6月29日(土) 夜の部
【 花の生涯 】 ~3~
ナレーション: 柴田侊彦
世に言う 「 安政の大獄 」 である。
主膳は文字通り ” 鬼 ” となった。
直弼の夢を実現するため、取り締まりは京、江戸にとどまらず、水戸
斉昭公、橋本左内、吉田松陰、遠く薩摩の西郷吉之助など、攘夷派の
志士のみならず、町人、公家に至るまで、容赦なく刑罰が科されていった。
井伊直弼襲撃のうわさが飛び交っていた。
そして、安政7(1860)年、3月3日
面白や
頃は弥生の半ばなれば
波もうららに 海のおも
霞わたれる 朝ぼらけ
のどかに通ふ 舟の道
安政7年、3月3日朝
(佐登) 今朝のご登城は、お控えなされては、、。
鼓がこのように破れては、あまりに不吉にございます。
それに弥生というのにこの雪、、。
(直弼) 今朝は、思いのほか鼓がよう鳴ってな。
いつまでも修行が足りんな。
いま、この国を動かすことができるのはこの男のみじゃと、まあな
こう思うて登城するのもいいものだ。
(佐登) それは、もののふの本懐ではありましょうが、お命を狙われてまでも、、。
佐登の心配を振り切るように、
直弼は姫の”雛の祝い”を皆で
するよう支度を言いつけた。
そこへ、密偵となっていた御高祖頭巾姿の ” たか” が直弼の行列襲撃
情報を掴んで、登城を思いとどまるよう、身の危険を知らせに忍んできた。
(直弼) 久しいのう。
(たか) ながの後無沙汰でございました。
(直弼) 変わらぬな。 京での働き、心の中で手を合わせておったぞ。
(たか) あれは、わたくしの道楽でございます。 もう、おやめくださいまし。
おとりの駕籠を出すことも、万一のためにと、”たか”が差し出す拳銃も
直弼は断る。
(直弼) わたしは、ただ自分らしくありたいのだ・・・・ありがとう。
(たか) 直弼さま
(直弼) たか
万感の思いで直弼の名を呼ぶ”たか”に、直弼は深くうなずいて、
決然と江戸城へ向かうのであった。
これから直弼の身の上に降りかかるであろう運命を予感して、
大きな不安のまま立ち尽くす”たか”。
冷たい雪が舞い上がっていった。