自分にその意図がなかったとして、
誰かを無意識に傷つけている。
そんな無力なことってあるだろうか。
「平和」ってすごく素敵。
いつも考えてる。どうしたら世の中が平和になるだろうって。
きっと叶うと思ってた。
わたしが生きている間には無理でもいつかはって思ってた。
学問的に「平和」を見つめるようになって、
もしかしたら二度と人間は手にできないのではないかって考えるようになった。
みんな分かり合えば、
世界が脅威でなく信頼で成り立てば、
きっと平和は訪れる。
これは、「研究」ではありえない。
なぜなら「祈り」だから。
こんなに調べて考えて研究して
なにか力になりたいそう思っているのに、
わかったことは
わたしは先進国で縦横無尽に暮らし、
それが構造的暴力によって途上国を苦しめているということ。
「生きる」ことだけに必要なこと以外すべて
that is structural violence.
だとしたらどうしたらいいの?
世界の仕組みを抜根的に変える?
どうやって?なにをして?
結局人間は誰かを犠牲にしながらでなければ生きられないのかなあ。
不完全な存在だから不完全なものしか創り出せないのかなあ。
だからこんな穴だらけのシステムでまわる世界なのかなあ。
だとしたら、すべてが無意味に見えてくる。
平和を願う歌、叫び、声、思想
いったい何の意味がある?
ああ、でも、だからこそ、それしかないのかもしれない
わたしたちには祈るしかないのかもしれない
何の代償もリスクも必要がない「想い」しか捧げられないなんて
なんて無力なんだろう。
それでも、みんなが変われば世界は変わるのだろうか。
「想い」は届くのでしょうか。
* * *
月曜日はいつも気持ちが重くなる。
はけ口がないからとりあえず今日の議論を終えての感想を記す。
あーーーーーーー忘れたいけど忘れたくない
考えたいけど考えたくない!!!
本音と建前が交差する~~~~
楽しく生きたいけど楽しく生きていていいのかわからないよ~~
と葛藤に戦う 7月。