小説「砂に埋もれた遺書」その1 異端者の群れ | サズ奏者 FUJIのブログ

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『砂に埋もれた遺書』

 「砂漠霊場ツアーはいきどまり」改題    

                                       

                        

オリエントの寓話



 ある村を吟遊詩人が訪れてみると、井戸の周りに人が集まって何やら興奮して言い争っているのだった。

「とにかくこの土地は先祖代々おれたちのものだ。なんせ二千年のむかしからここに住んでいるのだから」とアルメニア人が言った。

「俺たちは三千年前にこの井戸を発見した。ちゃんとした証拠もある」アッシリア人が言い返した。

「何を言ってるのだ。おれたちの先祖がここにやってきたとき、村は誰のものでもなく、井戸は土に埋もれてとても使える代物じゃあなかった。それをここまで発展させ、人が住めるような環境にしたのはおれたちなんだ」とトルクメンの農民が言った。

「そのあんたらが俺たちを閉め出したんだ。ここは俺たち遊牧民にとって冬の放牧地としてなくてはならないところだったんだ」とクルドの遊牧民は叫んだ。

「この村に法律を作り、行政官を派遣してきたわれわれこそが、村の所有者にふさわしい。現にみんなこうしてトルコ語で話しているではないか」とトルコ人が言うと

「それはあんたらの強制同化政策のせいだ」

「このイスラム改宗者め」といった罵詈雑言が飛び交った。

「まあまあみなさん、争いごとは一休みして、ちょっと音楽でも聞きませんか」

吟遊詩人は肩に担いだ弦楽器をおろして両手に持ちかえ、桜の木の皮を剥いで作った薄いピックを器用に弦の上で滑らせながら歌い始めた。古い民謡だった。その言葉は今では誰も使い手のいない、死滅した言語だったが、村人たちはみんなわかったふりをしていた。そしてしばらくはおとなしく聞き入っていたのだが、ある者の不用意なつぶやきがきっかけとなって、また騒々しいケンカが始まった。

「おれたちの歌だ」

「ばかこけ、おれが小さい頃、かあさんから教わった歌だ」

「なつかしい、これぞギリシャの旋律、ギリシャの民族の歌だ」

「トルコだ、これこそトルコの音楽だ、君はどこの出身だ?アンカラ?それともエスキシェヒール?」

詩人は答えた。

「わたしは何処にも属さない。あえていえば出身地は孤独、故郷はこのサズである」

「おいおい君は知らないかもしれないが、その楽器は本当はバーラマというんだ。われわれトルコ人がその昔中央アジアの平原から運んできた、まさにトルコ民族の魂の結晶なんだよ」トルコ人が感激して言った。

「セタールを爪弾く詩人よ、次はぜひわれわれの詩人ハーフェスの一節を吟じてはもらえないだろうか」ペルシャ人がトルコ人を無視して言った。

「やっぱりテンブールの音はこの村に合うよなあ。おれも昔は仕事の合間に弾いたもんさ。あんたもクルド出身なんだろ」

「ばかいうな、バーラマはトルコ人の魂だ」

「いいからテンブールを貸せ」

「セタールをよこせ」

「ブズーキだ、これはブズーキってんだ」

「わたしにみせろ。これは間違いなくわが民族のコプーズだ。変な名前で呼ぶんじゃない」

とおおぜいの者たちが寄ってたかって詩人の弦楽器をつかみとろうとしたので、ネックは折れ、胴体には孔があき、弦はさんざんにちぎれて壊れてしまった。











世界は鏡なり 心するがよい

この世界のすべては鏡であり

それぞれのかけらの中で

幾百もの太陽が燃え立っているのだぞ

                            (マフムード・シャベスタリー)

彼の心に飢えつけられた悲しみはすべての痛苦を凌駕した

                            (コーニー)

神は人間を作り、悪魔は民族を作った    

                            (ムハンマド・アリ)





