二度目の登城である。
豊臣秀吉が天下統一の本拠地として築城を開始し、1585年に五重八階、黒漆塗の下見板に金箔をふんだんに用いた外壁と豪華な望楼型天守を完成させたが、大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに焼失した。
徳川政権は政権交代を知らしめるために高さ数メートルの盛土をし、石垣を新たに積みなおして城を築いた。
しかしこの天守も1665年に落雷で焼失してしまった。
現在の天守閣は、昭和6年(1931年)に大阪市民多数の浄財をもとに、「大坂夏の陣図屏風」の豊臣時代天守閣図をモデルに、鉄筋コンクリート造りで復興されたもので、わが国の天守閣復興の第1号である。
ここもエレベーターがある。