(画像はお借りしています。)
次男君(小2)のトマトは夏休み中に終わってしまいました。
さて、トマトの観察と言えば、上の画像の様な観察ではないでしょうか?
画像はお借りした物ですが、素晴らしいです。トマトの特徴がよく描けていて伝わります!
次男君は、もともと絵が苦手。苦手なのでお絵かきで遊んだりしません。幼稚園の頃は絵を描く機会も多かったので、家でも描くことはあったのですが・・・。
親としては、苦手だからこそ頑張って欲しいという願いはありますが、我が校の理科の観察と言えば、
「写真を撮って終わり」です。
絵は描きません。
小1の朝顔の観察は、2枚だけ絵を描いただけで後は写真。
次男君にとって絵を描くことが少ない学校なので、楽だと本人が言っています。
日常で絵を描く機会が本当に少ないので苦手なことを頑張る機会がないのです。
先日、担任の先生に何故、理科の観察で絵を描かないのか?
という質問をしてみました。
回答は、理科のスケッチは図工のスケッチとは違い、変化に着目するべき内容なので絵は描く必要はない。写真を撮る時は、全体を撮っている訳ではなく、前回との違いを意識した画像を残す様にしている。と言われました。
トマトの観察の目的は、一言でいうと変化を捉えるということなのでしょう。
担任の先生の主張も分かりますが、大人だったら、画像を並べて終わり。でいいのかも知れないですよね。
でも低学年は、色鉛筆を持ち、じっくり見る。絵、形を描くからこそ、じっくり見ることができるんだと思うんです。
色々な方向から見て、絵を描き自分で文章を書くという当たり前のことは、低学年での発達に重要な役割を持っていると私は思うのですが。
我が校は、パソコンの取り組みが良いとされている学校なので
トマトの観察だけではなく、夏休みの絵日記さえも、パソコンのロイロノートを使用して提出するので、絵ではなく写真です。
新しい時代?と言えばそうなのかも知れませんが、絵日記の醍醐味は楽しい思い出を振り返り、その出来事の情景や感情に思いを巡らせることではないのでしょうか。
画像を並べて、人差し指でサッサーと消えてしまう画像では
思いは巡らないと思うのですが。。。。
私が小学生の頃、当たり前にしていた絵を描くこと。
その体験を我が子にさせてあげられないのは
とっても寂しいですし、味気ないですね。
(最後まで読んで下さりありがとうございました。)

