『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』批評――視覚の暴力と、物語の停滞。
ジェームズ・キャメロンが再び、我々をパンドラへと引きずり込んだ。シリーズ第3作『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』。第1章の完結を謳う本作は、まさにキャメロンという男の「エゴと執念」が結晶化した怪物のような一作だ。
鑑賞後に残るのは、圧倒的な映像美にねじ伏せられた高揚感と、遅々として進まない物語への焦燥。その両極端な手触りを紐解いていく。
映像の覇権:20年先を走る「神の視点」
今作においても、映像表現はもはや他の追随を許さない。CGと実写の境界線は完全に消失し、火の粉の熱量からパンドラの湿り気までが肌に伝わる。
一部で物議を醸すハイ・フレーム・レート(HFR)や3Dの違和感は確かにある。だが、そんな理屈を吹き飛ばすほどの「空間把握能力」と情報密度がそこにはある。これは「映画」というより、数千億円を投じた「異世界のシミュレーター」だ。クライマックスの総力戦は、他の大作映画がリトルリーグに見えるほどの絶望的なレベル差を見せつけてくる。
キャラクターの明暗:ヴィランの魅力と「父親」の重圧
ドラマの核を担うのは、主人公ジェイク以上に魅力的な周囲の面々だ。
• バランの衝撃: 「火の種族」を率いる新キャラクター・バラン。彼女の放つ混沌としたエネルギーは、停滞気味の物語に鮮烈な火を灯した。
• クオリッチの深化: 驚くべきことに、最も人間臭い葛藤を見せるのは宿敵クオリッチだ。息子スパイダーへの執着、戦士としての意地。ジェイクが「家父長制の権化」として停滞する一方で、クオリッチはこのシリーズの真の背骨へと進化を遂げている。
物語の欠陥:繰り返される「人質」のルーティン
一方で、脚本の脆弱さは隠しようがない。
3時間超の上映時間の多くが、「誰かが捕まり、それを救出する」というサイクルに費やされる。前作『ウェイ・オブ・ウォーター』をなぞるような展開の反復は、物語の推進力を著しく削いでいる。
また、キリの能力が万能すぎて緊張感を欠く点や、ジェイクの頑迷な父親像など、観客の共感を置き去りにしかねない危うさも同居する。「物語のゴール」が見えないまま、延々とパンドラの文化人類学的描写に付き合わされる時間は、人によっては苦行に感じられるだろう。
総評:映画館という「聖域」でのみ許される贅沢
結論を言えば、本作は物語を「読む」映画ではない。圧倒的な質量を「浴びる」ためのアトラクションだ。
脚本の不備も、上映時間の長さも、すべてはラストの凄まじいスペクタクルで「事後解決」される。これほど強引で、いびつで、それでいて至高の体験を提供できるのはキャメロンをおいて他にいない。
配信を待つ必要はない。万全の体調で、最高級のスクリーンに挑むべきだ。パンドラは、座席に縛り付けられた3時間の先にのみ現れる。
評価スコア
• 視覚効果: 10 / 10(異次元の到達点)
• ドラマ性: 5 / 10(反復と停滞)
• 体験価値: 9 / 10(映画館で観る義務がある)