「親ガチャ失敗した。」
だからなんだ?
言い訳すんなバカ。
逃げるな、弱虫卑怯者。
もし、そんな声が聞こえてきたら、
中指立てて逃げろ。
ほっとけ。病む必要なんてないよ。
親ガチャって言葉が、
地上波で取り上げられちゃったばかりに、
なんだか炎上みたいなことになってる。
親ガチャ、ねぇ。
どう?どんな印象持ちますか?
私はね、割と好きなんですよ、親ガチャ。
好きって言ったら、ちょっと違うけど。
なんだろうな?
そこにはマイナスな印象だけじゃない気がするんです。
諦めと受け入れ。
そんな印象。
実際、どんな親の元に生まれるかって、
ガチャじゃないですか。
運でしかない。自分でBET出来ない、まさに運。
私がそれを実感したのは高校生の時でした。
私、定時制の高校に通ってたのですが。
だから進学は当たり前でなく、
恵まれた家庭(経済面、親の賛成など)の子しか、出来ないような、
そんな環境でした。
それ、進学校の子に分かりますかね?
不安感なく勉強に集中できる環境が当たり前にあること。
それがどんなことか、分かりますかね?
私だって、恵まれていたから、
正直身にしみて分かるわけ、ないかもしれない。
親が何度も離婚を繰り返す家庭。
高校の学費ギリギリで、自分でバイトして払う子。
親が自殺した子。
施設で暮らしてる子。
あー宿題嫌だなぁ。
明日朝練の前に勉強しなきゃ。
課外じゃん、うざ。
その前に、その前に「生活」が断固として立ちはだかる環境で、
勉強に集中出来ますか?
スタート地点が違うんですよ。
頑張らなきゃいけない。
なんかもう、絶望的な精神面で戦わなきゃいけない。
高校の時、
とても頭のいい子が同じクラスにいました。
英語が得意だったみたいで、
寝てても、お喋りしても、
教師の意地悪であてられた問題を、
すらすら答えてました。
彼女は母子家庭で、
母親は彼氏を取っ替え引っ替えしているようで、
高校生とは思えない幼さを廃した雰囲気を纏っていました。
私は大学へ行きました。
彼女はキャバクラで働いていました。
それが彼女の幸せかもしれないし、
実際今超ハッピーかもしれない。
でも、私の中の罪悪感は消えません。
私は馬鹿だけど、
進学するお金を出してくれる親がいたから大学へ行けた。
学びたいことを学んだ。
私が何で罪悪感を覚えてるかって、
勉強、たのしそうだったんですよ、彼女。
楽しそう、だったんですよ。
学ぶことを楽しいと思える、思ってた、子だったんですよ。
これを、この格差を
親ガチャって言わずにどう言うんでしょう?
親ガチャでしか、なくないですかね?
他人のせいにしてると?
あ、ちょっと脱線しますが。
親ガチャ、が盛り上がるたびに、
子ガチャ、も対比で用いられます。
いやいやいや、それは違うだろ。
一昔前のヤンキーみたいなこと言いますが、
子供は生まれることを明確に望んだ証拠がないので
親ガチャが成立しますが、
子ガチャに関しては、
少なくとも産む意思のもと、産んでるので。
それは、どんな子供かって賭けに、
自分でBETしているわけで、
ちょっと立場が違うと思う。
子供を産むって、エゴでしかないじゃんよ。
まあ、そんなの、分からないんだろうけど。
話を戻します。すみません。
だから
私は親ガチャが存在してると思うし、
それが悪いことだと思わない。
もちろん、親ガチャ成功かどうかは、
本人が決めること。
家庭環境や貧富の差で勝手にこの人はこう、って決めるのは違う。
本人にしか分からない。
大事なのはそこじゃなくない?と思います。
ガチャって、ガチャガチャ(ガチャポン)っていうより
ゲームのガチャだと認識してますが。
ガチャ、失敗しますよね。
いくら課金しても、
欲しいものが出なかったり。
「あー失敗したわ。ガチャ。」
でも、
それで終わらなくないですか?
続けますよね?ゲーム。
例え一度ガチャに失敗しても。
親ガチャには失敗した。
ドンマイドンマイ、運がなかった。
まあそれは諦めて、次行こ次!
そうやって、私たちはゲームを続ける。
親ガチャ失敗した、には、
先天的な要因はどうにもできないから諦めて、受け入れる。
ま、しょうがないよな失敗だったわ、って妥協する。
そんな意味も、そして希望も
あるのでは?と思うのです。
だってずっと恨んで生きるわけにはいかないし。
妬んで僻んで自分を呪うなんて、辛すぎる。
だから私たちは、
自分で生きるために、簡単な言葉で形容して
状況を他の媒体に当てはめようとする。
それの何が悪いのか。
塾に行けるのを普通だと思う人。
就活=大学生だと思ってる人。
全ては「怠け」だと思ってる人。
ふざけんなや。
私も、私も含めて。
そこにある叫びを、
嗚咽しながら受け入れようとする様を、
見逃すなよ。
正解のような返答で無かったことにしないでよ。
今の自分が自分の努力だけで得られたものと思うな。
環境の運を考えろ。
自覚することで、世の中を前向きな方向に変えると、
私は思います。
生まれて育った環境で人生が固定されないように。
選択肢がいくらでも選べるように。
例え、親ガチャに失敗しても。
他のガチャ回そ、って、思えるように。
親ガチャは失敗したけど、
職場環境ガチャは成功したな、とか。
親ガチャっていう、
絶対的に自分で選べない先天的なまさにガチャではないかもしれないけど、
でも、
だからこそ、
勝てそうな、得意そうな、面白そうなフィールドを選ぶことができるって、
前向きに捉えたい、よな。と思う。
あああ、たしかに、
お金があればリスタートしやすいし、
チャレンジだったしやすいし、
どう頑張ってもスタートラインが違うし。
考えてループして、じゃあどうすればいいのよ?って話だけど。
でも、
やっぱり親ガチャのせいで行きたい場所に行けないなんてそんな世の中の方が間違ってるって。
少しずつでいいから変えていきたいし、
変えなきゃいかん問題だと思う。
人生の決定権を親や環境に左右されないで、
自分の人生を生きられるように。
人生はゲームと同じ。
何度だってやり直せる。
最高のパーティだって、自分で選べる。
「親ガチャ失敗した。」
だからなんだ?
ガチャはそのひとつだけじゃない。
何度だって回せ。
自分が思うSSRが出るまで。
私たちは生きている。
生きている限り、何度でもガチャを回せるんだ。
生きることで、回せるんだぞ?ガチャ。
何度でも回せ、ガチャを。
SSRは必ず、出る。
絶対に、出る。
何度でも何度でも、何度でも。
失敗しても、嫌気がさしても、
死にたくなっても。
回せガチャを。
自分だけの、SSRを手に入れるまで。