「アンゴルモア」、20周年。 | 有栖川まおの愛が止まらないR

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「有栖川まお」のガンダムで倉木麻衣な日々の出来事を綴ったブログです。

 今日から7月。

 私が諸事情により東京からの仙台の実家への一時撤退を余儀なくされてから、今日で丁度20年になります。丁度「1999年7の月」だった事もあり、私はこの出来事を「アンゴルモア」と呼称しています。

 つい最近になって、『ノストラダムスの大予言』の著者である五島勉氏が、1999年7月に人類が滅亡するという「予言」が外れた事について「子供たちに謝りたい。子供が読むとは思っていなかった」などと語ったそうですが遅ェえーよ!! みんなあの予言を信じ込んじまって、オウムなんかあんな事件を引き起こしちまったというのに)、私個人にとってはこの予言はピンポイントで的中していたのです

 絶望脱力感に打ちひしがれながら、100個近いダンボール箱(!!)と共に仙台に戻ってからというもの、働き口もロクに見つからず(そもそも、仙台で働き口が見つからなかったから東京に出てきたのですが)、当時既に定年でずっと家に居た親父からは何かにつけて怒鳴られっぱなしで(まさに「幸福の名の下に支配するマルス」でした…)、そんな親父の雷から逃れる為、日中は自転車で仙台中をグルグル回っている日々が続きました。

 今で言う「子供部屋おじさん」に近い状態を強いられながら、3ヶ月程過ごしていた当時の私でしたが、「このままではいけない」と思い立ち、両親に再上京を懇願して、七転八倒の末に東京に戻る事が出来て、現在に至ります(11年前には、当時居た会社の社長の企みで、関西のド辺境への一時転勤アンゴルモアII)を余儀なくされたりもしましたが…)。

 今でこそ「そんな事もあったっけなぁ」と笑い話で済ませられますが(親父も、数年前に大病を患ってからは、すっかり元気が無くなってしまいましたしね…)、当時の私にとっては、上記のようにノストラダムスの予言を実感させられた年でした。とにかく、あのような思いは二度としたくないモノです