私は母になりました。
私は当時19歳。
娘は11歳になりました。
誕生日を一緒に過ごせないのは
これで何回目か
もう分かりません。
娘は
乳児院も含めると3回も児童養護施設に入り
私は
母親らしいことは何一つしてやれなかったと思います。
今でも
鮮明に覚えています。
あの日
大きな産声をあげて産まれてきた娘の姿。
家族総出で産院にかけつけ
みんなに抱っこしてもらったこと。
産まれた直後の娘。
あれから11年。
今私は
娘のそばにはいません。
生後1ヶ月の娘。
今の私に
何ができるんだろうか。
離婚して約2年、
ずっと考えているけれど
答えは出ません。
養育費も
毎週末送る手紙も
完全に自己満足。
月に一度のビデオ通話で
娘はいつも元気な顔を見せてくれます。
何の違和感も持たずに
私のことを「ママ」と呼んでくれます。
私に文句の一つも言わずに
血の繋がりもない娘を育ててくれている元夫とそのご両親。
なんてありがたいことだろう。
娘は、元気です。
それだけで、
いいのかもしれない。
私が好きなLUNKHEADというバンドに
「ラブ・ソング」という歌があります。
この曲は
ボーカルの小高さんに子どもが産まれた時に作られた曲だそうです。
小高さんはブログでこの曲について
「いつか、この子もいろんなことで悩んで苦しんで
生きているのも嫌になる日が来るかもしれない
そんな時が来たら、君はこんなにも
体全部で、生きたい!生きたい!って泣いてたんだよって
伝えたいと思った。」
と語っていました。
(詳しくは→コチラ)
娘も
そのうち思春期を迎えて
いろんなことにたくさん悩んで
世の中に絶望する時が来るかもしれません。
それでも
あの日大きな産声をあげて泣いていた娘のことを
私は忘れたくないし
伝えていかなければいけないんだと思います。
今
私と娘は離れて暮らしているけれど
私にできることなんて
何もないのかもしれないけど
これからも
娘に気持ちが伝わるように
関係を築いていきたいと思います。
産むかどうかもめちゃくちゃ揉めて
妊娠中も飲酒喫煙大量服薬と不良妊婦で
何回も施設に入れて
母親失格かもしれないけど
私はあなたの母親になれてよかった。
あなたに出会えただけで
私は
生まれてきてよかった、って思えます。
私を母にしてくれて
本当にありがとう。
これからも笑顔で元気で過ごせますように。
誕生日おめでとう、娘。