自己紹介part4!

研究所を3年通い
卒業してから夜間の出張マッサージの仕事をはじめ、
同時に舞台の演出助手、自分の稽古をしていたので
毎日平均3時間睡眠(しかも漫画喫茶や電車での睡眠)

で日々を過ごしていました。

つねに興奮状態、すべてのことを精一杯やりたい想いが強くて
毎日充実してるななぁ~~~!と思っていました。

演出助手の仕事が終わった後、
しばらくして倒れることになるとはまったく思っていなく・・・・

2012年7月22日に、深夜のバイトを終わって
朝方帰るとき、あまりの腹痛におそわれ
電車をおりトイレに行くものの
下からはでず上からでるのだけど
痛みはおさまらず2時間ほどトイレにいました。

一緒にいた彼が
家まで送ってくれて
なんとか帰れたのです。

次の日も仕事。
もちろん《休む》という文字はわたしの辞書にはなく
次の日仕事に行きたいがために救急で病院に行き点滴、
先生に《異常だから病院明日いったほうがいいよ》と言われ
しぶしぶ休み病院へ。


急性胃腸炎という診断で緊急入院するのだけど
後々の検査で《ほぼ大腸がんです》と言われ
転院、手術、卵子凍結、抗がん剤治療とはじまるのでした。

手術の結果《横行結腸がんステージ3A》と名前がつきます。
予兆はあったの??と多くの方に聞かれたのでお伝えすると

1年前から
立ちくらみ、めまい、貧血。
お酒がよわくなる。

半年前から下血→大腸専門の病院に行ったら《痔》と診断。
お腹がはりやすく、痛くなるときがある。顔色が悪くなりやすい。
熱がでやすい。

などがありました。

でね、神様はうまくやってくれるなぁと思うのが
半年前にもし大腸がんがみつかっていたら
わたしは研究所の大切な舞台にたつことができなかったんです。
演出助手もできませんでした。
そしてリラクゼーションの仕事もしていなかったかもしれません。

がんになって、断ってしまった舞台がいくつかありました。
これはものすごく後悔したし、くやしくて
申し訳なかったけど
生きる道を選びました。

まさか25才で自分の生死を決めることになると思わなかったので
ものすごく葛藤がありました。

もちろん生死を決めるのはわたしではなく神様であり、地球であり、
宇宙なんだろうけど
当時のわたしはこの道を選んだら自分が死ぬかもしれないという恐怖と
必死に戦っていました。いまもね、たまにあるよ。

でもその恐怖を両親にはみせず、
病室で一人泣いたりしていたなぁ。




退院前日に高校からの友人に写真をとってもらいました。
ありがとう!



わたしのたまごたち。
結婚したらこどもができるくらいに思っていた考えが
くつがえされた。
産婦人科にはしあわせそうに見える方だけではないことをしる。
採卵前日、夜に注射を打ちに行くのだけど
一緒になった2人がいて
一人ははじめての不妊治療でわくわくしていて
もう1人は《もう何度も採卵しているけどいい卵が育たない》と
表情が暗かった。
それでも2人は旦那さまと一緒にきていて
結婚していないわたしはうらやましく思っていました。

生死も出産も、本人次第であり、
宇宙がきめることなんだなぁと思っています。