マッチョメ~ンのブログ

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『28年後... 白骨の神殿』を鑑賞した。前作からわずか半年という驚異的なスピードで公開された今作だが、単なるゾンビ映画の枠を大きく踏み越えた、凄まじい熱量を持った一作だった。

  いくつかの視点から、この映画が提示した「狂気」と「救済」についてまとめてみたい。



『28年後... 白骨の神殿』感想:絶望の中に踊る狂気と、奇妙な愛の物語



ゾンビよりも恐ろしい「人間」の狂気

今作で最も印象に残るのは、感染者(ゾンビ)ではなく、生き残った人間たちの歪んだコミュニティだ。特に「ジミーズ」と呼ばれるカルト集団の不気味さは群を抜いている。

  彼らのリーダー、ジミー・クリスタルがまとう雰囲気や、揃いのトラックスーツ、そして「How about that?」という口癖。これらは、かつてイギリスを震撼させた実在の性犯罪者、ジミー・サビルを彷彿とさせ、イギリス文化の「闇」をそのまま体現しているかのようだ。絶望的な世界で、過去の歪んだ偶像に救いを求める人間の弱さと、チャリティを騙った暴力の連鎖には、胃が痛くなるような恐怖を感じた。



ケルソン博士とサムソンの「奇妙な友情」

一方で、前作に続き登場したケルソン博士(レイフ・ファインズ)のパートは、この地獄のような世界における唯一のオアシスだった。

  博士と感染者「サムソン」が河原で並んで座り、心を通わせようとする姿は、もはやブロマンスやプラトニックな愛に近い。感染者が「人間をゾンビとして認識している」という仮説に基づき、薬物や精神的なアプローチで治療を試みる展開は非常にスリリングだ。この「分かり合えないはずの存在と分かり合おうとする」姿勢こそが、物語に重厚な人間ドラマとしての深みを与えている。



レイフ・ファインズ、圧巻のパフォーマンス

今作の成功の半分は、間違いなくレイフ・ファインズの演技によるものだろう。

 「白骨の神殿」というシュールな舞台で、時に全裸に近い姿になり、時にアイアン・メイデンの『The Number of the Beast』に乗せて狂ったように踊り狂う。その弾けっぷりは凄まじいが、同時に博士としての知性と孤独もしっかりと感じさせる。彼のライブステージのような後半の展開は、劇場で見る価値がある圧倒的な見せ場だ。



80年代の風が吹く選曲センス

劇中で流れる音楽のチョイスも秀逸だ。デュラン・デュランの『Ordinary World』やアイアン・メイデンなど、かつての「秩序あった世界」の象徴としての洋楽ヒットメドレーが、今の荒廃した世界との対比を際立たせる。脚本のアレックス・ガーランドと同世代の人なら、この選曲だけでメロメロになるのではないだろうか。



結び:3部作の完結へ向けて

物語の終盤、ついに姿を見せたキリアン・マーフィー演じるジム。歴史を教え、「過ちを繰り返さないこと」を説く彼の登場は、シリーズファンにとって最高のサプライズだった。

  前作が「少年の成長」なら、今作は「ゾンビ(あるいは人間性)の再生」を描いたドラマだったと言える。第3部でこの壮大な物語がどこへ着地するのか、そして「怒り(レイジ)」は本当に治療可能なのか。期待は高まるばかりだ。