この年末に、苦手な人とようやく縁が切れる・・・と、思います。
「思います」という未知数な表現になってしまうのは、過去にも「縁が切れた!」と思っていたのに10年越しに連絡が来て
「会いたい」とか言われ、再び縁が繋がってしまった為。
完全に切れたと思っていたのよ、この10年・・・(笑)
凄い長文ですし、心の強い方しか読み進められないと思います。
精神的な疾患など抱えていらっしゃる方、不安定なお心の方はどうぞこのままお戻りになって下さい。

その相手は心の病気を抱えている方です。
10年ぶりにメールをやりとりする中で打ち明けられたのですが、最近、発達障害と認定されたとのことでした。
ここ1年くらい、思い出したときにぽつぽつとメールのラリーが続いておりました。
できるだけ当たり障りのない内容を心がけて打つ文字は、とにかく精神が張り詰めて疲れるし、めちゃくちゃ時間のかかる作業でした。(1通打つのに1時間とか・・・)
自分の近況を伝えたら、何かが切っ掛けで幸せで充実しているという自慢に受け取られやしないだろうか。
相手の近況を深堀りすると、また解決不可能な家族や人生の不満のはけ口にされるのではないだろうか。
なので、基本的には世間を騒がせている熊出没の話題や天気などの世間話が中心でした。
ところがとうとう、人生の不満が爆発したメールが届いてしまいました。
職場への不満、家族への不満、自分の人生への不満。
メールの締めくくりの言葉は毎回
「〇にたい」
「生きている意味がない」
「私なんか〇ねばいいのかな」などなど。
何とか話の矛先を反らそうと、違う話題を振ってみても返ってくる返事は同じ。
ねぇ、こんな言葉で締めくくられるメールを毎回受け取る私の身にもなって欲しい。
ですが、相手は発達障害。相手の気持ちを汲むことができないのです。
私もはるか過去に「〇にたい」と思ったことがありますが、他人や家族にそれを伝えたことはありません。
だからこそうっすらと察してしまうのです。
「こんなメールを送ってくるということは、慰めて欲しいだけなんだろうな」って。
過去にもこの方は自分を労わって慰めて優しくしてくれる相手を求めて、「友達」を転々と頼っていた時期がありました。
相手をするのが面倒になったAが避け始めると、親身に話を聞いてくれるBに頻繁に連絡を取りはじめ。
Bの手に余るようになって返信が滞ると、今度はCに涙ながらに訴え同情を誘う・・・という次第。
これらの事情は、たまたま共通の知り合いが居た為に知った話です。
ABC三人とも、まさかそんなことになっているとは知らず、驚いていました。自分だけに悩みを打ち明けてくれていると思っていたそうです。(しかもその内容が同情を引くために嘘を並べていたというオチつき・・・)
その頃の私は傲慢にも、きちんと対話を続けていけば立ち直ってくれるのではないかと思っていました。
相手の役に立ちたいとも思っていましたし、頼ってくれることを嬉しいとも誇らしいとも思っていました。
「友人代表」のような気持ちでいたのです。本当に勘違いも甚だしく、こっ恥ずかしい話です。
真実は全く違いました。
度々、夜の深い時間に泣きながらかかってくる電話に朝までお付き合いしました。翌日が仕事でも。
ですが本当は他の「親友」と電話をし、その方との通話を終えた後に話し足りなくて私と通話をしていたことを知ってしまいました。
ご自身のブログには遠くに住む「親友」に励まされて感謝していると書かれていました。もちろん、近くに住んでいる私のことではありません。
傷つきました。裏切られたと思ってしまいました。悲しくて、悔しかった。
だけど諦めました。私も元々そこまで自己評価の高い人間ではないので(笑)
必要とされていないなら仕方がないね、と思うことにしました。そして、相手との関係を見直そうと思いました。
私が朝まで電話に付き合わされているのを知っていた家族にも、かなり心配されていましたし、自分でもこのままでは病んでしまうと思いました。(既に病みに片足突っ込んでいる気配もありました・・・)
こんなに時間を費やして、寄り添おうと心を砕いて、これまでの時間と労力は何だったのだろうか?
それに、自分以外にも悩みを聞いてくれる人が居るのならば、私が無理に付き合う必要はないのでは?
そもそも、これまでもどれだけ悩みを聞いて、解決策を色々考えて、僭越ながらアドバイスもしてきて、一体何が変わった?
