開くのは、まるで今でいう「スローモーション」であった。きっとこの様に、ゆっくりと自然を感受して、自然と一体になって ゆっくりと生きていたんだなあと。
あるいは水をすくう時も、手を、水がこぼれない様に、大切に、すくう、その手の形であったり。
神様、まあ、太陽を向いてひらく ひまわりのように。観音舞は、自分の手や姿を見せるものでは決してない。美しい自然の形を太陽や雨や雪にふれつつ、時には、土器の取っ手を持つ、人間の手の形になったり、ありとあらゆる物をひょういさせながら、神様へ見せてゆく、プロセスであった。
人間はあんなにも、わたくしごころを消せるものかと、涙が流れた。
私の涙が海に流れるまで。スローモーションの日本。了。
観音舞 in 龍宮神社
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観音舞は、自分を美しく着飾って、人に見せるためのものではありません。
唯唯、自然を天うつし、祈りを超えた命の輝きそのものをささげ、今を生きる方々と分かち合うために、大切なこと、必要なことを学ばせていただいています。