イスタンブールの日本料理屋『さよならレストラン』の客引きをしている俺のところに、悲しい知らせがきた。イルハンが銃撃戦で亡くなったという。ここから3000キロのかなたの山の中で、イルハンは昔の吟遊詩人の伝統にのっとり、武器を持つこともなく、サズの力を信じて敵軍の中に入っていった。そして弦をかき鳴らし、歌いながら蜂の巣にされた、という。伝統の力も、無慈悲な近代国家には通じなかったのか。一瞬俺は物置にうち捨てたままの弦もさび付いたサズを思い浮かべた。あれは前線に旅立つ前の晩ジェンギースが俺にあずけたものだ。「おい日本人のツーリストがくるぞ、おまえの出番だ」オーナーのハシムの怒鳴り声がした。 イルハン、おれはやはり外人であることを隠れ蓑にした卑怯者だろうか。君はあの日硝煙と血の匂いのたちこめるテント小屋で、俺に何を言おうとしたのか。「急げよなにやってんだ、早く外に出て客をつかんで来い」「エベットエベットわかりましたよ。ブユルンブユルン日本のかたですか。学生さん?来たばっかりでしょ。靴が真っ白だもんね。どうです、たまには地球の歩き方にも載ってない寄り道はいかが。本場のベリーダンスにコーカサスのジプシー踊りもみられるよ、もちろんぼったくりはなし。チャージと料理が込みでたったの150000000リラだ」





2年前の夏。

アレッポ中央駅から歩いて数分のT.Eロレンスホテルで、俺はシリア入国以来三日目の夜を迎えようとしていた。あいかわらずの下痢と腹痛で出歩くこともままならない。しかし一日二回の薬屋通いを欠かす訳には行かなかった。この国ではパラチフスの注射は薬剤師がやるのだ。もっともトルコでもそうだった。シリア国境の街ヌサイビンで発病した俺は、病院で二週間分の注射針と注射液を買わされ、その町に一軒しかない薬屋で、女の薬剤師に水疱瘡の後の残ったきたない尻を見せねばならなかったのだが、あいにく観光ビザが切れてシリアに追い出されたという訳だ。親切なその薬剤師は、俺のような病んだ旅行者にもっとも必要なアラビア語を教えてくれた。それは「くすりやはどこですか」「尻に注射してください」の二つで、これさえしゃべれれば、まあなんとかなるはずだった。ところが最初に見つけた薬屋はもぐりで営業していたらしく、二度目に行ったときには閉鎖され、ライフルをもった警備員がひまそうに鼻くそをほじくっていた。宿のフロント係のムハンマドに頼んで別の薬屋を探してもらったが、ホテルから歩いて20分もかかるうえ、たっぷりとバクシーシを要求された。下痢と腹痛で、断るどころか値切る気力もなかった。そして、その二度目の薬屋の主人が、イルハン=メネメンジオウルだったのだ。



「イルハンとはモンゴルの有名な藩主の名前でね。つまり僕はモンゴル系遊牧民の末裔で、1936年の戦争で追われてこの国に移住したデリスタン難民のこどもなんだよ」

「戦争って、このあたりは第二次世界大戦のときは中立を保ったり植民地だったりで、ヨーロッパの戦争には関係なかったんじゃあないか。中東戦争でもないし」

まったく当時の俺は無知で、イルハンの故国デリスタンがどこにあるのか、いやそもそもそんな国が中東にあることさえ知らなかった。

「まああまり大きな声では言えないね。俺たちはゲストだから」

「ゲスト?」

「そう。僕みたいな立場のものは、この国に50万人いる。多宗教の世俗国家を国是とするシリアでは一応平等な市民として扱われているとはいえ、イスラム異端派に属する僕らを快く思わない連中も多い、それに」といってイルハンは一瞬口をつぐんだ。そしてやけに陽気な声で言った。

「さあジャポン、君はこの私と助手のどちらに注射を打ってもらいたいのかな。そりゃあもちろん彼女のほうだよな、アイリーン、注射針の用意を」

巡回の守衛のせきばらいがきこえた。

 



俺の容態は日増しによくなっていった。1日二回朝の9時と夕方の5時に、俺はイルハンの薬局に通ったが、あの日以来彼は冗談しか言わないようになった。俺の頭の中を、「イスラム異端派」「1936年戦争」といったことばが駆け巡った。しかしイルハンはバーレーンで開かれていたワールドカップ予選や、最近シリアでも見られるようになったアメリカ製ポルノ番組の話をするばかりで、あの話題を避けているようだった。俺は彼を喜ばせてやろうと、半年前にイスタンブールのチャイ屋でみかけた吟遊詩人のことを話してみた。トルコ人がよくやるように鳥打帽をかぶった初老の男が、柄の長い琵琶のようなみょうちきりんな楽器をかきならしながら、客の喝采を浴びていた。激しいピッキングのせいでつめの跡が無数についた胴体に、糸のように細い弦が張られている。男が弦をかき鳴らすと、一見きゃしゃなその楽器から、大地の咆哮のごとき音の洪水があふれた。

