良い感じに体温が上がっていて、基礎体温を測るのも少し嬉しい ひまわりです
相変わらず、自覚症状的なものはあまりなく、
そんなことより、他で忙しい
昨日の夜は、漢方を飲み忘れたりして、
ヤル気あんのか的な感じです。。。。
もちろん、ある、、、っていうか、
期待しすぎず 自分にできる範囲のことを最大限やってみるっていう感じです
本来妊娠は、コウノトリが運んでくる奇跡の積み重ねなのですから、
自然の摂理に、大きく外れることはしたくないと思うのです。
私は、周りの人に不妊治療をしていることを隠していません。
そうすると簡単に 妊娠なんてすぐできるよだとか、体外受精すればいいのにとか
いろいろ、お話させてもらった人のご意見を頂くことがあります。
そういう人たちの気持ちって、私の思いを遂げさせてやりたいという
優しさから出ている言葉であることが多いので
優しさで話してくれた人の思いに 応えたい自分もいるわけです
つまり、早く妊娠しなくちゃとか、体外受精すればできるのかなとか
お話させてもらうたびに考えます。
それでも、やっぱり、
奇跡の積み重ねで授かる命に、人間の手を加えるなどという
神の領域を超えているようなことは、したくないと思いなおして、
人工授精までなら、自分の許容範囲だなと、再認識するのです
今まで仕事柄、数々の命の終わりを共有させていただいてきました。
人間の強い生命力と、現代医療の無力さ加減を、
見てきました。
いくら、抗がん剤をして延命しても、その人らしく生きられないのなら
延命しても意味がないのではと感じることが多かった急性期医療。
こんなにがんばって、この人は何のために生きるのかと
日々疑問に思うことが多かった。
ホスピスで、その人らしい生き方を助けることができて
その人自身のもつ、力というかそういうものを助けることで
人間らしく生きられるのだなと感じました。
そんなわけで、人間らしく、その人らしく、私はわたしらしくあるために
あまり自然に逆らわず、不妊治療をしたいと思っているのです。
今日は、、、なんだかテーマが重いな。。。なんでかって。。。
いとこのお姉さん52歳、すい臓がんで、昨日夕方に旅立ちました
病名告知のときに20年ぶりに再会してから 2年
私と同じく、お姉さんも母からの虐待を受けていて、
(虐待した母たちは、自分がひどいことをしたとも思っていませんが)
私の気持ちを一番わかってくれる人でした。
お姉さんとは、事あるごとに命についてや、お姉さんの生き方、
病気の現状、今後の予測などを率直に話し合ってきました。
私にとっては、この2年は 少し重たくて、でも学ぶことの多い時間でした。
余命半年と言われてから2年も、よくがんばりました。
本人だけでなく、旦那さんや本人の母も。
(私たちの母たちは、愛情を勘違いしているタイプなので、
自分が、子どもの気持ちを考えていないことにも気がつかず
それは違う、私たちはあなたたちによって、深い傷を負っていると話し合っても修正不可能で、
私たちにとっては虐待でも、母たちにとっては未だに愛情です。
自分自身と向き合うことを避け続けている母たちとは、分かり合えないのです。
でも母たちにとっては、勘違いはあるけど愛するわが子にはかわりなく
お姉さんが末期がんになったことで、お姉さんとその母は歩み寄ることができて
旦那さんが仕事の時は、お姉さんの母が24時間付き添っていました)
お別れすることは分かっていたけど、
やっぱりさみしいです。
そんなんで、喪服買わなくちゃ香典っていくらなの
などなど、バタついているところへ、、、
友達から泣いて電話が、、
なんでも、4~5日前にお母さんが末期がんで余命半年と言われて
シングルマザーで子ども二人のその友達は、
自分は母に何がしてあげられるのかと、相談してきました。
とにかく、母の気持ちに寄り添うようにとアドバイス。
こういうときの、家族の力の偉大さを語りました。
でも、心配は、この友達がキャパオーバーになること
友達の家族は、友達あっての一家なので
その子が倒れるわけにはいかないのです。
そういうわけで、私はその友達の支えになろうと思います
プロが他人のケアするのも大変なのに
素人の家族が一人で抱えるのは絶対できないので
私と一緒にがんばろうと、何度も念を押して
事あるごとに連絡してほしいとお願いしました。
いとこのお姉さんが旅立った日に、
友達のこのお話は、
何かのめぐり合わせとしか思えません。
この友達を、上手にサポートできるのか、不安もあります。
でも、専業主婦だし何とかなるかな~と思ってます
このブログでいろいろ書きながら
状況整理したり、思いを吐き出したりすれば、きっと大丈夫
読んでくださっている皆様、今後ともよろしくお願いします