田辺城 | ヒロの独り言ブログ

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何気ない日常生活の報告です。

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東舞鶴駅からJR舞鶴線で西舞鶴駅に戻った。
なんとここではスイカなどICカードは使えない。

西舞鶴駅から歩いて『田辺城』跡に行ってみた。

田辺城は、1580年に織田信長から丹後国をあてがわれた細川藤孝(幽斎)・忠興親子が縄張りしたことに始まった。

1600年の関ヶ原合戦の前哨戦として、石田光成方1万5千人の軍勢に攻められた際には、わずか500人の兵で田辺城に籠城して戦った。

幽斎は文人としてもぬきんでており、「古今和歌集」の伝承者であったため、そのことを知った後陽成天皇の弟、智仁親王の意向を勅使が西軍の諸将に伝え、包囲が解かれたのは有名な話である。

細川氏以降、京極氏、牧野氏が居城して領内統治の中心的存在だったが、明治の廃城で取り壊されてしまう。

平成の発掘調査で天守台石垣が確認され、また街中には堀跡が見られる。