「たしかその男は俺に言ったんだ。デリスタンを追われてここに流れてきた。もう故郷へは帰れない、とな。今思い出したよ」

「ナオト、君は何者なんだ、そんなことをかぎまわってどうする?日本人である君に何の関係があるのか」イルハンは突然血相を変え、会話はそれで絶ちきれてしまった。






その日の早朝、俺はドゥルーズ派巡礼団の大騒ぎで起こされた。巡礼のほとんどは太ったばあさんで、みんな自分の部屋がどこだかわからず、めったやたらに部屋をたたくもんだから、うるさくてドアを開けたおれは思わず日本語で怒鳴りそうになったんだが、善良そうなばあさん相手にけんかするのもはばかられる。まだ朝の4時だというのにしかたなく朝食のスープを出してくれる店をさがしに外へ出たのだが、店はどこも閉っていた。ここにはコンビニだのファミレスなんぞはない。さて空腹のまま部屋に戻ったおれは、なんとなくリュックサックの位置がいつもと違うことに気づいた。妙な気分に襲われてひもといてみると、ない。おれがトルコで買ったカセットテープが全部消えうせていた。なんてこった。だいたいトルコのテープなんぞ国境からさほど遠くないこの街では簡単に手に入るし、現にこのホテルの向かいの雑貨屋の店先には、トルコ随一の人気歌手イブラヒム=タトゥルセスの新曲もののテープが山と積まれて人気を集めている。



「まいったぜ、ムハンマド。盗むんならサニーのコイルヒーターとかヒタツの携帯ラジオとか、カシノの電卓とか、ほかにもありそうなもんだ。トルコ音楽のテープっていうのはそんなにも高く売れるものなのかい」

「まあ高く売れるかどうかは知らないが、ものによってはこの国ではちょっとやばいことになるかもしれんな」

「どういうことだムハンマド」

「おめえがトルコで手に入れたテープてえのはいったいどういう種類の音楽なんだ」

「どういう種類って、実はまだ聴いてないんだよ。なにしろこの一ヶ月間パラチフスに苦しんでいたもんだから」

「誰のテープなんだ、そのくらいわかるだろ」

「んんん、アリアスケリとかいう男の歌手の、まあこんなひょうたんみたいな形をした弦楽器の弾き語りじゃないかな。イスタンブールのチャイ屋で一度だけ生で聴いたことがあるんだ。楽器の名前はよく知らないんだが。どこかなつかしいような哀調があって、かげりのある情熱とでもいうか。なつかしくなって思わず買ってしまったんだけど。そういえばシリアでは見かけない楽器だよな」

ムハンマドは突然奥の部屋に入り、すぐに戻ってきた。

「おめえがみたのはこれか」

「ああ、そうだこれだ。この楽器だ。こんなに近くで見るのは久しぶりだなあ。トルコでは楽器屋の天井からつりさがってるのを窓越しに見ていたけどね。しかしこの国でも演奏されるものとは知らなかったよ。あんたが弾くのかい」

「演奏…かね」ムハンマドの顔が奇妙にゆがんだ。そしてすぐさまその楽器をカウンターの下に隠した。いつのまにか軍人のような制服をきたはげ男がおれの後ろに立っていた。男はムハンマドにアラビア語で何か話した後、おれのほうに向き直って英語でいった。

「シリアの観光省の者ですが、なにか滞在されてご不便なことがありますかなミスター」

「いやあ、何もないよ。従業員はみんな親切だし、シーツもベッドも清潔だ。バスタブはいつでもお湯が出るし、洗面所にちゃんと栓がついてるのもうれしいね」

おれは精一杯愛想をふりまいた。従業員に闇で両替してもらってることや、盗まれたテープのことは言わないほうがいいような気がした。



「シリア情報省SCIAの回し者だ。ほかにも客だの新聞記者をよそおって近づく奴もいるから気をつけたほうがいい」

「気をつけるって何をだ」

「テープのことは誰にも言わんほうがいい。それからアレウィーには関わらんほうが身のためだぞ」

「アレウィー?なんだいそりゃあ」

ムハンマドはしばらく考え込んでから声をひそめて言った。

「あんたならかまわんだろう。今夜アバド地区のモスクでちょっとしたパーティーがある。若い女も大勢来る。やばい橋を渡りたけりゃあついて来な。楽しいライブになりそうだぜ」

