ここは日本100名城にはなっていない。
1573年羽柴(豊臣)秀吉は小谷城攻めの功で、浅井氏の領地の大部分を与えられた。
初めて城持ち大名に出世した秀吉は、今浜に城を築き、地名を長浜に改めた。
これが現在の長浜の原型となっている。
その後山内一豊なども城主となっていたが、最終的な城主の内藤信正の摂津高津城への移封によって廃城となり、石垣や櫓材は彦根城などに運ばれたため全く残っているものは無い。
現在の天守は昭和58年に想定によって建築され、中は歴史博物館となっている。
折角琵琶湖まで来たのに、雨女になってしまった。