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Mapleのブログ

春のさくら、秋のかえで

最近いちばん幸せだなーって思う瞬間は・・・


地味ですが寝てる時です


いえいえ寝てる時は「幸せだ」なんて思ったりしやんから


正確には起きた瞬間「あー、今日は今すぐ起きんでええんやわ」


って思える時・・・快楽です・・・。


といっても、仕事のある日も午後出勤なのでなんやワガママなはなしやけど・・・


でも幸せの感じ方は自由やよな


そんでそんで、ベッドから出るまでだいぶかかります


昔からこういうとこダラッダラです


まず最初1時間はテレビ観たりして


飽きてきたらコーヒー作って


それ飲みながらまたテレビ観て 笑


ネットしたりして


で友達とお茶してまたコーヒー飲んで


そうしたら一日過ぎていきます


ほんま、睡眠とコーヒーと友達とおったら生きてけるわ


ほんま・・・天国です!!


なんや変なはなしなんやけど


私、無神論者の時から


「私にとってはこの世も天国」っていうモットーがあったんやけど 笑


不思議とムスリムになった今もそのモットーは変わってないんさな


ていうのも、私クリスチャンとかムスリムが「この世は辛いばっかり・・でも別にいいの。天国に行ったら良いことばっかりやから」って言うのがほんま嫌いで・・・


そんな態度では行ける天国も行けませんよって


確かに、この世には悲しい事がいっぱいあります


でも、悲しい事がなければ何が幸せなのか分からんよね


当然、私にもつらい経験はあります


でもだからこそ小さい事を幸せだと思える。単純なことや、当たり前だと思ってる事がいかに簡単に崩れ落ちるかって事を知ってる


だから


私にとってはこの世が幸せなことの連続なん


くさいけど毎日毎日人の優しさに触れられて


ほんまあらゆる意味で恵まれてるな・・・て思う


で、ムスリムとして唯一変わったのは


この世のあらゆる幸福なことに、そして私がそれを幸福だと感じられることを、神さまに感謝してます


ムスリムとしては自分が天国にいけるなんてテングな事は絶対思ったらいかん


やからもし私が仮に天国にいけんにしても


私は今この瞬間こんなに幸せな事を


尊敬できる人に囲まれて過ごせる事を


遠くから私の事を思って、私の幸福を祈ってくれる人がいるっていう事を


そして彼や彼女の幸福を祈る機会が毎日ある事を


神さまに感謝してます


だから、この世も天国です。これで十分ってくらい。

人の事疑いやすくなっちゃうのは


自分が傷つかないためかも


でもたとえ裏切られたりしても


それはそれで仕方ないことだって


受け入れられるくらい


強い人間になりたい


大切なのは傷つかないように慎重に生きる事より


傷つくたびより強く、輝くようになる事だと思う


それはとても難しい事だけど


人の深さや美しさってそういうとこで決まるんだと思う



さて、今日のトピックです。




ユダヤ教、キリスト教そしてイスラム・・・この3つの宗教の関連性、そして違いはなんでしょう?



基礎知識としては・・・




ユダヤ教・モーセ・十戒
キリスト教・イエス・聖書
イスラム教・ムハマド・コラン



ものすごいシンプルにしてしまいましたが,学校の世界史で習うのはこんなところじゃないでしょうか。



簡単にいうと、この3つの宗教は3姉妹のようなものです。



まず長女のユダヤ教がモーザスをきっかけに広まり、その約1200年後に次女キリスト教がイエス到来によって広まる。そしてその約500年後に末っ子のイスラム教がムハマドによって広まったわけです。ムハマドが生きていたのが今から1400年前だから、そんな昔の話でもないわけです。




共通点。

3姉妹なだけに3つの宗教には共通点が多くあります。まず3つとも唯一の神を信じ、人類の始まりはアダムとイヴからであるとしていること。(リンゴの話は別として)そしてモーセ以前に送りこまれたプロフェット(預言者)をすべて認めている事(例 ノア、ジェイコブ、ジョナ・ソロモン、アブラハムなど警告者を合わせると世界に送り込まれたプロフェットの数は30万人以上とも言われている)。そして天使を認めている事(例 ミカエル、イブリス、ガブリエル、ラファエルなど)。天国と地獄、審判の日を信じている事。などなど・・・




違い。

3つの宗教の違いは簡単、歴史上どこまで預言者を認めているか・・・ということです。つまり、ユダヤ教はイエスを認めていない、キリスト教はムハマドを預言者と認めていない、そしてイスラム教はモーセとイエスを含むすべての預言者を認め、ムハマドを最後の預言者としている。シンプルです。




それではどうして三姉妹の間にはいつももめごとがたえないのでしょうか。



今では気にする人もいなくなったものの、キリスト教徒にとってユダヤ教徒は頭でっかちなせいでイエスを死刑にした張本人なわけで・・・根本的にうまくいくとは思えません。そしてキリスト教があとの姉妹たちと大きく違うところが、イエスを預言者ではなく<神>そのものにしてしまった事です。「唯一の神は人には成りえない-誰かを神呼ばわりするなんて最も犯してはいけない大罪だ」とするユダヤ・イスラム教ではこんなことは前代未聞なわけです・・・まさにアンビリーバボーです。ですからキリスト教の後に来たイスラム教でもイエスはあくまで予言者であり、それ以上でも以下でもなく「人」なわけです。ここのところが食い違っているせいでキリスト教とは話が合いません・・・。でも3姉妹とも、違いはあるけど姉妹は姉妹・・・同じ神を信じる者どうし支えあっていくべきなのです。誰が正しいとか誰が天国に行って誰が地獄に落ちるかとか・・・そんな事は神に任せておけばいいんです、今争っても仕方ないんだから。・・・私情ですが 笑 