ムハンマドはそれきり黙ってしまった。例のはげ男がドア越しにこちらに鋭い視線を送っていたからだ。




軽薄でずるがしこい商売人のムハンマドの、意味ありげな言葉に誘われ、おれは奴にくっついてアバド地区に入った。昔アラビアのロレンスというイギリスのスパイがひいきにしていた植民地風喫茶店が取り壊されてからは、欧米のツーリストがやってくることもなくなった。カラマンルヒッタイト国との戦争の際に受けた空爆の跡が今も生々しいスラム街の一角に、苔むしたモスクは建っていた。

モスクの中は礼拝客でいっぱいだったが、なんとなく他のモスクと違う雰囲気を感じたのは、男女が同じ場所で祈っていたからだろうか。女たちは髪を隠すこともせず、むしろ長い髪を男たちに見せつけるように振り乱しながら、踊りとも祈りともつかぬ動作で腹を小刻みに震わせている。あたりはなつかしい弦楽器の音で満たされ、男たちは「うっ」とか「はあ」と掛け声をだしながら思い思いの格好でゆらゆらと体をゆすっていた。ムハンマドはおれの手を引きながら奥のステージに連れていった。

「やはり来てしまったのかね」演奏の手を止めてイルハンが苦笑した。琵琶のような楽器は、近くで見ると琵琶よりも胴体が膨らんでいて、マンドリンのネック部分を引き伸ばしたような形をしている。

「イルハン、こいつは奴らとは関係ないただのツーリストだ」

「ああわかってるさムハンマド、尻に注射を打ってみればどんな人間でも素性ははっきりするもんさ」そしてイルハンは俺のほうに向き直って言った。

「みてのとおり、これがおれたちゲストの集まりさ。アレウィー、つまりイスラム聖者ハイダルアリを信奉するわれわれは、スンニー派の連中とは同じイスラムでも風習を異にする。たとえば礼拝所はモスクではなくサズデリと呼ぶ。サズとはこの楽器のことだ。デリはきちがい。つまりサズをかき鳴らし、陶酔して狂気すれすれの世界で神と合一する。男と女とで分け隔てすることもない。イスラム正統派からは異端派扱いされているが、実はデリスタンを中心にトルコ、イラン、ザカフカス、モンゴル、チョリスタンなどに散在するわれわれの仲間は二千万はくだらないだろう」

 デリスタンは地図上に存在しない幻の国家、いや国家以前の共同体である。ちなみに手元の世界地図を広げてみれば、デリスタン地方、つまりトルコ、シリア、イラクにはさまれた半砂漠地帯の大部分は、1936年に建国されたカラマンルヒッタイト国の領土となっている。もともとデリスタンには1936年以前からクルド、チュルケズ、アゼリー、アルメニー、トルクメンなどさまざまな民族が住んでいた。砂漠に伝わる伝説によれば、15世紀中ごろカフカスより移り住んだサペラーニーとよばれる行者の一団が、この地にシャーマニズムを持ちこみ、のちに先住民の宗教である東方キリスト教、拝火教、仏教、あるいはキリスト教伝来以前のアナトリアの土着信仰と融合し、音楽と踊りによって神との合一をめざす独特な神秘主義を発達させた。アラブの支配によりイスラムに改宗したもののひそかにそれまでの信仰を持ちつづけた彼らは、そのあまりに情熱的な瞑想儀式と戒律を無視した生活態度のゆえにたびたび迫害を受けるが、彼ら自身はイスラムシーア派の分派であるアレウィー派と称している。アナトリアとメソポタミアを結ぶデリスタンは、カフカス地方と並び16世紀以来オスマン帝国とサファビー朝ペルシャの間でたびたび戦われた領土紛争の舞台のひとつとなったが、貧弱な武力にもかかわらず400年以上も事実上の独立を維持できたのは歴史上の奇跡といわれている。彼らの国家はアシェグとよばれる吟遊詩人の長老を指導者とするゆるやかな部族連合にすぎず、住民の多くはシャーマンと遊牧民、またかなりの数の乞食商人と学者がいた。

