こんにちは!
masakiです!
ここ毎日寒い日が続いていますね
こんな時は「漫才」を見て大笑いで温かくしましょう!
さてさて皆さん、今回からは“「漫才」の始まり”と題して、数回に渡って発祥の「萬歳」から「万才」、そして現在のいわゆる「しゃべくり漫才」へとどのように変化していったか、その歴史を紐解いていきたいと思います。
まずは、漫才の起源といわれる「萬歳」から。
この萬歳の起源も古く、実は定かではありません。ひとつは、奈良時代の宮中なので春を寿(ことほ)ぐ“踏歌(とうか)”といわれる行事より進化したものと考えられています。また、“雅楽”にある君主の長久(その時代が長く続くこと)を祝う萬歳楽(まんざいらく)という曲が進化し、“千秋萬歳(せんずまんざい)”、そして「萬歳」となっていったという説もあります。まだ他にも説があるのですが、どれも「めでたいことを祝う行事(曲)」だということが解ります。
この千秋萬歳が平安時代には、貴族の間で正月の恒例行事となっており、正月になると法師が訪れ舞を舞ったようです。そして武家が権力を持つようになった鎌倉時代には、法師は寺社や武家を訪れるようになり、室町時代になると声聞師(しょうもじ)とよばれる芸能者(旅芸人のようなもの)がそのかわりをするようになり、一般にひろく普及していきました。
大和の萬歳が千秋萬歳として京都で行われ、その後、尾張萬歳、三河萬歳、さらに全国各地へと伝わっていったとされていますが、それぞれの伝承は別にあるようです。ざっとあるだけでも、大和萬歳、加賀萬歳、越前萬歳、三河萬歳、尾張萬歳とあります。まだまだ沢山あります(笑) 沖縄にはまた別の萬歳があったようですね。
明治時代には、さらに多く全国で普及していたようです。仏教色の強い三河萬歳(愛知県)は国家神道の政策で大正時代の中頃まで続きました。一方の尾張萬歳(愛知県)は娯楽性を高め、興行として成功していき、今日の「漫才」の基礎が出来上がっていきました。正月に行われる従来の“萬歳”も第二次大戦までは盛んだったようですね。しかし萬歳の多くは大戦後に衰退し、大和萬歳においては継承者が無く途絶えてしまったそうです。現在の萬歳は復興させたものが多く、三河、越前、尾張の萬歳は国の重要無形民俗文化財に指定されています。明治から行われた大阪の寄席演芸の“万才”は、萬歳のなかの“三曲萬歳”というものをベースにしたとされています。
長々と書きましたが現在の「漫才」の起源にもこれだけの歴史があるんですね。自分で書いてみて、すごく興味深いです。普段テレビで当たり前のように流れている漫才が元は貴族や武家の恒例行事だったなんて面白いですね!
さて、今回はここまで。次回は「万才」から「漫才」までの進化を書いていきたいと思います!お楽しみに!