今でも夢に見ることがある昔のこと。
僕の人生の中で最悪の出来事。
それは、大学生の時に僕が医者から脳腫瘍だと言われた時だった。
確かあれは20年前。
大学二年の頃だったと思う。
スキー研修で、僕がスキーが下手で前の人とぶつかったことがあった。
そして、意識を失い、病院に運ばれて、すぐに脳を調べた。
その時に脳腫瘍が発見されたのだ。
当時、医者からは、『良性だと思われるから、大丈夫ですよ』と言われた。
だから、安心していた。
しかし、一ヶ月後。
僕は当時付き合っていた彼女と映画を観ているときに突然、
意識を失い、痙攣をした。
そして、目が覚めた時には救急隊員が目の前にいて『大丈夫ですか?』と僕に聞いてきてて…。
びっくりした僕は、床を見ると嘔吐したものがあり、すぐそばには号泣している彼女がいた。
僕は、事態を理解できない中で、『何?どういうこと?』と彼女に聞くと、『あんた急に意識を失って痙攣してゲロ吐いてたんや』と。
すぐに僕は病院に運ばれ、検査をし、原因はわからなかったが、その時も、『その後に支障はないでしょう』と医者から告げられた。
正直、大丈夫なのかなと心配ではあったけど、持ち前のポディテブさで気にしないようにはしていた。
でも、やはり不安は的中した。
一ヶ月後、また僕は彼女と寝ている時に、
意識を失い、痙攣をし、嘔吐したのだ。
その日の僕は、長い間、痙攣をしていたらしい。
目が覚めた時には、病院に運ばれてて、看護婦さんが目の前で僕を見つめていた。
看護婦さんからは、『良かった、死ぬかと思ってた』と言われたのを覚えている。
ちなみに簡単に意識を失うと書いてますが、めちゃくちゃびっくりですよ。
一度体験したことがある人にはわかると思いますが、僕の中では、瞬間移動に近い感覚がありますね(笑)
そんなびっくりの中で、また彼女が号泣しながら、僕の元へかけよってきて、抱き締めてきました。
それから、僕はすぐに検査をしました。
医者からは、
『これは悪性の可能性が高いですね。その場合は、一年を待たずして死ぬことになります。』
そう言われました。
でも僕は、以外と冷静にこの状況を受け止めていた。
いや、まだ自分が死ぬことが理解できなかったからなのかもしれない。
手術する前日。
僕は彼女と病院を抜け出し、カラオケに行きました。
その時、何故か急に怖くなって僕ははじめて涙を流したのです。
『大丈夫だよ。絶対に死なないから!』と、彼女はめちゃくちゃ励ましてくれてて…。
僕も、彼女の見守る中で、『絶対に生きるから』と誓って手術を受けることにしたのです。
そして、無事に手術も終わり、結局、脳腫瘍は悪性か良性かわからないまま時間だけが過ぎていった。
実は手術後のあとからが、僕の中での地獄のスタートでした。
ベッドの上で何故か、急に寝ていることができなくなったのです。
『んん?なんか、ソワソワする』
僕は、落ち着くことができなくなり、病院中を歩き回った。
でも、もっとソワソワし始め、脳はちゃんとしてるのに体が言うことが聞かなくなったのです。
看護師からは、精神安定剤をもらい、強制的に眠らせる睡眠薬を打ち、無理やり寝てましたか、次の日も、次の日も、変わらず落ち着かないまま。
事態は悪化し、歩くのもフラフラになり、言葉をしゃべるのもカタコトになっていく。
見舞いにきていた母は、僕が出したヨダレに気づき、タオルで僕の首もとを拭いているとき。
僕はここで、気づきました。
『自分は身体障害者になったんだ』と。
絶望を感じた。
母は僕の姿を見て
『なんでこんなことになったんや』
と泣き始める。
自分はこのまま母に迷惑をかけ続けるのか…。
それは、苦しいな…。
それに、こんな異常な体のままならば死んだ方がましだ。
そう決意した僕は、自殺をしようと勢いよく点滴をとって、走って四階の窓を開けました。
ためらいなんか、一つもない。
僕は一気に飛び降りた。
しかし、3階にはベランダがあり、僕は運良く傷一つないまま3階のベランダに落ちたのです。
でも、すぐにでも死にたい!
そう思った僕は、次は頭から飛び込もうとしました。
そのときに、間一髪、看護婦さんや母に捕まれました。
そして飛び降りることを諦め、大人しくベランダから、3階の窓から中へと入りました。
母には片言で僕は『冗談だよ、冗談』と、笑って伝えた。
そんな冗談あるわけないだろと、頭ではわかってたけど、泣いてる母を見てそう言わなきゃと思ったのです。
そして、そんな精神状態で、二週間ほど過ぎました。
何度、死のうと思ったか、わからない。
でも、なんとかギリギリのところで、生きることを選んでいました。
でも、1日1日が凄く長く感じていたのを覚えています。
そして、友達がお見舞いに来てくれた時でした。
大好きなカラオケに行けば治るんじゃないかと身体障害者となった僕を無理やり連れて言ってくれた。
その時に、歌ったのが、ブルーハーツのリンダリンダ。
僕は、その時も精神異常なままだったけど、とりあえず叫んだ。
叫んで、叫んで…。
すると、突然、ヨダレが垂れる量が減り始めたのです。
そして、ちょっとだけ、精神が落ち着き始めて…。
もしかしたら、治るかもしれない!!!
僕はまた、何度も何度も精神が壊れながらもブルーハーツの歌を歌った。
そして、回復の兆しを感じた僕は、リハビリをしながら、通常の精神状態へと向かっていくのです。
あれから、もう20年か…。
僕はこのことがあってから、人は必ず死ぬし、大体のことは、楽観視できるようになりました。
だから、いろんなチャレンジもできるし、僕は一度死んでると思って人生を生きていいます。
今はオマケなだけ。
大体の悪いことが起こっても、軽傷だと思えるし、前を向けるのです(笑)
だから、道に迷ったり、絶望した出来事が起こったりした人に言いたいことがあります。
『大丈夫!死に物狂いで次の道を探せば、きっかけ見つかるから!』
僕はそう思って生きてます!
もし、本当に悩んでる人がいたら、こんな僕で良ければ相談にのりますよ!
いつでも、SNSなどで、ダイレクトメールなどで連絡くれれば(笑)
そういえば僕の病気のことで、あとで、わかったことが一つありました。
僕のこの症状は、やはりうつ病ではないということ。
僕のかかった病気はアカシジアと言う病名で、合わない薬を飲むことにより、体に突然変異を起こす症状なのです。
昔、タミフルを飲んで、さっきまで笑ってた人が突然飛び降り自殺したというニュースがありました。
僕はこれは絶対に!!
飛び降り自殺した人はアカシジアという病気だと思ってます!
もし、アカシジアじゃないかと思った人は、とりあえず、今やってる薬をすべてやめてください。
そして、たくさん水を飲んで、時間が立つのを待ちましょう!
死ぬ気持ちはわかります!
でも、耐えれば絶対に治りますから!
では、ということで、その後の僕の話の続きは、またすぐに書きますので、是非見てくれれば嬉しいです!
最後まで読んでくれた方がた、ありがとうございました!
万吉