わたしは甚だ気持ちの浮き沈みが激しい人間だ。
自分にとっての確かなもの、倫理とか真理とか、そういうものが欠如しているからなのだろうと思う。
人との繋がりがそれをもたらしてくれるとは思えず、逆に混乱を極めるばかりだと感じる。
というより、人間関係にそれを求める方が間違えているのだろう。
結局そういった命題は自分自身に問い解決してくべきであって、他者との関係においてそれを議論するというのは不毛だという気がする。
世の中に絶対的なという概念は存在しない(と思っている)けれど、個人的な価値観あるいは思い込みは絶対なのかもしれない以上、そうなれば人間の数だけ真理が存在してしまうし、ましてやそれぞれの価値観や言葉を持つ他者に影響をされ続けないという方が無理な話なのだとも思う。
ただ、もちろん、他者の問いかけに揺れるというのもそれはそれで良いのだろう。
結局、他者がどうこうではなく、わたし自身の他者への接し方に迷いがあるというだけの話なのだ。
それなのにしょっちゅう動揺してしまう。
場合によってはもうお終いだと思ったり、今日死のう、明日死のうと思ったりする。
言葉が要る、と思う。
言葉を研くというのは、本来そういうことなのだと思う。
少なくとも、お互いの価値観の優劣を議論するためではない言葉を。
真の知識と言い換えてもいい。
愛着を貫くのはマゾヒズムか自己愛。
この一言は、効いた。
楽になった。
愛というのが極めて抽象的でかつ文学的なものだと思っていてもいいのだ。