まんてん農場の晴耕雨読日記 -39ページ目
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きっかけは「ただ美味しい野菜が食べたかっただけなんです!」


まんてん農場の晴耕雨読日記

その昔、有機野菜なんて言葉が生まれてこない程有機野菜は当たり前にあった。近代の合理化がとんでもない速さで進んでくると同時に、日本はあっという間に消費国家になって、農業は完全にその合理化の波に飲み込まれてしまう。

そしていつしか…(自宅用の畑を除いては)有機野菜という言葉が生まれて、特に近代農業の中においては「昔々、そんな物を食べていた時代がありました…」と神話のような崇高な響きと共に世間に広がり始める。

その言葉を大きく広めたのは、近年多発した食品偽装事件であろう。そして「安心・安全」をキーワードに、食材のあるべき姿を追っていくと自然に辿り着くのが、こと野菜においては「無農薬・有機栽培」。

でも、この流れにはなんだかとても大事な要素が欠けている気がした。

どこにも「美味しい」「旨い」というキーワードが見当たらないのだ。

昔、ばあちゃんが皺くちゃの手でぬか床をかきまぜて出してくれた漬物。それは「安心・安全」とは別物の「美味さ」だった。



まんてん農場の晴耕雨読日記


 きっと有機野菜なんて、今の日本の技術を持ってすれば大量に作って流通させることはそんなに難しくはない。

現に大手のスーパーには水耕栽培の有機野菜がどこに行っても並んでいるし、食の安心・安全に関してだけ言えば、水耕栽培が可能な野菜に至っては比較的安価で手に入れることができる。けれど「美味しい・旨い」がすっぽりと、まるで無くしてしまったパズルの1ピースみたいに、完成図から欠けているのである。

 山一商事株式会社の「まんてん農場」は2009年の春、約1ヘクタールの農地を得て本格始動した。企業が農業を始めるケースが増えてきた近年であるけれど、決してそのブームに乗ったわけではなく、その前年に道の上に落ちていたそのパズルの1ピースを見つけたからだ。

拾った僕らは前述した有機野菜の流れなんか全く考えずに、呪文のように「本当に旨い野菜が食べたい…」と唱えて、その1ピースのパズルから全体の完成図を探り始めた。そして辿り着いた答えが「農薬や化学肥料なんか使わずに、土の中に沢山いる微生物の力を借りた自然のエネルギーに満ち溢れた野菜=旨い野菜」と特別付録のようについてくる「安心・安全」だった。

実際のところ、これがそもそものスタートである。

2009年の春にまんてん農場に配置されたのは農業素人のスタッフ2人と、美味しさを求める中で出会った農業の先生。

土壌の微生物の力を最大限に生かすために、畑に入れる農機は20馬力の古いトラクターだけ。これは農機の重さで土中の酸素を圧迫しないようにする為だ。

「近代の農業は大型のトラクターを入れる為に、農機に踏まれた土地は固くなり酸素が欠乏して微生物が活動しにくい状態になっている」と先生が教えてくれた。「地球が温暖化している今日にもかかわらず、土中20センチメートルの深さの温度がここ100年変化していないのは、微生物が活動していないためだ」とも言った。

そのなるほど…と納得できる話を、実践することで咀嚼し己の中に落とし込んでいく。

 そんな「まんてん農場」が一番初めに挑んだ野菜は「ほうれん草」。飛騨は言わずと知れた高冷地野菜の産地で「ほうれん草」と「トマト」は特産でもあるけれど、まんてん農場が「ほうれん草」選択した理由は実は別の所にある。

一番の理由は栽培期間が比較的短いというのと、今日のスーパーでは「本当に旨いほうれん草」になかなかお目にかかれない…からだ。



栽培方法は「露地栽培」で「無農薬」「有機肥料栽培」。

人力で7トンもの肥料を撒き、雑草や圃場に昨年まで植わっていた飼料用のトウモロコシの芽と格闘しながらの初めての農業。やっとほうれん草らしくなってきたと思ったら、畑の一角にはアブラムシの付いたほうれん草。木酢液を撒いた方がいいのかもしれない…と思いかけていた僕らを先生は一蹴した。



「そんな物を撒いたら、虫が他のほうれん草に拡散してしまう。そのままにしておけば虫に食われるほうれん草は少しだけで済む」

自然のあるがままに行う農業。

結果、先生の言ったとおりに虫食いのほうれん草は一角だけで、そこを除けば葉が厚く艶があり、根っこの赤い甘いほうれん草ができた。

そのほうれん草は今までに食べたことの無い、甘い味がした。

そして、どこからか「昔のほうれん草の味がする…」との声が聞こえてきたのだ。


〈2月号に続く〉

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