断っておきますが、別にこの3つの宗教がいつもお互いを嫌い合ってきたわけではありません。むしろ歴史上、国や地域で3つが共存し、平和に暮らしていたのが事実です。(誰が何信じようがその人の勝手やがな・・・。)だから宗教関連のもめごとは近代的なものといえるし、宗教観というよりは国同士の政治や権力争いに関連しているものです。なのでくれぐれも「キリスト教とイスラム教は犬猿の仲らしいよ。」なんて人に言わないでください 笑






豆知識

どの宗教でもそうですが、3つの宗教には誤解がたくさんあります。





誤解1。

まず、宗教自体の名前ですが・・・よく考えてみると3つともそれぞれの預言者を宗教の名前としているわけではないようです。例えばモーセ教とかジーザス教とか。では、それぞれの名前はどこから来たのでしょう?



まず「ユダヤ」という言葉は地域の名前(おそらくパレスチナ)「ジュダ」から来ています。さらにジュダを直訳すると「賞賛」になるのでユダヤ教徒とは「(神を)賞賛するもの」となるようです。



ではキリスト教はどうでしょうか。キリスト-Christ」という言葉はギリシャ語で「聖別する(清められる)」という意味で、クリスチャンがイエスは選ばれし者、救世主(メサイア)としているところからきたようです。

ちなみにイエスという名前ですが、どうして日本語ではイエスなのに英語だとジーザスなの?いったいどっちが正しいの?なんて悩んだ事ありませんか?私はおそらく10歳くらいの時からこれが気になってしかたがなかったのですが・・・。お答えします。ジーザスとはラテン語のIesus(イースス)からきています。ん・・・イースス・・・?ジーザスと全然違うやないか!・・・いつIJにすり変わったんやー!!そうです、英語とは他の言語を盗んでは改良する言語なのです・・・笑 てなワケで本来の発音により近い日本語版「イエス」の勝ちです☆



最後にイスラム教です。日本でこそイスラム教と「教」をつけて呼びますが、正式には「イスラム」と「教」をつけずに呼びます。イスラムという言葉はアラビア語で「(神への)服従・平和」という意味です。そしてムスリムとは「(神に)服従する者」という意味です。



誤解2。

聞いた事あると思いますがユダヤ教の「ヤハウェ」・・・これはどういう意味でしょうか?日本のウィキピデェアにヤハウェはユダヤ教の神である・・・みたいな事が書いてありましたがこれは誤解です。確かにユダヤ教徒は神には秘密の「名前」があるとしてそれは「ヤハウェ」ではないか・・・と言っていますが、神は神です。別にユダヤ教にヤハウェという特別な神がいるわけではありません。ですからユダヤ教にしてみても神はあくまで唯一の神でありキリスト教とイスラム教と同じ神をさします。この「秘密の名前」ですが、私には意味が分からないし、アホらしいのでユダヤ教徒に聞いてください。説明しかねます 笑。



誤解3。

名前といえば、ややこしいのが神の呼び方です。「え・・・じゃあアッラーって何?」って思ってしまうのも無理はありません。もし3つの宗教が同じ1つの神を信じているならどうして神の名前が違うんでしょうか。



答えは簡単です。言語が違うからです。



3つの宗教がやってきた中東地方ではユダヤ教当時、古代ヘブライ語が話させていました。その時の言葉で神は「エライ」と発音されていました。だから今でもユダヤ教で「神」を指す言葉は「エライ」です(現在もユダヤ教徒はヘブライ語を習うことを義務ずけられています)。この「エライ」はのちに来たキリスト教でも同じです。だから聖書でも元訳のものにはイエスが神を「エライ」と呼んでいた事が書かれています。そしてムハマドが教えを説き始めた頃に話されていたのがアラビア語。アラビア語でエライはアッラーです。つまりまったく同じ意味です。ですから別に3つがそれぞれ違う神を指しているわけではありません。エライもアッラーも日本語に訳せば「神」、英語に訳せば「God」、イタリア語では「ディオ」です。だからもし誰かが「ムスリムはアッラーを信じている」と言ったら、つまり「ムスリムは神を信じている」と言っている事になるわけです。




*ただ、日本語や英語の「神」には多神教の神の意も含まれているので使う時には注意が必要ですが。





今日はここまでです♪



少しは参考になると本望なのですが・・・。ちなみに現在、世界でキリスト教は21億人(世界人口の1/3)、イスラム教が16億人なのに対し、ユダヤ教は1300万人たらずで世界総人口のの0.2%あまりに限られています。こんな小さな人種、または宗教がどうして世界中で注目されるのでしょうか?その話はまた次回UPします・・・お楽しみに☆