デザインということに考える。

佐藤卓先生が、「デザインは人と人をつなげる媒体である」というのに
共感してきたここ数年。
おもしろい!や、いいまでになかった!と思わせて人の興味を得ることもそこにはあると思う。

僕は、それを生み出す側にたったとき、自由な中に、ルールも必要では
ないのかと思う。

大量消費社会において、自由に飛び回っている「デザイン」という言葉


既製という生産方法には、本当にすごいと思わさせられるが、
各メーカー、各ブランドが年2,3回新しく生みださなければ
いけないということに ? がある。

生み出す側の責任は、その分野におけるデザインの歴史とリバイバル
サイクルを勉強し、現代の文化にいかにモダナイズドして
大衆に落とし込んでいくかだと思う。

そこに、デザインする人間の意図や、個性、今をのせて
オリジナリティをだしてもよい。

でも、「納期」というものに追われ、また流行を意識する「デザイン」
に生み出し側は責任をもっと感じる必要性がある。

社会にでる「デザイン」は、かぎりなく可能性があるし
「デザインはでつくした」という考えは、乏しいと思う。

ただ、なにを「デザイン」とするか。

「デザイン」=「絵型師」ではないし、
「デザイン」=「意匠」というものでもはっきりではない今日。

「モノ」にデザインするから、「コト」をデザインする

ここにこれからのものづくりのキーが隠されていると思う。

「デザイン」する「コト」をもっと重要し、社会に生み出す行為も
「デザイン」と考えるなら、生産はもっとスマートに
需要はよりシンプルに供給に答えることができると考える。

平面も立体も、「Re:デザイン」に生み出す側は社会性を!

日に日に寒くなる今日この頃。

久しぶりの登場のマノロしっぽフリフリはといえば…

まのろ「ココからでられない…雪まの…」


さんぽに呼んでもこんな具合で、ひとりかまくらです 笑



今日も寒い、寒い。。

昨日の夜もなんだかんだ没頭してると11時半。
自分の手際の悪さや、スケジュール管理の不器用さで毎日を
いっぱいいっぱい靴に使っているのが、まだ未熟といううことと反省。

先日訪ねてくれた大学の後輩、いま輪島で漆をやっていてすごいヤツ。
そいつは、「輪島の歴史のなかで、自分はまだまだ素人。50になって
基礎が身についてればスタートできる。」っていってた。

僕も若さがゆえに結果をはやくもとめようとしすぎ、手仕事が
大雑把になっていることに反省。

靴を主観に取り込もうとして、「継続」の中身を大切にできてなかった
のではないのか、自分の靴人生、せっかくの生きる目標があるのだから
いまの基礎を大切にしていこうと考えた。

「継続する」とは、、、なんぞや。。

ハッピーエンドで終わるアメリカ映画、
人が感じる恐怖を教訓として記す聖書、

どちらも、その後はどうなっていくのか気になる。

どの時点の結果で成功とするのか、その成功のための「継続」とは
どこまでのことをいうのか。。

楽天の野村監督は、野球の長いシーズンのなか、
シーズンが終わるという結果を成績以外に経験として選手に
成功とさせるといっていた。
その考えが、「野球選手で輝くのは、人生で輝くための通過」
ということなんだろうかな。

僕が、いま求めてるのは、生活のための財であったり、
自分のモチベーションを保つための名誉だったりではないと
言い聞かせる毎日。
それでも、富や名誉は気にする。

それは、どの時点で自分が満足できるためのものなのか、
そのために今は、なにを目標として「継続」すべきなのか。

最近おもうのは、人と人とのコミュニケーションを大切に
継続していくこと、それが毎日大切なんだなと。

ケンカや気まずいことがうまれるのは、
相手という人を見ず、自分の間で話し、表現するから
人間関係がむずかしくなっていくのではないか。。

自分の間で喜怒哀楽で表現をすると、人はおもしろくないと
おもう。
自分が整理できてないから、人と距離をおこうとする。
距離ってのも、人との「間」。

この「間」。人と人の間で「人間」
やっぱり、人の「間」を大切にすることが自分にもよい
「継続」するこころを生み、よい「空間」ができ、
よい「時間」を過ごすことができるのではないかなと。。

よし、今日もがんばろう!