携帯の通じない長野の山奥にいました。

3泊4日

朝7時から深夜までがっつり
踊ってきました。


携帯通じないのって
気持ち良いねニヤリ


廃校になった小学校と、近くの山が舞台です。
すぐそばには美しい川が流れています。


参加者で料理をつくり、
食べ、片付け、

そのあとすぐに稽古。 



3年間ほぼ動いてなくて
体重も6キロ、体脂肪も
激増したなか真顔
いまのじぶんの身体がどう感じるか、
どういう反応をするかを観察しました。


演出家に会ったとたん
【太ったね】って言われたよ真顔ハート



見事に筋肉痛になったし、
感覚はにぶいし、身体は重かったけど
踊ることが楽しくて、作品作りが楽しくて、
共におどる仲間が愛おしくて
とてもうれしかった。


人に興味がないけど
踊りを通してだと人にすごく
興味がわくの!
それは一つの作品に向かっていくために
どうしたらよりよい作品になるか
夢中なれるからだろうな。



23才から
パパ・タラフマラという
パフォーミングカンパニーの研究生を
3年間していました。

卒業してからも演出助手として
かかわっていたのですが

大腸がんが
発覚してからは

じぶんのペースでしかおどれないので
年に数本舞台出演をする程度でした。


研究所にいたころは
夜しか働けなかったので
スナックで働いてのみまくり、
出張マッサージをしたりと
ほぼ家には帰らず漫画喫茶か電車で
寝てた。


ぱんっぱんな顔で稽古してたUMAくん


どうしても踊りたかったし、
どうしてもうまくなりたかったし、
忙しかったのもあって
やっている気になっていた。


これねーー!
陥りやすくて!

【やっている気になる】


で、無我夢中で
やりすぎて、
そりゃ身体をこわすわけで

大腸がんという
わかりやすい形で強制終了が
かかりました。


3年前くらいから
自営業として一人で活動しだしてからは
舞台には立たず
応援する側になろうと決めた。


お金を産みたいのも
じぶんがイベントをしたときに
パフォーマーに出演料を払いたいだとか

芸術家がより
生きていきやすい環境を作りたいと
思ったのも大きい。


役者も、ダンサーも、
チケットノルマがあったり
稽古日程や拘束時間が長いので
稽古中は働けず極貧な人も多い。

出演料があっても
バイトしている方がお金もらえるよねって
いうことも多い。



当時、お金がなさすぎて
電気やガス止まったっていう人や
キャベツばかり食べてる人、
劇場にくる電車賃もなくて
何時間もかけて自転車できた人もいた。


わたしにはそこまでがんばれないと思った。

お金がなくても
無我夢中でやれるほど
体力も気力もない。


けど

ふと思った。


【ダンサーが稼げないなんてうそ】
【舞台芸術が稼げないなんてうそ】


そもそも
【集客が大変】は

わたしにとってはうそ♪


ダンサーとして必要だなと
感じているのは


自己プロデュース能力


こんな踊りができるよ
こんな生き方をしているよ
こんな舞台に出演していて
今後はこういうことをしていきたいよ
わたしはこういう考え方をしているよ
って伝えること


いまだったらSNSも発達しているし
踊っている動画を流したり、
いろんなカメラマンに撮ってもらって
アップしたりもできる。


宣伝の時だけメッセージしたって、
告知したってお客さんが
来てくれるわけがない。


ダンサーも、役者も、芸術家も、演出家も
いくらでもお金を受け取っていい。



めいいっぱいお金を
わたしたいな。
何百万円、何千万円と寄付して
舞台に貢献できたらいいな。




10月21日に小池博史さんの舞台に
立つことを決めました。

これは参加費を払って出演する舞台で、
ばりばり踊っていたときなら
プライドがあって
支払って踊るのは嫌みたいなのがあったんだよね。


3年間踊ってなくて、
踊れる環境や、舞台に立てるありがたさや
いろいろと今はお金を払って舞台に立つことが

今のわたしにはしっくりきた。



大腸がんになって手術5周年をやろうとして
延期しまくって6周年になろうとして、
それでもなんだかやることを迷っていた。


5周年パーティーをしたいと思ったのは
お世話になった人にありがとうを伝えたいという
ことで。

だからね、今回舞台出演することにしたのは
ありがとうを伝えたいということと、


なによりわたしに対して
めいいっぱいありがとうを伝えたいと
思ったから。

わたしにとっての
6周年記念の日にします。


ちいさな、ちいさな会場なので
みてほしいなって思う方に
早めにお知らせさせてくださいガーベラ



長くなっちゃった!

また踊りを踊りたいと思えてうれしい。