「でも」「だって」「あなたとは違う」「誰もわかってくれない」と言い訳して、一つも前に進もうとしない相手に、ド素人がこれ以上何ができるだろう・・・。顧みて考える程、とても虚しくなりました。
悩みながらもしばらく相手を続けましたが、あるときとうとう限界が訪れてしまい、私は相手を傷つける発言をしてしまいました。
「もう友達じゃない。二度と連絡してこないで!」
そう言われたのは、私のほうでした。
それから10年です。
まさかあちらから連絡してくるとは夢にも思っておりませんでしたので、メールの着信を見たときには背筋が凍りました。
私にとっても超トラウマです(笑)
今回、10年ぶりに「〇にたい」というメールを受け取って真っ先に思ったことは、
「まだ言ってるの?いい加減にしろよ・・・」ということでした。
もう私は相手に寄りそう気持ちになりません。寄り添っている風を装おうとしましたが、無理でした。
この人は自分を満足させる為に相手の気持ちと時間を搾取する泥棒です。
こんな言い方は失礼ですが、都合の良いときにだけ擦り寄ってきて相手の気持ちを利用するなんて、意地汚いことをまだやっているの?とも思いました。
カウンセリングならお金を払って専門家を訪ねればいい。 ・・・とは直接言いませんでしたが(笑)
最終的には聞くに堪えられなくなり、「いのちの相談窓口」とか「心のダイヤル」みたいなものの連絡先をメールしました。
悩んでいる人、「〇にたい」と言っている人への対処法を検索すると、
「いつでも話をきくよ」と相手の気持ちに寄り添いましょう。
という一文が出てきます。TVでもCMしてますよね。
でも私は「いつでも話をきく」なんて、二度と絶対に口が裂けても言いません。
また真夜中にかかってくる電話に出ろって?朝まで電話に付き合えって?
ちなみに相手は体調不良で会社を休んでいたそうです。だから朝まで電話できていたんです。
朝の最寄り駅で待ち伏せされて、出勤前にカフェで延々と話を聞かされて会社に遅刻したこともありました。
この時も相手は会社に「体調不良で午前休」の申請をしていたそうです。被害を被っているのは、私だけ(笑)
ありえないでしょう?
私はもう10年前に相手の話は十分に聞きました。
10年前とほぼ同じような内容の、結論の出ない堂々巡りの愚痴なんか、もう聞く必要ない。
話の内容がだいたい同じ過ぎて、この人だけ時空がゆがんでるのかと思った程。
まだこんなこと言ってるの?
あれから何年経ったと思ってるの?
人間として1mmも成長してないのでは?
変わってないって、逆に恐いよね。10年経ってるのに。
専門機関の連絡先をメールしたところ、相手からの返事は
「わかりました、そちらに電話してみます。お気遣い受け取りました、ありがとうございます」
たったこれだけ。
あー、またこの終わり方か・・・(笑) と、思いましたが、仕方がないです。
いつもはフレンドリーな文章なのに、急にこのようなバカ丁寧な短文を送ることによって、自分が傷つき怒っていることを相手にあえて気付かせる。
そして「傷つけてごめんね」と頭を下げてくるのを狙っていることはわかっています。私は察しが良いので(笑)
そういう「相手を自分の意のままにコントロールしよう」としてくるところも、とてつもなく嫌いです。
わかっていても、私はしばらくの間、相手を再び傷つけてしまったことを悔やむでしょう。
こういう対応をしたことを申し訳なく思うでしょう。
だけど再度交流を持ちたいとは思いませんので、こちらから連絡を再開することは二度とありません。
私には私の人生があります。
私を大切にしてくれる人、搾取しない人、私が一緒に居たいと思う人との時間を最優先にしたいのです。
搾取ってお金だけのことではありません。
同情を引く、心労をかける、時間を奪う、労力をかけさせる、不利にさせる、社会の信用を失うよう仕向ける・・・など。
私も一度は死ぬかもしれない大病を患った身です。
自分の残り少ない(かもしれない)人生の時間を、気持ちを、労力を、どう使う?どこに費やす?
それを思うと、こんなケチな相手に関わっている暇は無いのです。
こういうこと書くと本当にさ・・・私、この相手を格下だと思っているんだろうな、とか。
そういう、どっちが上とか下とか、いつの間にか考えてしまうのも苦痛。
昔馴染みとして普通にメールのやりとり、できないもんですかね?
ただ連絡しあっているだけなのに、自分がどんどんイヤなヤツになっていくようで、それもしんどい。
この人にじわじわ浸食されて毒されていくんだと思う。
そんな付き合い、要らないよね。
だから私は超冷たい人間だと思われても別にいいや。
私の本心は、私と共に生きてくれる楽しい仲間だけが知っていてくれれば良いや。
もう既に、この人にこんなクソつまんないメールを打つ時間があったら、タイのドラマ何本見れたかなぁ? って思っちゃってますからね!
どうかこのまま、このご縁がキッパリ切れますように!!
よし、初詣には縁切りのお願いしてこよう!!