我々にはチームプレイなどという言い訳は存在せん。あるとすれば、スタンドプレイから生じるチームワークだけだ!!
今更、eva 2.0 見ましたよー
前半はあれ、期待はずれかな?と心配してしまいましたが
さすが庵野監督です。いい意味で期待を裏切る終わり方でした。
テレビシリーズのエヴァが大好きで一時期猛烈にのめり込んだことがあるのですが、
そのときはどこが面白いのか端的に説明することができなくてもどかしい思いをしたのを
覚えています。
どうしてこんなに自分が興味を持ったのか全く理解できなかったということです。
今ふと思い返せば、キャラクターが魅力的であるということに尽きると思います。
特にパイロットのお三方。
製作者側がどう意図していたかは定かではないですが自分の中では、
零号機 綾波レイ 自己確立
初号機 碇シンジ 自己肯定
弐号機 アスカ 自己顕示
に尽きると思います。
3者3様で私はどうして私なのか?という問いかけに対して、
各々の立場・状況で成長していく様が表現されていくのは圧巻です。
0 → 1 → 2
確立→肯定→顕示
となっている所も意図が垣間見えます。
その辺りのうまい住み分けと表現があったからこそ、
世の中の多くの人に受け入れられた作品となったのでしょう。
時期が経ってから見れば綾波派であった私もアスカに共感を抱いてしまうのは、自分が今
自己顕示の段階で苦戦を強いられているということが挙げられるかもしれません(笑
映画の話もつまるところがありますが、激しくネタバレするので
詳細は書きませんが、続きが非常に楽しみであるということだけは言えるでしょう。
さすが庵野監督です。いい意味で期待を裏切る終わり方でした。
テレビシリーズのエヴァが大好きで一時期猛烈にのめり込んだことがあるのですが、
そのときはどこが面白いのか端的に説明することができなくてもどかしい思いをしたのを
覚えています。
どうしてこんなに自分が興味を持ったのか全く理解できなかったということです。
今ふと思い返せば、キャラクターが魅力的であるということに尽きると思います。
特にパイロットのお三方。
製作者側がどう意図していたかは定かではないですが自分の中では、
零号機 綾波レイ 自己確立
初号機 碇シンジ 自己肯定
弐号機 アスカ 自己顕示
に尽きると思います。
3者3様で私はどうして私なのか?という問いかけに対して、
各々の立場・状況で成長していく様が表現されていくのは圧巻です。
0 → 1 → 2
確立→肯定→顕示
となっている所も意図が垣間見えます。
その辺りのうまい住み分けと表現があったからこそ、
世の中の多くの人に受け入れられた作品となったのでしょう。
時期が経ってから見れば綾波派であった私もアスカに共感を抱いてしまうのは、自分が今
自己顕示の段階で苦戦を強いられているということが挙げられるかもしれません(笑
映画の話もつまるところがありますが、激しくネタバレするので
詳細は書きませんが、続きが非常に楽しみであるということだけは言えるでしょう。
絶対座標と相対座標
あー最近、自分が何をしたいのか改めて考え直してみるとあたりまえだけど
以下の点に気づいた。
まず、「自分がどこにいるのか分からない」そんな感覚を覚えることがある
(まぁ人によって表現はいろいろ異なるかと思われるが。「何をしたいのか分からない」とかそういう意味合いに近い!!
このどこにいるのか?という点であるが、
自分がこの世の中のいったいどの部分にいるのか?
