いよいよ引っ越しもあと、10日を切ってぼちぼち、荷物の整理をはじめました。
テスト中など、大事な時に部屋の片付けしたくなったり、アルバムみたりして、過去を振り返ったりすることって、よくあったなー
それと同じ心境かな?
この東京で過ごした時間を振り返りたくなってきました!
やることいっぱいあるのにィ

東京で過ごした期間は、今までの人生をその土地をめぐることで、振り返りをした2年6ヶ月でした。
よくいう、「点と点が結ばれる」、「自分は生かされているんだ」って、いうのを肌身で感じた2年6ヶ月だったんです。
そういうのを、ざっと書いてみたいなと思います
これから書くのは、東京で過ごした2年6ヶ月でのことです。

私は、神奈川で産まれて、短大で東京に住んだ以外は、外に出たことがなかったので、転勤族の旦那さんと結婚することは、とってもワクワクするものでした

結婚して始めて住んだのが、東京

次が静岡
めちゃくちゃ富士山のふもとでした。

そこで、長男と次男を出産
二人が11月23日誕生日と同じだったことに、何か意味があるのかな~とぼんやりと思ってました。新嘗祭の日であることも、密かに喜んでいましたw
それで、2回目のちいさいまつりが奈良で11月23日に開催されるというので、子供の誕生日だというのに、家族を置いて、初めてお母さん外泊をしたのでした❗️
この日、何で二人が同じ誕生日に産まれた理由を体感として知ることになりました。
実は、「東京に来たら会いたい人に会う!」を掲げていまして、優花さんのグループセッションでもこの誕生日のことを聞いていたんです。
でも、その時は優花さんあいまいな返事だったんです。それで、ちいさいまつり後また、別のグループワークに出かけた時に、まつりの朝、感じたことを聞いたら、その通りだよーって✨
そして、その時にまた、別の課題をもらいました。
「マリアさんが、迎えにくるって、なんかこんな小さな石板みたいな…」って、ホワイトボードに書いてくれました。
私は、その日から、なんとなくマリアさんの書かれた石板がないか探していました…
なかなか見つからないし、自分のやりたいこともわからず、「マリア迎えにこねーじゃん」みたいな事は、思ったこともありました

その石板には、2年後に出会います❗️
静岡の次は鹿児島です。
今まで、自分の人生、けっこういい感じ✨と思っていました

大好きな人と結婚して、かわいい子供も産まれて、いい感じ✨
それが、三男が産まれて一変しました

三男は、めちゃくちゃ可愛いのです
とにかく可愛い


しかし、生活を1人で回しきれなくなってきました

知り合いもいない土地で、そんなに社交的でもないし、長男が幼稚園に入ったばかりで、いわゆるママ友とかも、出来なくて…
旦那さんは、仕事とお付き合いが忙しくて、毎日寝に帰ってくるだけ…
私は、小さな子供とずーーーーと一緒にいました。
そして、この状況を誰にも大変だと言うことが出来ませんでした。
多分、「助けてもらう」というアイディアも思い浮かばなかったと思います。
もちろん、旦那さんにも。
運動会にも、旦那さん疲れて来なくて、三男をおんぶして、長男、次男、4人でお弁当食べてたのを思い出すと、怒りが込み上げてきますが、当時は何も言えなかったんだなー
(今は、叩き起こして学校の行事に連れて行ってます)
自分が、頑張って家の事、子供の事をやるのが、当たり前❗️と思っていました。
あと、ころ頃は料理や節約も頑張っていました

人生で一番大変な時間を鹿児島で過ごしました。
いつでもどんな時でも、桜島を眺めていたと記憶しています。
三男を出産した時は、桜島をイメージして、力を借りました
それで、点手なしの自然分娩が出来て、助産師さんにも、「お母さんの力で産んだね」って言われたけど、桜島のおかげだと思ってます。

今思い返すと、まったくもってスピリチュアルしてたんだな

そんな、大変な時期を過ごした鹿児島で、「ケプリ散歩」があるというので、泣きながら旦那さんに頼んで、また、家族を置いて1人で参加したのです

ここでは、ホントに信じられない経験をして、今でもこんなこと現実にあるんだーーーーって、感動で心が震えます





こりゃーー長くなりそうだなー
でも、私にとっては、とっても嬉しい事ばかりなので、思い出して楽しいので、続けて書いていこうと思います