「アシェグとは膝の関節を意味する古代ペルシャ語だ。足の骨をつなぐ膝関節がなければ立つことも歩くこともできない。アシェグは人の心と心をつなぐ、話をつなぎ合わせて語り伝える詩人の比喩だった。その後アラブの征服とともに、アラビア語のアーシュクのつづり文字があてられるようになった。アラビア語ではアーシュクは恋で満たされた人を意味するので、いまではわれわれは愛の吟遊詩人と呼ばれている。十字軍の遠征でわれわれの土地を破壊したフランクどもに強制連行された一人のアーシュクが、かの文化不毛の地にサズを奏で即興詩を歌うことを教えた。そもそもわが故郷デリスタンは乾いた土と岩がどこまでも広がる砂漠。森もなく、水も乏しい荒地こそがわが聖地であった。かつてわれわれの部族の多くは藩に仕える遊牧民だったが、その中で特に霊感に秀でたものは、シャーマンとして尊重され、別に集落をつくって住むようになった。砂漠は不毛の大地といわれ、かつては緑豊かな土地であったものが、過度の遊牧によって砂漠化したと言われているが、それは間違いだ。砂漠は、その誕生のときからして砂漠だったのだ。過酷な自然、邪悪の象徴としての太陽、母なる月、死者の乗り物たる星が、われわれにはいかなる壁を設けることも許さない。つまり、家を建て外気と遮断された生活は、われわれの霊感の源泉のひとつである天との交流を絶ち切ってしまうからだ。同様に」

常に言葉を選んで話す冷静なイルハンの口調が重々しくなり、やがて全身を小刻みに振るわせ始めた。ハイダル、ハイダル、という声がまわりに広がり、集まっていた人々はうめき声をあげながらゆっくりと首を振り、肩をゆすり始める。

「とりつかれたんだ」俺の横にいた石鹸職人のバッサムハーレウィーがうめくように言った。この男はシュメール以来4000年の技法を守る百%オリーブオイルの天然石鹸を作っており、最近日本の生協にも卸し始めたらしい。

「一匹の蛇が彼の左耳の穴からはいりこみ、詩人の細胞壁にとりついた。そこからいくつもの蛇が生まれ、やがてすべての細胞をうめつくすと、彼は人でも神でもない何か別の存在となる。ちょうど小麦粉と水を適正な分量で混ぜ合わせればナーンの生地ができるのと同じように」

気がつくと、壇上でイルハンがサズをかき鳴らし歌っていた。

 

ロローロロロー  オオ レイローレイロー ロロロローーー

列をなしてゆく難民の群れ

村は空っぽになり

七つの山を売り渡した領主たちの行方は知れない



美しいぶどう園は荒らされ、悲鳴が心臓をえぐりとおす

泉は枯れつき、もはや永遠に語ることのない舌が

ルビーのように輝いている

あー私が死んでいたら デリスタン



いたたまれぬ悲劇的な感情が空気を振るわせた。集まった人々は200人ほどか。女たちはみな泣いている。多くのものたちが頭に赤いターバンを巻き、立ち上がって踊り始める。楽器の弾き手は次々に交代し、前の奏者の後を受けて物語を続けて行く。



世界中を旅していた私はあるとき廃墟の丘に出会った

わたしは廃墟に『どのくらいの間ここにいたのか』と尋ねた。

廃墟が答えて言うには

「わたしは多くの友を持ち、われわれの村は繁栄していた

むかしわたしはあそこにいたのに、今はここにいる。誰も責めてはならないと神からの命令があった。私に何があったのかをあなたに聞かせよう」



周りの者たちはあるときには陽気に体をくねらせ、性の交わりを思わせるような悩ましい動きに没頭したかと思うと、突然投げ出された死体のようにたちつくし、能のようなかすかな動きとともに瞑想状態に入って行く。あるときには紙を燃やしながらアッラーの名を叫び、あるときは微動だにせず詩人の奏でるサズの音に聞き入ると言う具合だった。いつのまにかトルコの蒸留酒ラクが大きな木のグラスに入れられたまま運ばれてくる。その甘い香りに酔いしいれた俺は、深い眠りに誘われどうやら夢を見ているらしかった。



つづく