絶対的な座標における居場所がわからないのである。
なんかずれているというこの感覚。(おそらく居場所というニュアンスが近い
実はあながち間違いではない
そもそも絶対座標なるものを理解しがたい
あまりにも大きすぎる世の中というものの位置関係を頭の中で
把握・理解しがたいからである。
そこで、人は
自分で世の中を切り取り
それをもって自分の世界とし、
絶対座標を置いていく。
だから、切り取った世の中に新たな情報が加われば
自分の絶対座標もかわり位置関係がゆらぐ。
つまりはその人の世界が広くなれば、
自分の立ち位置もずれてくるのであるから、
ふと立ち止まって考えたときにずれた位置にいると感じるのは
間違いではないと思う
さて、ここで人はもう一つ座標を持っている。
それは相対的な座標であって、
全体を見渡してその中で自分がどの位置にいるか示す
絶対座標とは違い、
例えば、彼女とこの距離を保っていたいとか
彼とはもっと近づいていきたいとか
この会社のこのポジションで私は活躍したいとか
この家族の中で笑っていたいとか
何か特定のものを基準に自分の位置を決めるのである
いわゆるその人のバックグラウンドともいわれている
絶対的な座標というものは
抽象的な、客観的
相対的な座標というものは
具体的で、主観的
おもしろいことに
実はオンリーワンといわれている部分は後者であって
ナンバーワンと呼ばれている部分は前者である
どちらが優れている視点かとか
どちらで考えるべきかというわけではなく、
どちらの視点も大事で両方の視点で物事を捉えていかなければならない
(簡単に説明すれば、多くの人と共有できるのは前者であり、社会で共存するうえで
必要な視点であり、後者は前者の立ち位置を支える基盤のような部分を担っている
気がする。)
そして、その二つの視点を混同してはならないのであろう。
自分は圧倒的に後者を重視している。
どうにで、社会に対して、何かいつもしっくりこないと感じているわけだ。
正直、今でも前者の立ち位置はどうでもいいと思ってしまっている点が不安定
な部分に繋がるのであろう。
成功者といわれている人はもっぱら前者の立ち位置が絶妙である
自分は成功者基質ではないのかもしれない。
以下の点に気づいた。
まず、「自分がどこにいるのか分からない」そんな感覚を覚えることがある
(まぁ人によって表現はいろいろ異なるかと思われるが。「何をしたいのか分からない」とかそういう意味合いに近い!!
このどこにいるのか?という点であるが、
自分がこの世の中のいったいどの部分にいるのか?
絶対的な座標における居場所がわからないのである。
なんかずれているというこの感覚。(おそらく居場所というニュアンスが近い
実はあながち間違いではない
そもそも絶対座標なるものを理解しがたい
あまりにも大きすぎる世の中というものの位置関係を頭の中で
把握・理解しがたいからである。
そこで、人は
自分で世の中を切り取り
それをもって自分の世界とし、
絶対座標を置いていく。
だから、切り取った世の中に新たな情報が加われば
自分の絶対座標もかわり位置関係がゆらぐ。
つまりはその人の世界が広くなれば、
自分の立ち位置もずれてくるのであるから、
ふと立ち止まって考えたときにずれた位置にいると感じるのは
間違いではないと思う
さて、ここで人はもう一つ座標を持っている。
それは相対的な座標であって、
全体を見渡してその中で自分がどの位置にいるか示す
絶対座標とは違い、
例えば、彼女とこの距離を保っていたいとか
彼とはもっと近づいていきたいとか
この会社のこのポジションで私は活躍したいとか
この家族の中で笑っていたいとか
何か特定のものを基準に自分の位置を決めるのである
いわゆるその人のバックグラウンドともいわれている
絶対的な座標というものは
抽象的な、客観的
相対的な座標というものは
具体的で、主観的
おもしろいことに
実はオンリーワンといわれている部分は後者であって
ナンバーワンと呼ばれている部分は前者である
どちらが優れている視点かとか
どちらで考えるべきかというわけではなく、
どちらの視点も大事で両方の視点で物事を捉えていかなければならない
(簡単に説明すれば、多くの人と共有できるのは前者であり、社会で共存するうえで
必要な視点であり、後者は前者の立ち位置を支える基盤のような部分を担っている
気がする。)
そして、その二つの視点を混同してはならないのであろう。
自分は圧倒的に後者を重視している。
どうにで、社会に対して、何かいつもしっくりこないと感じているわけだ。
正直、今でも前者の立ち位置はどうでもいいと思ってしまっている点が不安定
な部分に繋がるのであろう。
成功者といわれている人はもっぱら前者の立ち位置が絶妙である
自分は成功者基質ではないのかもしれない。
