『人に興味がない』

という声がきこえて
すっきりした気持ちと、
え、どういうことよと東京に帰ってあの声はいったいと考えていました。

もともと人間は霊体で、波動で、宇宙の一部分でしかなくて
自然界によって生かされていると感じています。
どんなに機械をつくろうが技術が進歩しようが
酸素や、太陽や、水や、食べ物がないと死んでしまう。

そしてわたしは熱烈に山が好きです。というか木が好き。
植物がないと気がくるうのでお部屋も植物でたくさん。

『人』をWikipedia先生で調べると

⚫︎関係性や人格からとらえられた人→人間、人間関係、人格
⚫︎心だて、心の性質
⚫︎相違点をこえた《類》なかまとしての人間→人類
⚫︎生物学上の人→個人
⚫︎特別な関係にある人。主に夫や妻など
⚫︎ほかの人。『人のことは気にするなよ』などと使う。

と出てきました。
わたしは人と接する仕事ばかりしているけれど
実際は自分にしか興味はなくて、
人とかかわるときは
その人っていうよりも波動や身体の内部、魂にふれる媒体にすぎないんだな
(欠点というくらい話している内容は基本すぐわすれちゃう。思い出もすくない)


『人に興味がない』


っていうことは人間界でいう関係性だとか(夫婦、親子、兄弟、ともだち)
に興味がなくて
今の身体は宇宙に今生きているただのうつわで
そこに魂がはいってきて
肉体をおかりしている。

生きていると、ついまわりの目が気になったり
常識にとらわれたり(そもそも常識ってなんだろうね)
関係性にくるしんだり
お金に固執したりするけど

そんなのちっぽけな悩み。

や、悩むことはこれからもいっぱいあるし悟ったわけでもなんでもないけど

人というよりもふかーいところで相手とつながれる感覚がふってきて
あぁわたし今世わたしをえらんで生まれてよかったと思いました。

じぶんとつながることができてよかった。

なので疲れてきたり、人と会いすぎたりしているとふわふわ浮いてくる感覚があるのが
子宮にどーんと落ち着きました。

アクセスバーズ®のセッションをしていると
まえのじぶんがでてくることがあって
はじめて利害が一致した感覚がある。

ちょっとへんな話と感じるかもしれないけど

わたしはむかしから祈る場にいて
多くの人とかかわってきています。
それがトラウマでもあって。

でもそんなむかしのわたしも今のわたしも
違うけど一緒でいいんだなと感じるし

施術中はじぶんがただの媒体として粒子を感じていて
とてもしあわせなの。

人に興味がない。

わたしはわたしを愛していて

そしてわたしと出逢ってくれる魂を尊敬し
愛しています!

そんな感覚の旅でした。

天岩戸におとづれてよかった。
よんでくださってありがとうございます。