小学校で学級崩壊のクラスにいて

 

なぜか先生から優等生扱いされて

先生に相談されたりしていました。

 

 

学級崩壊がトラウマになって

大学卒業まで

 

こどもが大嫌いでした。

 

 

どんな色にもそまるこどもは

残酷で面倒くさいって。どう接していいかわからないし、

こどもも、うみたくない。

 

 

で、大学卒業後に関わった舞台で

こどもと一緒に作品を作ることになったとき

 

親の前とわたしたちの前との顔が違うことをしった。

 

 

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ひとりひとりを見てみると

はじめ恥ずかしそうにしていた子も

だんだんと表現することで生き生きとしてくる。

 

親の目を気にする子、学校だと消極的と言われている子、

やんちゃな子、どの子も人間で。

 

勝手にこどもたちで仲良くなっていく。

 

そのときから、こども、というか

ちいさな人たちは一生懸命生きているんだなぁと

尊敬するようになった。

 

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小学校で特に問題があったように感じた子たちは

親が片親だったり、親に何かあることが多かった。

 

わたしは小学生のとき、離婚するなら結婚しなきゃいいのにって思っていて。

責任もってこどもを育てろって。

 

親がしっかりしないから、先生がしっかりしないから

授業にならないんだって人のことばかり責めていた。

 

 

わたしはおっきくなって

不倫をした。

 

その彼にはこどもがいた。

 

 

こどもと一緒に場をつくる機会が増えてきたり

こどもを出産する友人がまわりに増えたときに

 

不倫していたのにって頭によぎることがある。

 

あんたにはこどもと関わる資格がないよって。

 

 

わたしの中でこどもと

一緒に場をつくっていくことはこれからしていくことなんだけど

堂々と言えない気持ちがあった。

小学生の記憶や、過去のわたしがいまのわたしを否定しているような。

 

 

いまわたしの周りには

たくさんのシングルマザー、結婚しているけど恋愛している人、

血の繋がらないこどもを育てている人、不倫経験者、

何度目かの結婚の人がいて

 

それぞれとてもしあわせそうで、

素敵な生き方をしているように感じる。

 

 

 

今回開催した

いみない祭もシングルマザーの方がたくさんいた。

 

こどもたちは

全力で遊んでいて

 

あぁわたし、ちいさな子たちが

生きやすくなる場所をつくっていきたいって思った。

 

それはわたし自身がよりわたしを生きていくこと。

 

 

 

シングルでも結婚していても、どんな風に育ったって

こどもは勝手にトラウマを感じる。

 

小学校がすべてではないし、

家族がすべてでもない。

 

おとなもちいさな人も

まざって遊べる場。

 

 

 

これからは堂々と

こどもたちとも遊んでいきます。