2016年8月、大阪・八尾に声優養成所誕生 ! !

 

『 Voice Actors School.ONE ( V.A.S.ONE ) 』

 

初心者、学生、大歓迎 ! !

レッスン生募集中 ! !

 

○ 講師は元プロ声優

○ 録音スタジオ直営

○ サンプルボイス収録

○ アフレコ実習

 

専門学校と同等のカリキュラム ! !

入会費無料の月額10.000円で実現 ! !

 

レッスンは月4回、充実の180分 ! !

初回のみ無料体験レッスンを2回受講できます ! !

 

詳細は公式HPで ↓

 

Voice Actors School.ONE ( V.A.S.ONE ) 公式HP

http://voiceactorsschoolone.jimdo.com/

 

 

 

ご無沙汰しております。

ブログを放置していて申し訳ありません。

 

その間、ず~~~~~っと、開講作業に勤しんでおりました。

チラシを制作したり、HPを制作したり、あちらこちらに営業(?)かけたり……。

 

基本的に深夜作業になるので、も~~~~~寝てない寝てない。

だけど、とっても楽しい数日間でした。

 

独立。

 

いいですよ、大変だけど、楽しい。

楽しいって言葉が、なかなか声高に叫べない今日だけれど。

 

やっぱり楽しくありたいよネ。

 

興味がありましたら、気軽に無料体験レッスンにお越し下さい。

HPから簡単にご応募できますので。

 

さあ、ステキなご縁が紡がれますように。

 

 

その一歩を。

 

踏み出すあなたはすでに。

 

『才能がある』ということです。

 

自分に自信を持って下さい。

 

お待ちしております。

 

 

 

Voice Actors School.ONE 代表 香月真緒

だからと言って自身の喜怒哀楽を否定しているわけではありません。
芝居の色付けは間違いなく体験による『感情記憶』に基づいています。

 

基本的なお話になるのですが、芝居は観客がいないと成立致しません。

映像ならカメラの向うの視聴者、ボイスドラマなら聞いてくださる方、アニメなら云々、それはスタジオのレッスンでも同じです。

お客さまが『どこから自分を見ているのか?』

それを設定しなければ、演技の組み立てようがありません。

立ち稽古であれば、最低でも『舞台』と『客席』の指定は必要になります。

 

良く言われる言葉ですが『自分を客観視する第2の自分』の存在は必要不可欠です。

演じる自分の一挙手一投足をミリ単位で監視する『もう一人の自分』を創造するのです。

たとえば、舞台なら客席に座して『出番の始まりから終わりまでの動き』をお客さまの目線で確認するのも、『もう一人の自分』の役目です。

 

ならば『声優』では?

 

緻密な『演技(台詞)の計算』になります。

総ての『台詞を計算で構築』するのです。

総ての『台詞のコントロールを可能にする』のです。

一番良くないことは『行き場を失った台詞が霧散すること』です。

これはまた別の記事で記すことにします。

 

こんなことがありました。

ある作品の収録がありました。主演は誰もが知っている(超)有名声優さまです。

シーンは、追われているその方を私が捕縛すると云うシチュエーションでした。

 

台本通りの台詞を仰られた後、アドリブで泣声が入りました。

私は少し間を空け、泣きを立たせてから捕縛の声を上げました。

OKを頂き、ホッとしてお顔を見ると……。

 

ハンカチで涙を拭っておられたのです。

 

その後、別席でご一緒する機会があり、無礼を承知で質問させて頂きました。

『泣くシーンで、なぜ演者がリアルに泣く必要があるのか?』と。

するとその方は……。

 

『僕があのシーンの音を創るためには、泣いて鼻声にする必要があったんだよ。』と。

 

『ああ!!』 って、ハンマーで殴られたような衝撃を受けました。

まず台詞の計算があり、その計算通りの音を再現するために泣くと云う『身体的現象』が必要であるのだと仰られたのです。

 

まず『計算』。

次に『感情』。

 

そして、『感情』さえも『計算』で支配してみせて初めてプロなんだよ、とその方は仰られました。

 

ちまたに溢れている『感情第一主義』的な演技術。

それは、『総ての感情を自身の体験のみで表現する』と云うことらしいのですが……。

記憶にストックしている感情を、その度に呼び出す作業が、果たして合理的なのでしょうか?

 

そして芝居における『感情論』の究極とは?

 

なんだか面白い結論に導かれそうなので(;^_^A 

もう少し思考の海を泳いでみます……。

 

と云うことで。

ぱーと③ につづきます。

 

てか、だんだん話が逸れつつ荒唐無稽なお話になってきましたね∑(; ̄□ ̄A アセアセ

 

たかがブログの戯言とお許し下さいませm(*T▽T*)m オ、オユルシヲ・・・

ちまたにあふれている芝居における『感情論』を自分なりに考察してみました。

職業俳優、特に『声優』は特化すればするほど、良くも悪くも『感情』と云うものからは、およそかけ離れた芝居を展開していくことになると思います。

 

『リテイク』への対応を例に挙げてみましょう。

 

共演者がNGを出し、リテイクを出されたとします。

しかし、自分の演技はOKをいただいています。

そこで求められるのは寸分違わぬ同じ演技です。

10回だろうが20回だろうが、求められるのは同じ演技です。

 

『台詞を計算式で構築し演技総てを把握している』ならば、何度演じようが0.01秒のずれも生じません。それがプロの演技術です。

 

台本上で生じる総ての感情を、自身の体験だけで補うのは不可能と言わざるを得ません。

役者の仕事は『想像して創造すること』です。

古代ローマの皇帝や、宇宙を支配する征服者の思考など、現代社会を生きる普通の日本人の体験で補えるわけがありません。スケールが違います。

だからこそ、役者は『想像』し『夢想』するのです。そして自身の肉体を使って『創造』するのです。

 

言葉は悪いですが、限りなく詐欺師に近いかも知れませんネ(汗)

『如何に上手にお客様を騙すか?』 突き詰めれば、芝居の本質のひとつは間違いなくここですから。

 

 

このお話は、なんだか長くなりそうなので。

ぱーと② につづきますm(_ _"m)ペコリ