私は医療に依存しない | いつかのいい日のために 

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2008年10月、卵巣癌という気づきのチャンスを与えられてから3年
今、たくさんのキャンサーギフト(癌からの贈り物)を貰っていたことに感謝しています。
これからは【まんまるっこ天使】に手伝ってもらいながら返謝の気持ちを伝えていこうと思います 2012.3

ちょっとやばいかも(>_<)


喉が痛い・・・・息子君の風邪がうつった?(^_^;)


今日は、10時から11時半まで


ヨガに初チャレンジしてきました。


そのことは、また次回つぶやくこととして


帰って来てからのんびりしながら


下書きに途中まで書き留めていた


ある記事を読み返していました。


この一年何度も何度もつぶやきかけては


削除してきたつぶやきです。


ご関心あるかた・・・・読んでいただくと幸いです。



【私は医療に依存しない】

(癌は自分で治そうと思わなきゃダメ!!)



私が癌で緊急入院してから2年半になる


初めての入院で過ごした場所は


4人部屋でゆったりとして綺麗な部屋の


入り口側のベッドだった。


入った日、向かい側のふたつのベッドは空いていて


隣の窓側のベッドには


ひと月ほど先に入院して手術も済んでいたSさんがいた。


私より少し年上の独身の女性だった。


偶然にも私と同じ病気で


ステージも同じくらいで


症状も似たような点が多くて


私が退院するまでの2か月の間


部屋がかわってからも親しくさせてもらっていた。


私には頭から離れない彼女の口癖がある


「○○さん(私)、2年・・・2年生きていこう!!


2年生き伸びたらいい薬が出てくるから・・・」


先に退院することになった私に最後にかけてくれたのも


「○○さんだったら、前向きだしぜったい生き伸びると思うよ


2年頑張って生きてね! 絶対いい治療方法がでてくるから」


彼女は、この言葉をかけてくれてから


半年もたたないうちに逝ってしまった。


2年半経った今


私は生きているけれど


治療方法もいい薬も私にとっては何も変わらず


っていうか、治療方法が狭くなったという


あるいみ事態は残酷な方向に向かっていて


彼女がいつも言っていた2年後は


彼女の理想とは全然かけ離れたものだ。


今年最初の刺絡療法に向かいながら


彼女の「2年生き伸びたら・・・・」という言葉が


浮かんできて


彼女のこと、2年目の今を思っていた。


私は、彼女をしる共通の癌友さん達と


彼女の話題になったとき


いつのまにか否定的なことになってしまうので


あえて話題にださないようにしている


だって彼女も彼女なりに一生懸命向き合ってて


生きようと頑張っていたのだから


否定してしまうことは彼女に対して


やってはいけない事だと


否定しそうになる自分にブレーキをかける


彼女のやり方は少し私と方向が違っていて


交わるところはなかったけれど


彼女には申しわけないけれど


反面教師として彼女の出逢いが


私の進むべき道をより確かに導いてくれている


彼女が逝ってしまってからもうすぐ2年


私は、再発もしたけど


思うように動けない時もあったけど


2年半前に想像していた


“自分の思う行動の出来ない不自由な暮らし”ではなく


“普通の日常” “笑いのある日々”を過ごしている



私は医療だけに・ドクターだけに期待をしない


私は医療に依存しない



同部屋だった癌友さんが言っていた


「癌は先生に治してもらうんじゃない


自分で治そうって思わないとダメなんだよ・・」


もしかして、この先再再発や


違う病気になったとしても


QOLを最優先に考えて


医療の手助けをもらいながら


誰にも依存することなくいきたいと思う。







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