この前のAbemaTV「ウーマンラッシュアワー村本大輔 土曜ザNIGHT #65」で
熊本県益城町で行われた村本大輔ミニトークライブのノーカットの放送を見ました。
かなり声が枯れた状態ではありましたが、いつもの毒舌マシンガントークでお客さんを笑わせている村本さん
終わりの時間が近づき、どうしても今ここで伝えたい事があると
その後半の演説にわたしはとても感動しまして、泣きました。
今の自分にとっても響きましたね。
なので、トークの後半一部抜粋させて頂きます。
これだけは喋りたかった
僕は本当に田舎の中学校の、偏差値の低いバカです
でも唯一好きなモノはお笑いでした
お笑いをやろうと思いました
田舎の方はそんなに就職先がなかったりとかして、自分が行ける就職先はなかった
働ける所もなかった
水産高校を僕は中退してるわけ
学校を辞めてるんです
こんだけ(母校の悪口)言ったけど辞めてるんです
だから中卒です
中卒だから地元の企業も雇ってくれなかった
地元のパチンコ屋でバイトするかって親に言われましたけど、パチンコ屋やりたくなかった
パチンコした事もなかったし
原発で働くかって言われましたけども、原発で働くのも別にどうかと思ってやりたくなかった
そん中でテレビを見た時に、さんまさんがそこでバラエティやってた
そん中見て、この中に入りたいなと思った
唯一、そのテレビの中が僕が救われる場所だったんです
だから僕もこのテレビの中に入りたいと思って、
お笑い芸人になりたいと思った
でも僕は才能がなかった
学校で村本が喋れば空気が止まると言われてた
中学校の時つけられたあだ名は「ストッパー」です
喋ったら空気が止まるんです
今もたまに空気ストップさせることあります
一緒です
でもお笑いやりたかった
やりたいやつはお笑いしかなかった
才能があるわけではなかったけど、やりたかった
だから大阪に行きました
大阪の養成所に行きました
そこには僕と同じように夢を持った2000人くらいの沢山の、全国合わせて東京と大阪校合わせて、学生がいました
その学生達は一生懸命お笑い芸人目指しました
その各学校のトップです
一番面白かった奴ばっかりが集まってくるんです
僕はその各学校のトップが集まってくる中で、甲子園ですから…
僕は全然才能が無かった
でも僕はやりたかった
自分の一個しかない人生だから
だから僕は10年以上続けました
一生懸命続けました
僕、よく言うんです
亀と兎みたいなもんで
兎が休憩してる間に一生懸命亀は歩きました
一生懸命歩いて、そして10年経ってやっとテレビにちょっと出ることが出来ました
テレビに出ることが出来ました
芸能界に入りました
ちょいちょい芸能界に出てテレビに出るようになってから一個疑問を抱きました
「お笑い芸人の仕事って何だろう」と思いました
芸人てお笑いでこんなにも被災地とか
それこそ沖縄基地とか、人を助けれるのに、なぜそんなどうでもいいようなことを口にするんだろうと…
口から出す言葉ってのは、本当に人の心を動かす言葉って、芸人も口から出せるんじゃないかと思いました
そんな時にアメリカのお笑いを知りました
アメリカのお笑いってのは、アメリカで差別があったりとか、
色んな人が、色んな涙がいっぱい流れてる国なんです
そこってのは差別とか色んな悲しみが多いから、そこの芸人てのはこういうネタが多いんです
アメリカの芸人の、アメリカのコメディの精神てのは
「どんなタブーにも切り込むこと」
だって言ってました
でも日本の芸人てのはすぐに
「テレビで使いにくいから」とか
「テレビでは言わない方がいいんちゃう?」
とか、すぐそういうことばっか言って、テレビと共にあるんです
テレビしかいる場所がないから
アメリカのお笑いの劇場の支配人と喋りました
そのアメリカの劇場の支配人が僕にこんなことを言ってました
「ウチの劇場に出れる奴の最低条件は”言いたいことのある奴”だ」って言いました
面白いとか、そうじゃないとかは関係ないと
何か言いたい事がある奴だと
僕は思いました
だったらアメリカに行って、お笑いやって、英語でお客さんを、英語喋れる英語圏のお客さんをいっぱい感動さしてもいいんじゃないかと
別に日本人でもいいんです
ただ、いるんですよココに
ここにいるんですよ
ここにいる小学校の時の僕、中学校の時の自僕、高校の時の僕が見てるんですよ
皆さん「おもひでぽろぽろ」というアニメ見たことありますか?
あれは小学校の自分がここで見てるんですよ
僕も一緒なんですよ
小中高と全く勉強が出来なかった頃の僕がここで見てるんです
コイツはとっても不遇な時期の、時間を過ごしたんです
中学校の時の僕はバレンタイン全く貰えませんでした
チョコレート全く貰えませんでした
他の男子は貰ってたのに
だから中学校の時の僕は唯一復讐をしました
職員室に行って「あいつらチョコ持ってきてます」ってチクることです
それが中学校の時の僕です
高校の時の僕もそうです
高校の時の僕も全くチョコレート貰えませんでした
バレンタイン貰えませんでした
でも同級生はいっぱい貰ってるんです
そんな時の僕の唯一の復讐の仕方は、教室の温度を上げてチョコレートを溶かすことです
それが僕の出来る唯一の復讐です
コイツらは見てるんですよ
勉強も出来ず
夢を見たけど、あの頃の僕がお笑い芸人目指すって言ったら、地元の同級生とか親とか先生も含めて
「お前じゃ無理だ」って言いました
「お前なんかが出来るはずない」と言われました
当たり前です、その現実見てたら…
でも現実というのは、一歩一歩変えてくもんなんです
確かにあの頃の僕は出来ませんでした
でも諦めることなく自分のやりたいことを一生懸命やってたら、どんな夢も叶うし、どんな自分にもなれるという事を僕は気付かされました
だから芸人が6000人いても僕はこういう風に、なりたい自分になれてる
テレビに出るのがなりたい自分じゃない
自分の好きな事を喋れて、それで笑ってくれるお客さんを目の前で見る事が僕のやりたい自分
そんな自分になれてるわけです
だから皆さんに言いたい
確かに地震は起きました
確かに壊滅状態にありました
仮設住宅に住んでる人も、仮設に住んでる人も沢山います
でも僕でもなれるんだから、みんな自分のなりたい自分に絶対なれるし、絶対この町も復興出来るし、絶対に何か…
自分達の未来は絶対にあると…
僕がなれるんだから…
だからみんな一人一人に、ここに、あん時怖がってた自分を絶対に幸せにしてあげて欲しいなと、
そう思うわけです
僕も幸せにしますんで、皆さんも自分の事を良かったら幸せにしてあげて下さい
最後はオチはないですが、以上です
ありがとうございました
という感じでした。
過去の自分に恥じない生き方で、過去の自分を含めた今の自分も幸せにしてあげないとな、と思いました。
